合宿三日目。7時、起床。
7時半から朝食。
部屋の片づけをして、9時42分セミナーハウス発の路線バスに乗って安房鴨川駅へ。
10時安房鴨川駅前発の高速バスに乗って、東京へ。(体調の悪い学生がいたので、SさんとA君が付き添って、3人は特急わかしお号で帰る)。
1時30分、東京駅前着。ここで解散。お疲れ様でした。
神保町の神田古書センター2階の中野書店へネットで注文した本を受け取りに行く。
書店のご主人に「はちまき」という天ぷら屋さんの所在を尋ねる。すずらん通り沿いにあるという。郵送でも済む本の受け取りを直接書店に来たのは、ここに来るついでに「はちまき」に寄ってみようと思ったからである。
先月の15日、私学会館で行われた中学生作文コンクールの表彰式で、私は全国賞受賞作の講評を行ったが、その際、佐々木萌さん(横浜市立老松中学1年)の作品の中でこの天ぷら屋のことが出て来たのだ。
「私の母の実家は東京で天ぷら屋をしている。祖父は毎日カウンターで天ぷらを揚げていた。私は幼いころから祖父の揚げた天ぷらが大好きで、よく遊びに行き天ぷらを食べた。祖父はいつも「いらっしゃい」と笑顔で迎えてくれ、天ぷらを揚げてくれた。エビや野菜が油の中で「ジュワッ」と揚がるのが、まるで魔法のようで、いつも食い入るように見ていたのを覚えている。祖父は面白く、その上とても人情深く思いやりがある大好きだった。」
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講評のとき、私は目の前にいる萌さんに、東京のどこにある何という天ぷら屋さんですかと尋ねた。神保町の「はちまき」という天ぷら屋さんですと彼女は答えたが、私はその店を知らなかった。「はちまき・・・変わった名前ですね」と私は首を傾げた。しかし、後から知ったのだが、「はちまき」は多くの作家たちに親しまれた有名な天ぷら屋さんであった。私は自分の不明を恥じた。そして機会を見つけて、「はちまき」に行ってみようと思っていた。それが今日なのだ。
店の外に昭和27年3月にここで開かれた東京作家クラブの例会(第27回)の写真が出ていて、江戸川乱歩らの名前が見える。
店内にあった記念写真には俳優の佐野周二さんが写っていた。お店の方にいつ撮ったものですかと聞いたら、昭和30年頃ではないかと思いますとのこと。はちまきをした方が萌さんのお祖父さんなのだろうか?(お祖父さんは2年前に亡くなっている)
天ぷら定食(松)を注文する。美味しかったです。ご馳走様でした。
食後のコーヒーは「古瀬戸」で。
中野書店で購入したのは安住敦『俳句への招待』(文化出版局、1973年)。初版で、「松薫」という方への献本署名入りである。おそらく「松薫」は俳号で、安住の弟子の一人ではないかと思う。
しぐるゝや駅に西口東口 安住敦
この句を知ったのは最近のことで、安住の名前もそのときに知った。都会的な抒情のあるいい句だと思った。1907年(明治40年)の生まれと知ってびっくりした。びっくりしたのは、もっと若い人かと思っていたというのがひとつ、もうひとつは清水幾太郎と同年の(しかも東京の)生まれだということ。久保田万太郎が俳句の師であると知って「なるほど」と思った。「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」と「しぐるゝや駅に西口東口」のメンタリティーには共通するものがあると思った。
「自句自註」の中で、「しぐるゝや・・・」の句についてこんなふうに語っている。
「この句の駅というのは東横線田園調布駅だが、それはどこの駅でもいいわけである。
多くの駅がそうであるように、この駅にも西口と東口とがある。しかも多くの駅がそうであるように、この駅の場合も、二つの出口、直線距離は短いのだが、構内を通らないで西口から東口、あるいは東口から西口にまわろうとするとぐるりと遠まわりをして踏切を渡っていかなければならない。
ある時雨の降る日、わたしはうっかり出口を間違えてしまったため、そこで相手の人に大迷惑をかけたことがある。いつもに西口を利用している相手は田園調布駅と言えばもう西口と思ってしまうだろうし、いつも東口を利用しているわたくしにしてみれば田園調布駅といえば東口と思ってしまうわけだ。よくあることだが、そのとき、ふとこの句、口をつくように出来た。
親しい仲間がこの句を、あいびきの句として含蓄のある解釈をしてくれたことがある。この句に限ってそういう経緯はないのだが、そこまで行きとどいた鑑賞をしてもらえれば作者冥利につきるというものである。その仲間にそう鑑賞されてから、わたしはかえってこの句に愛着を持つようになった。俳句にはよくそういうことがある。鑑賞者は一々作者のその句をつくるまでの経緯を知るはずはない。解釈に誤りがあってはならないが、鑑賞は鑑賞者の自由であろう。」(74-75頁)
現在の田園調布駅には改札は一か所しかない。東口と西口のある駅でも、携帯電話の普及した現在では、もうこうした事態は生じなくなっているであろう。
体調の悪かった学生に電話をして様子を聞く。自宅に帰り着いていたが、まだ体調は回復していないようだったので、近くの内科医院へ行って、診てもうらうように言う。(数時間後、点滴をしてもらって帰宅した学生から連絡があり、体調は持ち直したようなので一安心)。
夜、一週間ぶりに更新されたNさんのブログを読む。「京都までの2時間半。」括目して読むべし。