フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月10日(土) 晴れ

2016-12-11 14:44:41 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(炒り卵)、紅茶の朝食。

11時半に卒業生のミズキさん(論系ゼミ4期生)と蒲田駅で待ち合わせ、「まやんち」へ。

今日、ミズキさんとは街歩きの最後に「カフェゴト―」に行く予定である。そうすると史上三人目のスーパーグランドスラム(主要8カフェ制覇)の達成となる。それを祝して、前祝いだが、アフタヌーンティーを注文する。彼女と「まやんち」には来るのは4度目だが、アフタヌーンティーは今日が初めてである。

店長のまゆみさんがミズキさんにアフタヌーンティーの説明をしてくださっている。「感動系」のミズキさんは目を見開いてまゆみさんの説明に「わぁ!」とか「おぉ!」とかうなずいている。

下段はフード類で、スコーン、野菜のサンド、キッシュ。

上段はスイーツ類で、木の実とドライフルーツの生キャラメルタルト、林檎のアップサイドダウンケーキ、キウィイとエルダーフラワーゼリー、バートドフリュイ3種、抹茶のマカロン。

公式の食べ方は、まず下段を(その中でも温かなスコーンを最初に)、次に上段をという順序で、実際、今日もその順序でいただいたのであるが、そうすると、後半、ずっと甘いものを食べ続けることになるので、変化を持たせる意味で、上を食べたり、下を食べたり、というランダムなやり方もありなのではないかと密かに思っている(書いちゃったけど)。

お茶は私はアールグレイ(ミルク)、ミズキさんはこの時期限定のクリスマスティー。

店長のまゆみさんが「写真をお撮りしましょうか」と言って下さったので、お願いする。でも、まゆみさん、そのアングルは二人の顔の大きさがアンバランスになるんですけど(笑)。

気づいたら2時間が経過していた。開店とほぼ同時に満席状態で、アフタヌーンティーが運ばれてくるまで少し時間がかかったとはいえ、2時間とはずいぶん長く滞在したものである。ずっとおしゃべりをしたいたわけだが、その内容と言えば、あんまんと肉まんをどういう順序で食べるかといった類のことで(上記のアフタヌーンティーの食べ方もそのそのバリエーションである)、われながらそんなことでよく2時間も会話が持つものであると感心する。

当初の予定より時間をオーバーしてしまったが、2番目の目的地「市川東山魁夷記念館」へと向かう。

蒲田ー(京浜東北線)→秋葉原-(総武線)→下総中山 

下総中山駅から東山魁夷記念館までは徒歩20分。途中で法華経寺の境内を通る。昔、東西線の原木中山に住んでいた頃、下の子どもを自転車に乗せて(上の子どもは自分の自転車を漕いで)よく遊びに来た場所である。

境内には大きな木がある。

となれば、当然、「大きな木の下の法則」を適用すれば、よいポートレートが撮れるはずである。

やっぱりね。

 法則の妥当性が証明されたところで、先を急ぎましょう。

早くも陽は傾いている。

市川東山魁夷記念館に到着。

東山魁夷は戦後この中山の土地に住んでいた。「私の戦後の作品はすべて市川の水で描かれています」と語っている。魁夷が1999年に亡くなって、2005年にこの記念館が建てられた。収蔵されている作品はリトグラフや複製画が中心だが、魁夷の歩んだ人生を資料(インタビュー映像もある)によって再現しているところが見所である。

ヨーロッパ風の建物で、カフェも併設されている落ち着いた空間である。

今日から、『東山魁夷「習作東京十二景」~彌生会とその時代~」という特別展が始まった。

記念館のホームページから引用する。

「東山魁夷は昭和34年、彌生画廊[東京・銀座]にて「TOKYO」展を開催し、冬の東京をテーマとする十二作品を発表しました。現在ではその殆(ほとん)どが所在不明につき、「習作 東京十二景」(三番町 小川美術館蔵)は、東山魁夷の肉筆画として「TOKYO」の世界観と、その情趣を今に伝える貴重な作品群といえます。また、東山魁夷は「TOKYO」の発表と同時期、彌生画廊にて開催のグループ展<彌生会>に参加し、昭和27年の第1回展から昭和44年の第14回展まで、主要会員として、ほぼ毎年出品を重ねました。同会には、東山魁夷と同じく日展に属する日本画家から、加藤栄三、杉山寧、高山辰雄(「高」ははしごだか)、橋本明治、森田沙伊、山田申吾(以上東京)、西山英雄(京都)らも参加、当時の日本画壇における中堅作家の集結として、世の注目を浴びました。東山魁夷とともに戦後の日本画壇を牽引(けんいん)していくこととなった気鋭の画家たちの作品世界をお愉しみください。」

