8時45分、起床。起床や就寝の時刻というのは30分単位で記すことが多いのだが、今日は8時半と9時のちょうど真ん中だったので(起きたとき枕元の時計を確認する習慣がある)、「8時45分、起床」とした。
炒飯、サラダ、冷茶、紅茶の朝食。朝食にご飯を食べることはめったにないが、冷蔵庫に昨日の昼食用に妻が作った炒飯が残っていたので。
今日の『半分、青い』。仙吉祖父さんが死んだ。昼寝をしているうちに亡くなった。一緒に寝ていた花野が気づかなかったのだから、痛みも苦しみもなかったのだろう。そういうことがあるというのは知っているが、実際、そうはないだろう。誰もが考える理想の死に方である。朝ドラは主人公が生まれてから中年あるいは老年までと長いスパンで展開するので、その間に、祖父母や父母(および彼らと同年代の登場人物)が亡くなることが普通だ。場合によっては夫や子も亡くなる(たとえば『わろてんか』や『ごちそうさん』)。朝ドラとはたくさんの死を含む物語なのだ。ただし、死そのものはあっさりと描かれる。それが朝ドラの流儀である。死と対峙する時間を重く描くことは朝の気分になじまないということもあるだろうが、人が老いて亡くなることは自然なことで、必要以上に深刻に描くことはないという一種の死生観も(ドラマの作り手の意識とは関係なく)そこに見てとることができる。『愛と死をみつめて』という昭和を代表するドラマがあるが、われわれは、もっと言えば近代社会は、愛と死を「過剰に」みつめてきたのではいだろうか。
「phono kafe」仲間のトモミさんと「西洋料理SUZUKI」にランチを食べに行く。彼女は蒲田の住人だが、私のブログにしばしば登場するこの洋食屋さんにまだ行ったことがないので、「連れて行って下さい」とリクエストされていたのである。
本日のランチはハンバーグとグラタン(ワンプレートに二種の料理が盛られている)だったが、アラカルトで注文する。
スープはビシソワーズ(ジャガイモの冷製ポタージュスープ)。
ビーフシチューと海老フライを注文(シャアしていただく)。私はパン、彼女はライス。
ビーフシチューはこの店の看板料理。私がパンをチョイスすることが多いのは、ソースまでしっかり食べたいから。
大きな海老フライは家では食べられない料理。私たちより後に来てランチを注文した隣のテーブルの3人客は、この海老フライを見て、「とても美味しそう!私たちも追加で海老フライを3本頼みます」と店の人に言った。「はい、とても美味しいですよ」と私は隣りのテーブルの客たちに言った。
私が尻尾まで食べるのを見て、「尻尾まで召上るんですね」とトモミさんが驚いたように言った。「はい、お好みでね。しっかり揚がっているから食べられますよ」と私は答えたが、彼女は尻尾は残した。ちなみに私は「天味」では海老の天ぷらも尻尾までいただく。
コーヒーとデザート。
「いつも同じですみません」とマダムが言ったが、そんなことはない。先週と同じだが、先々週はスイカでしたよね。そのうち葡萄が添えられるのはないかしら。
木曜日は「phono kafe」は昼のみの営業だが、午後3時半まではやっている。まだ時間は十分。これから行きましょう。
今日の彼女の装いは、ピンクの涼しげなブラウスとベルトがお洒落なデニムのスカート。中学校の家庭科の先生をしている彼女だが、「学校には着て行けない服が多くて・・・」とぼやいた。おそらくお子さん(現在1歳4か月)が生まれる前は週末の外出時に着ていく機会は多かったのだろう。
サンカマタ商店街の100円ショップ「キャン・ドゥ」に寄って、妻に頼まれていた洗面所に掛ける時計を購入。これが100円とは驚きである。
駅前の「キシフォト」に寄ってデジカメ用のSDカード(8メガ)を週末からの松本旅行に備えて購入。一枚980円は、さきほどの時計ほどではないが、やはり安い。
「phono kafe」では私はメロンとレモンのカキ氷を注文。
彼女は梅シロップのペリエ割り。
大原さんと3人でおしゃべり。
大原さんが常連客の住所を控えて高知に持って行くためのノート。先日来た私の中学時代の有人ワタナベ君も記帳していた。私も忘れないうちに書いておこう。
そろそろ閉店の3時半。店を出る前に大原さんに写真を撮っていただく。
中学は夏休みでも教師の夏休みは1週間ほどで、あとは必要に応じて有給をとって休む以外は、ほぼ学校に出る日々である。話には聞いているが、いろいろあるようである。これに小さなお子さんの世話が加わって、大変に忙しい毎日である。毎年つけていた日記も今年は時間がなくてつけていないそうである。私にとってブログや日記をつけることは精神的なゆとりのバロメーターなのだが、日記好きな彼女が日記をつけられないとは・・・。おそらく彼女のこれまでの人生でいまが一番忙しい。この忙しさはもうしばらく続き、二人目のお子さんをどうするかにもよるが、その後は日記をつけられるくらいのゆとりは取り戻されるのではなかろうか。とにかくいまが一番大変な時期である。でも、そういうときでも、彼女はカフェで過ごす時間を捻出し、お洒落を楽しむ気持ちを失わず、美味しいものを食べたいと思っている。これはいいことだし、とても大切なことだと思う。人生は苦しむためにあるわけではないからである。
「phonno kafe」が閉店してしまう前にまたカフェをご一緒して下さい。
夕食は缶詰の秋刀魚と青菜の炒め(缶詰の汁も使う)、
薩摩揚げ、
冷奴と納豆とオクラ、大根の味噌汁、ご飯。
深夜、ウォーキング&ジョギングに出たが、途中で雨が降ってきたので1キロほどで中止。天気予報どおりだった。
家に戻り、風呂を浴びてから、録画しておいた『ハゲタカ』(第5話)を観る。よく思うのだが、自宅にいるときの鷲津(綾野剛)を見てみたい。さすがに肩の力は抜いているのだろうか。
海外の大学院に留学中の卒業生のユリさん(論系ゼミ5期生)から久しぶりのメールが届いた。10月に東ティモールで「コーヒー×観光」のフィールドプロジェクト(卒業研究のようなものだろうか?)を計画中で、その費用を捻出するためクラウドファンディングを立ち上げたそうだ。元気そうでなによりだ。興味のある方は→こちら
2時、就寝。