フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月28日(水) 晴れ

2016-12-29 14:49:10 | Weblog

9時、起床。

トースト、カレー、牛乳、紅茶の朝食。

午後から大学へ。

1時過ぎ、研究室にかわいいお客様がやってきた。ジュリちゃん、6歳。

卒業生のアマネさん(一文社会学専修)の娘さんである。

アマネさんは大学卒業後、ジョージ・ワシントン大学の大学院に留学し、彼の地で就職し、同じ頃、フランスから留学してきた青年と結婚し、いまはニューヨークで暮らしている。

年末年始をアマネさんの実家で過ごすために、昨日、一家で日本にやってきたのである。

研究室で少し話をしてから食事に出る。ジュリちゃんは卵焼きが好物だそうなので、「たかはし」の卵焼き定食にしましょう。

小さな子どもの特徴は日米に共通である。よく走ることである。ちょっと待って!

私も久さしぶりに走った。

ようやく追いついた。

私は豚肉生姜焼定食。

アマネさんは煮魚(銀むつ)定食。ニューヨークにはこういう日本食の定食屋さんはないそうである。

そしてジュリちゃんは卵焼き定食。

私とアマネさんがトランプ大統領誕生の背景にあるアメリカ社会の変容について語り合っている間、ジュリちゃんは卵焼きや味噌汁に「おいしい」「おいしい」と舌鼓を打っていた。

一昨日、「よいお年を」の挨拶をしたばかりだが、同じ挨拶をして店を出る。

さて、ジュリちゃんの好きなチョコレートケーキを食べに「カフェゴト―」行きましょう。

変顔をするのも小さな子供の特徴(日米共通)である。

よっぽで気に入っているらしい。

しかし注文したチョコレートケーキが運ばれてくると変顔は一時休止。

一心不乱に食べ始めた。なかなかの集中力である。

私とアマネさんはあんずのフランとバナナタルトをハーフ&ハーフで。

 チョコレートケーキを食べ終えたジュリちゃんが勉強(?)を始めた。勉強と遊びの境界が明確でないのも小さな子供の特徴である。 

ジュリちゃんは6歳にして英語と日本語とフランス語を理解する。

お母さんに「ネズミの学校はなんていうの?」と英語で尋ねた。

アマネさんは「スクール・オブ・マウス」と英語で答えた。

「違います。チュー学校です」とジュリさんは日本語で言って、笑った。ナゾナゾだったのね。

3時過ぎに店を出る。一昨日はお休みだった「カフェゴト―」のマスターに「よいお年を」の挨拶が出来てよかった。

二人はこれから新宿で夫=父親と待ち合わせてお買いもの。どうぞ楽しい日本での日々を!

今日はもう一人、海外から卒業生が研究室にやってくる。

論系ゼミ1期生のユミさんである。数日前にドイツから年末年始を日本で過ごすために帰ってきた。

彼女は去年に続いて年内一番最後に会う卒業生となった。「光栄です」とユミさん。

二年連続を祝して、「恋」ダンス? いえ、エグザイルを意識しています。ジュリちゃんがいたら大喜びで一緒にやってくれたろう。

「SKIPA」に行く。私はホットシークワーサー、彼女はホットチャイを注文。

混んでいたいた店内が、お客さんが引けて落ち着いたところで、宙太さんに写真を撮っていただく。

ユミさんと宙太さんのツーショットも。(水曜日はのんちゃんは早上がりでもういない)

2月末に3年に及んだドイツでの暮らしを終えて本帰国することが決まったユミさんだが、帰国したら、就活と婚活を同時並行で進めたいとのこと。婚活が上手くいきますように宙太さんに祈祷してもらう(お坊さんみたいな風貌だから)。

それ、「恋」ダンスに似てますね。

お隣の「トンボロ」はユミさんはまだ行ったことがないというので、顔を出す。ホットケーキとコーヒーを注文。

ホットケーキはシェアしていただく。

店長(夜の部)の波鈴さんからダルビッシュ君が土浦に開店したカフェ&バー「ヴェルデ」に行った話を聞く。繁盛してほしいものである。

6時半頃、店を出る。この後、ユミさんは町田へ行くそうだ。飯田橋の駅まで歩いて、そこで別れる。

彼女とは年が明けたらも一度(彼女がドイツに帰る前に)会うことになるだろう。そのときまたゆっくおしゃべりしましょう。どうぞよいお年を。

7時半、帰宅。

夕食は広島菜チャーハン、鶏つくね団子、サラダ、ワカメスープ。

 

食後にアマネさんからいただいたお菓子を食べる。アメリカ土産ではなく、実家のお母様がもたせてくれたものとのこと。

深夜、妻の強い要請で、居間の床の上の本を片付ける。

本たちは一階の書庫の床の上に移動した。流浪の民である。

書庫に空きスペースを設けるべく、大学時代に使った語学のテキストなどを捨てることにした。「毛沢東選集」。これが中国語の副読本だったのである(!)。1973年(大学1年生)とはそういう時代だったのである。

一冊だけ捨てられないテキストがあった。

初級ギリシャ語の教科書。現代ギリシャ語ではなくて、古典ギリシャ語である。新約聖書がテキストに使われていた。

「初めに言葉ありき」。一方に毛沢東選集、他方に新約聖書、今は昔の物語である。

3時、就寝。