私はこの特別展のことを、先月、長野の東山魁夷館に行ったときに知った。たまたま今日がその初日である。その話を美術館好きのミズキさんにしたところ、行ってみたいということになったのである。

これが上野かどこかであれば、初日は混雑するところであろうが、駅から徒歩20分という場所にあるため、見学者は少なく、ゆったりと見て回ることができた。ポスターにも使われている東京十二景の1つ「門」は赤坂離宮を描いたものであるが、この習作については本作も展示されていた。魁夷の場合、習作と本作はほとんど変わらない場合が多いように思っていたが、本作では正門の横の通用門の鉄扉は開いた状態で描かれていた。閉じた門よりも開いた門の方が開放的な(「どうぞ」と見る者を招き入れている)感じを与えるが、私には習作の方が構図としてはよいと思えた。しかし、どちらにしろ、魁夷の特徴である静謐なブルーが喧騒の都会の一角にある静かな場所を描いて魅力的な作品である。

八角塔の二階は休憩室になっている。

時刻は4時。あと30分ほどすれば日が沈む。窓から入ってくる弱い冬の陽射しは、ポートレートを撮るにはうってつけである。 

さて、引き返しましょう。

法華経寺の境内を通るとき、私にはちょっと顔を出したい場所があった。

「田中家」という寺茶屋である。 明治時代から続くお店で、ここには子どもたちを連れてよく来たものである。

姉妹でやっておられる店である。

私が店に入ったとき、お二人と目が合い、「あら」という表情をされて、覚えくださっているようなので、「お久しぶりです」と挨拶をする。4代目にあたるお姉さんは今年で71歳とのことで、お元気そうでなによりである。

「お嬢さんはもうお勤め?」と聞かれて、私が答える前に、ミズキさんが「はい、会社勤めをしております」と答えた。

間違いではないが、たぶん「お嬢さん」の意味が違うと思う。しかし、あえてそのままにしておいた。

店内は改装されており、メニューもだいぶ変わった。赤飯がなくなり、ラーメンが加わっている。

海苔巻(干ぴょう巻)とおでんを注文。

これから「カフェゴト―」でケーキを食べる前に醤油味のものを食べておきたかった。

外の景色があっという間に夕闇に沈んでいく。

「田中家」の営業時間は機械時計の時間ではなく、不定時法による。つまり日没が閉店の時間である。

久しぶりにお目にかかれて嬉しかったです。またうかがいます。「娘さん」の真相はそのときにでもお話しましょう。

「私、お店の方に嘘をついてしまいました」とミズキさんが気にしていたが、いえ、実の娘も会社勤めをしているので、まったくの嘘というわけではない。

仁王様も大目に見てくれるでしょう。

下総中山-(総武線)→飯田橋ー(東西線)→早稲田。

本日のゴールである「カフェゴト―」に到着したのは6時。予定よりだいぶ押している。

柿のタルト(珍しい!)とチーズケーキをハーフ&ハーフで。

グランドスラムとスーパーグランドスラムの同時達成である。*「カフェゴト―」はグランドスラム(主要4カフェ)の構成要件でもある。

スーパーグランドスラムは2期生のアオバさん、3期生のサキさんに続いて3人目だが、卒業から2年9か月での達成は最短記録である(これまではサキさんの3年3か月)。

祝祭的雰囲気が伝わったのか、お店の方が「お写真をお撮りしましょうか」と言って下さったので、お願いする。

ケータイに妻からのメールが届く。「帰りは何時?」

それを合図にというわけではないが、店を出る。帰りはミズキさんとは途中まで一緒で、田町駅で彼女は降りた。

よいお年を!

8時、帰宅。

夕食は豚しゃぶ。

ポン酢で食べる。一日、甘いものをずっと食べていたので、ポン酢が美味しい。

2時半、就寝。