フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月29日(日) 晴れ

2013-12-30 12:25:53 | Weblog

   9時、起床。

   朝食は抜いて、昼食を食べに出る。おだやかな年の瀬。     

      下丸子の「喜楽亭」。

      珍しく先客が二組(4人と2人)。注文をしてしばらく待つ。

     いつものチキンカツ定食(750円)。先客が出て行って、ご主人といつもの世間話。「喜楽亭」には月に一度くらいのペースで来ているのだが、話のネタを仕込んで待っていてくれる。「最近こんなことがありました・・・・」という語りで始まる今日の話題は、近所にあるリコー本社の敷地の中にタヌキが出没するという話だった。

       定休日のない「喜楽亭」だが、年末年始は大晦日と三が日は休むそうだ。どこかに行かれるんですかと尋ねたら、「片瀬海岸にある親戚の旅館の手伝いを頼まれいて・・・」とのこと。よいお年を。

     蒲田に戻る。

     「ルノアール」でしばらく読書。宇野重規『民主主義のつくり方』(筑摩選書)。さらなる個人化が進行する時代における民主主義の再構築を模索した『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書、2010)の続編である。本書のキーワードは「プラグマティズム型民主主義」。現在(従来)の民主主義を「ルソー型」と呼び、それが前提とする「一般意思」というフィクションに頼らずに民主主義を再構築するには、「経験」を重視するプラグマティズム型の民主主義が有効であることを説く。日本におけるそうした考え方の持ち主として藤田省三が詳しく紹介されていたが、清水幾太郎については言及されていなかった。右傾化しちゃったからダメなのだろう。しかし、プラグマティズムというのは思想的には中立的なもので、必然的に民主主義に帰結するというものではないのではないだろうか。プラグマティズムが民主主義と結合し、その結合が持続するためには何らかの因子が必要だろう。それは何だろう。それがおそらく清水に欠けていたものだ。それを考えるために、『民主主義のつくり方』は私にとって示唆的な本である。

    切りのいいところまで読んで、「ルノアール」を出る。

      「phono kafe」にちょっと寄って行く。

     客は私だけで、大原さんとしばらくおしゃべり。最近は一日の客が20人、30人を超す日もあるそうだ。よくここまで来ましたね。

     女性の2人連れが入ってきて食事の注文をしたところで、席を立つ。

     名古屋の会社に就職した息子が年末年始の休みで帰って来た。とくに積もる話があるわけではないが、一人増えるだけで食卓が賑やかになる。

     夜、今日の日誌を付ける。下が元のサイズだが、まるでお湯でもかけたかのように膨らんでいる。幅が4倍くらいになっている。妊婦さんでいえば臨月だろう。でも、4月始まりなので、あと3か月使用する。はたして製本が持つだろうか心配である。