★業務連絡(来春、大久保ゼミに入ることが決まっている2年生へ)
16日(金)、17:00から、33号館2階、231教室でゼミの4・3・2年生合同の懇親会を行います。
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9時、起床。
近所の野良猫たちが続々と家に入ってくるという夢を見て目が覚める。普通、野良猫は夫婦で子育てをしないが、夢の中では、サザエさん一家みたいな大家族の一団もいた。彼らがやってきたときは戦慄を覚えましたね。
トースト、クリームシチュー、サラダ、紅茶の朝食。
昨夜のカレー同様、昨夜のクリームシチューが朝の食卓にあると豊かな気分になる。
トイレで食事をすることを「便所飯」というが、トイレで読書をするのは「便所本」というのだろうか。私にはその癖がある。読んでいる本を持って入るのではなく、トイレに入る直前にパッと目について本を本棚から引き抜いていくのである。そしてトイレから出たら本棚に戻す。そのひと時だけの読書である。
今朝は「評論の神様」小林秀雄の『モオツァルト・無常という事』(新潮文庫)。私は若い頃、「小説の神様」志賀直哉の作品とは大いに親しんだが、小林秀雄の作品は啓して遠ざけていたところがあった。あまりに饒舌すぎる、才気走っていると感じていたのである。おそらくそこには一種の嫉妬もあったのだろう。いまは素直に楽しんで読める。
「自分は音楽家だから、思想や感情を音を使ってしか表現出来ない、とたどたどして筆で、モオツァルトは父親に書いている。ところが、このモオツァルトには分かり切った事柄が、次第に分からなくなって来るという風に、音楽の歴史は進んで行った。彼の死に続く、浪漫主義音楽の時代は音楽家の意識の最重要部分は、音で出来上がっているという、少なくとも当人にとっては自明な事柄が、見る見る曖昧になって行く時代とも定義出来る様に思う。音の世界に言葉が入って来た結果である。・・・(中略)・・・音楽の代りに、音楽の観念的解釈で頭を一杯にし、自他の音楽について、いよいよ雄弁に語る術を覚えた人々は、大管弦楽の雲の彼方に、モオツァルトの可愛らしい赤い上着がチラチラするのを眺めた。勿論、それは、彼らが、モオツァルトの為に新調してやったものであるったが、彼等には、そうとはどうしても思えなかった。あまりによく似合っていたから。時の勢いというものは、皆そういうものである。上着は、優美、均斉、快活、静穏等々のごく僅かばかりの言葉が出来ていたが、この失語症の神童には、いかにもしっくりとして見えたのである。其処に、「永遠の小児モオツァルト」という伝説が出来上る。彼が、驚くべき神童であった事は疑う余地がなく、従って、いろいろな伝説もこれに付き纏うわけだが、その中で最大のもの、一番真面目臭ったものは、恐らく彼が死ぬまで神童だったという伝説ではあるまいか。」(「モオツァルト」より)。
午後から大学へ。
昼食は東京駅から大手町まで歩く途中の「屏南」の担担麺。
テーブルの上に用意されている紙エプロンをして食べる。どんなに注意深く食べているつもりでも、食べ終わってみると、紙エプロンには飛んだ汁のあとがいくつか着いている。となりのテーブルのサラリーマンは紙エプロンをせずに麺を啜っているが、絶対、後悔するはずである。
食後のお茶は早稲田に着いてから「カフェゴト―」のココア。辛いものを食べた後は甘いものを飲む。自然の理である。
4時半から現代人間論系の教室会議。今日はこのために来た。
会議が始まる前の雑談のとき、私は他の先生方に、大学のトイレのウォシュレットの水と便座がまだ冷たいままのだが、一体、いつになったら温かくなるのでしょうと聞いてみた(空調と同じく集中管理なのだ)。ところが、驚いたことに、33号館(新棟)のトイレはすでに温かくなっているそうである。なぜ39号館はそうなっていないのだろう?トイレの度に文字通り冷水を浴びて心筋梗塞を起こしそうになるのですが。
会議はいつもより長引いた。
8時過ぎに大学を出る。今日は満月である。(土星ではありません)
ふと電車の中で、6月に健康上の理由で会社を辞めて地元に帰っていった卒業生のYさんのことが思い出されて、「どうしてますか?」とメールをする。
8時過ぎに帰宅。風呂を浴びてから夕食。
鮭とポテトと野菜のレンジ蒸し。
少しご飯をお替りして、お茶漬けで〆る。
Yさんから返信のメールが届く。
新しい勤め先が決まり、年明けから働き始めるそうである。内定をもらったのが一昨日で、ちょうど私に連絡しようとしていた矢先に私からメールが届いてびっくりしたそうである。はい、私にはそういう能力があるんです(笑)。
Yさん、今年は変化の多い年でしたが、来年は安定した年になりますように。