9時、起床。
カレー、トースト、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、牛乳の朝食。
昼食は妻と外に食べに出る。
最初、「phono kafe」に行くつもりで、電話をしたのだが、あいにくと満席だった。
「つけ麺大王」に行く。
2人とも肉入りつけ麺を注文。
店を出て、用事のある妻とは別行動。
駅ビルのTSUTAYAで「ニシノユキヒコの恋と冒険」のDVDを借りる。一昨日までキネカ大森で上映していて、旅行から帰ったら観に行こうと思っていて、いけなかった作品だ。
近所の専門学校の人工池の横を通り、新校舎の工事現場の横の道を通って、「phono kafe」に行く。
先客は一人だけ。「奥様といらっしゃるときに満席のことが多くてすみません」と大原さん。
最近の定番である梅ソーダからの桃パン+ハニーブッシュ。
夕食は刺身(中とろ、サーモン、鯛)。
写真は二人分です。
深夜、『ニシノユキヒコの恋と冒険』を観る。「恋」はわかるが、「冒険」とは何だろう。ニシノユキヒコは二股、三股ということはしないが、一つの恋の終わりと次の恋の始まりは多少とも重なっているし、昔の彼女が未練たっぷりで彼の前に現れたりして、夜中に、彼のマンションで二人の女性が鉢合わせなんていうスリリングな場面が生じることはある。でも、それを「冒険」と呼んでいるわけではあるまい。それにしてもニシノユキヒコは本当に女性にもてる。特定のタイプの女性が彼に恋をするわけではなくて、さまざまなタイプの女性が彼に恋をするのだ。その理由は、ニシノユキヒコがハンサムだとかいうことではなく(もしそんな理由であれば、女性によって好みが分かれるはずだ)、彼の女性へのアプローチの仕方にあるだろう。第一に、彼は自分に好意をもっている女性にしかアプローチしない。相手が自分に好意をもっているかどうか、これは誰だって気にすることだし、だいたいわかるものだが、彼の場合は、そのアンテナの感度がとびきりいいのだ。相手の女性本人が十分に自覚していないようなレベルの好意でも彼にはそれが感知されるのである。「あなた、僕のこと好きでしょ?」とか面と向かって言われて、ドギマギしない女性がいるだろうか。自分に好意をもっている相手に(その好意に応える形で)アプローチするのだから、恋が成就する確率はとても高いだろう。第二に、彼は相手の女性の固有性に着目する。「君は他の人とは違う」と。「美人」だとか「かわいい人」だとか、そういう一般的カテゴリーで相手を見るのではなく、唯一無二の存在として相手を見るのである。「君のそういうところに惹かれるのだ」と。これはアイデンティティの不安を抱えて生きている女性には有効な口説き文句である。しかも彼はそうした言葉を技巧として使うのではなく本心からそう思っているのである。しかし、結局、どの女性もニシノユキヒコの元を去って行く。こういう男とは持続的な関係を維持するのは無理であるとわかるのである。彼はいつか私の固有性に飽きるだろうと。だが、決して、彼女たちは彼に愛想を尽かすわけでも、嫌いになるわけでもない。彼への愛情を抱きながら、彼が幸せになってくれることを(たぶん無理だろうけれど)願いながら、去って行くのである。事実、彼の葬儀にはそうした女性たちが多数参列する(これはネタバレというほどのことではないから書くが、映画の冒頭近くで、彼は交通事故で死ぬのである)。おそらく「冒険」とは、恋愛の不可能性を生きようとするニシノユキヒコの生き方をさしているのだろう。面白い作品だった。原作は川上弘美の同名の小説だが、ストーリーは原作通りではない。それもまた面白かった。