フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月14日(木) 曇り、一時驟雨

2014-08-17 14:03:46 | Weblog

8時、起床。

長野土産の「つるや」の酒饅頭と紅茶の朝食。

旅行から帰ったばかりだが、今日は昼から卒業生のMさんと会う約束がある。本当は、旅行に行く前に会うことになっていたのだが、Mさんのご親族にご不幸があり、今日に延期されたのである。

旅行から帰ったばかりの私と会うことのMさんにとってのメリットは、旅の土産のおすそ分けにあずかれるということである。松本のギャラリーカフェ「Gargas」でやっていた展示会(森はともだち)で購入した小澤夏見さんの作品をさしあげる。小さなビンの中に小鳥のフィギアが入っていて、ビンの内側の側面に森が描かれている。

Mさんは私の馴染みのカフェでの食事を希望されていたのだが、日程が変更になったため、今日はあいにく馴染みの店はどこもお盆休みか定休日である。こういうときに駅ビルに入っている飲食店は便利である。「銀座アスター」でランチのコースを食べる。

  

  

食事を終え、腹ごなしに蒲田の街を散歩しましょうかと外に出てみると、ものすごい雨になっていた。傘のない人はもちろんだが、傘を持っている人も、あまりにすごい降り方なので、足止めをくらっている。今年の夏は本当にスコールのような雨が多い。

雨が止むまでカフェでお茶をしましょうということで、「テラスドルチェ」に行ったがお盆休みだったので、「カフェドコバ」に行ってみる。ここはやっていた。

しばらくおしゃべりをする。30代半ばのMさんにとって、40代になったときの自分がどうなっているかということは大きな関心事である。これは誰の場合もそうだが、30代、40代、50代・・・どの年齢も本人にとっては初めて経験するものである。私もつい最近60代になったわけだが、59歳の次は60歳であることは確実にわかっていたし、58歳から59歳への移行と59歳から60歳への移行に大きな違いがあるとは思わなかった。しかし、実際に60歳になってみると、60歳の風景というのはこういうものなのかと初めて知ることがけっこうあった。それは単純に私の内部での変化の反映ではなく、周囲の私を観るまなざしの変化の反映でもある。私は「60歳になる」だけでなく、「60歳にされる」のである。たとえば、わかりやすい例を出せば、映画のシニア割である。この恩恵を得られることは60歳になることの数少ない楽しみの一つであったが、一度、これを行使したとき、私は「自分は60歳になったのだ」と強く自覚したし、映画館のもぎりの女性は私を60歳(以上)の人間として対応したわけである。59歳になったときにはこういうことは一切なかったのである。年齢に関連する社会規範は10歳刻みないし5歳刻みでとくに強く作用する。私たちの年齢意識(心理的年齢)は、身体的年齢と社会的年齢の双方から影響を受けているのである。

で、話をMさんの場合に戻すと、40代になったときの自分と言うものを考えるとき、そこには理想のモデルと反理想のモデルが存在する。前者は「ああなりたい」というモデルであり、後者は「ああはなりたくない」というモデルである。誰もがそうした二種類のモデルを振り子の両端に意識しながら人生を生きているのであるが、Mさんの場合、話を聴いていて感じたのは、後者のモデルを少々意識し過ぎではいないかということである。つまり振り子のバランスが後者に傾いている。理想のモデルを実現しようとする実現指向よりも、反理想のモデルを回避しようとする回避指向が強く働いている。物事にはバランスというものが大切で、実現指向に傾くにしろ、回避指向に傾くにしろ、アンバランスであることは好ましくない結果を招きがちである。たとえば、(これはMさんとは関係がないが)子どもの頃に親から暴力を振るわれた人は、それを反理想の家族モデルとして、結婚をして自分が築く家族はそうあってはならないと強く意識する。ところが、強過ぎる回避指向はちょっとしたこと(子どもを強く叱ったり、思わず手が出てしまったり)にも過敏に反応して、「ああ、駄目だ、自分は自分の親のようになってしまっている」と自己嫌悪に陥り、子どもや配偶者との関係も悪くなる。反理想モデルを回避しようと強く意識することで、かえってそれに接近してしまうという逆説である。そうなりたくてそうなるのではなく、そうはなりたくないのにそうなってしまうのである。家庭内暴力の世代的連鎖はこうして生まれる。反理想モデルが実在するときは、それと釣り合うような理想モデル(観念のレベルでの反理想モデルの裏返しではなく、実在の理想モデル)をもつことが大切である。

雨も止んだようなので、「ぶらり途中下車の旅」的気分で池上本門寺界隈を散歩した。でも、途中からまた雨がパラパラと降ってきた。

 

 

Mさんは大森方面にお住まいで、池上本門寺にもたまに散歩に来るそうであるが、池上会館の屋上のこの展望台の存在は今日初めて知りましたとのこと。ここは、桜の季節には、満開の桜の中に五重塔が見える絶好のポイントですよ。

池上会館を出て、呑川に沿って歩いて、堤方橋のところでMさんとは別れた。Mさんは池上通りを大森方面へ、私はさらに呑川に沿って蒲田方面へ。「雨の堤方橋の別れ」というのは風情がある(といえなくもない)。

今日、名古屋から息子が帰省。夕食は息子のリクエストで餃子。餃子を大皿に何皿もひたすら食べる。