フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月20日(水) 快晴

2006-09-21 01:51:03 | Weblog
  雲一つない秋晴れの一日だった。もし午前中に病院の予約が入っていなければ、鎌倉にでも行きたいところだった。10日前に排出された結石を医師に見せる。今回の結石も形状から、4月のときのものと同じく、昨年11月に受けた手術(左の尿管に停留していた大きな結石を破砕して除去した)のときの欠片が落ちてきたものと診断される。結石というやつは体内にあるときはいろいろな症状となって現れて鬱陶しいのだが、一旦排出されてしまえばそれが嘘のように消えてなくなる。きわめて単純明快な疾病なのだが、私の場合、レントゲンに写りにくいタイプなので(今回も排出される4日前に撮ったのに写ってなかった)、症状が結石のせいなのか別の原因があるのか判然としないので困るのである。せめてもの慰めは、前回の手術のときに施した尿管の狭窄箇所の拡張が上手くいって、破砕した結石の欠片が停留せずに排出されていることである。ジムで体を動かしていることも結石の停留の防止になっているようである(結石は一日中机に向かっている職業の人間に多いらしい)。妻は、「まだ欠片が残っているかもしれないから、せっせと運動して出しちゃいなさい」と言うが、症状が現れてから排出されるまでの期間が短期ですめばいいが、そうでないと辛い。いま抱えている原稿が一段落するまではあえて寝た子を起こすようなマネはしたくない。次回の排出というものがあるとするならば、来年の春休みあたりが望ましい。出産同様、結石も計画的に排出ができたらいいのだが。
  結石といえば、飼い猫のはるも結石が出来やすい体質で、もっとも猫は一般にそのようで、犬と違って猫はオシッコの回数が少ないために膀胱に結石が出来やすいのだそうである。今日、はるも病院で結石の検査を受けた(もちろん私と同じ病院ではない)。検査が少々苦痛を伴うものであったらしく、帰宅してから、ソファーの下に隠れてしばらく出てこなかった。いじけているというか、一時的な人間不信に陥っているのである。しかしそこは同じ疾病を抱えている者同士、私が「はる」と呼びかけると、しだいに心を開いてソファーの下から顔を出した。明日になれば今日あった嫌なことは忘れているだろう。そうでなかったら猫はあんなに気持ちよさそうに居眠りができるはずがない。

          
                   同病相憐れむ

9月19日(火) 曇り一時雨

2006-09-20 03:58:37 | Weblog
  終日、論文の執筆。思ったより苦戦し、やっとこさで7枚書いた。夕食の後に加山雄三主演『海の若大将』(1965年)のDVDを観なければ、10枚書けたかもしれない。いや、案外、そうやって息抜きをしたから深夜にペースが上がって、なんとか7枚まで行けたのかも知れない。
  『海の若大将』のラストでオーストラリアに留学する若大将の壮行会の会場は横浜プリンスホテルの庭園であったが、8月6日に観た植木等主演の『ニッポン無責任時代』(1962年)のラストの結婚披露宴の場面で使われていたのがやはり横浜プリンスホテルの庭園であった。たぶん東宝とプリンスホテルはタイアップしているのだろう。これまで注意して観ていなかったが、『日本一の大学』に出て来た芦ノ湖畔のホテルも、『銀座の若大将』に出て来た万座のゲレンデのホテルも、きっとプリンスホテルに違いない。考えてみると、東宝とプリンスホテルは戦後日本のレジャー空間の中で類似のポジションに位置してきたのではないだろうか。明るく楽しい東宝映画と庶民でも手が届く高さのちょっとリッチなプリンスホテル。一言でいえば、小市民的なレジャー空間。わが家も子供たちが中学生の頃に大学の教職員組合のスキー教室で何度か軽井沢プリンスホテルを利用したが、「バイキング料理」の質が他のホテルに比べて高かった。高度成長期とそれに続く安定成長期、あの時代の雰囲気を東宝映画とプリンスホテルは代表しているように思う。

          
         端役ですが藤山陽子はきれいな女優さんでした

9月18日(月) 曇りのち晴れ

2006-09-19 00:37:43 | Weblog
  昼から大学へ。祝日だが「五郎八」が開いていたので昼食をとりに入る。天せいろを注文。カウンターの中の女性が申し訳なさそうに、「すみません。今月から1200円になりまして…」と言う。品書きを見ると、確かに、他のものはそのままで天せいろだけ100円の値上げになっている。なんだろう、海老の仕入れ値が上がったのだろうか。「はい、わかりました」と言って、もちろん注文はそのまま。この日初めての天ぷらの注文だったようで、少々時間がかかる。電車の中で読んでいた清水幾太郎『現代思想入門』(1959年)所収の「テレヴィジョン時代」の続きを読みながら待つ。

  「読書活動とは、人間がリアリティに乏しい活字に生命を吹き込んで、自分でリアリティらしいものを作り上げる作業である。…(中略)…人間がイメージを作ることが出来れば、読書活動は峠を越えたのである。読書活動の最後にイメージが立っている。しかし、テレヴィジョンの視聴活動は、読書の終わりに現れるイメージから始まる。」(263頁)

  「私にとっては、肝腎の書物が与えようとしている観念よりも、それに触発されて現れる副産物の方が貴重である場合が多い。主産物の追求がなければ、副産物の発生もないであろうが、精神的緊張のチャンスが欲しいために読書活動を行ったということも私には幾度がある。いや、それも私に限ったことではないであろう。つまり、読みながら考えるという平凡な方法である。
  言うまでもなく、テレヴィジョンの享受の場合は、非常な努力が不必要である反面、こういう副産物を恵まれることも困難である。そういう余地がないのである。」(269頁)

  日本でテレビの本放送が始まって5年目くらいに書かれた文章で、社会学者の書いたテレビ論としては初期のものである。ケータイやインターネットのときもそうであったが、新しいメディアが登場したばかりのときは、そのメディアが有しているさまざまな可能性のうちのマイナスの可能性にインテリは着目しやすい。清水のテレビ論も例外ではない。テレビと書物という新旧のメディアの比較を通じてテレビは損な役回りを演じさせられている。インテリの棲息する活字の世界を映像の世界の侵略から守ろうとする姿勢が見てとれる。
  思い出してみると、私が最初に読んだ清水の本は『本はどう読むか』(講談社現代新書、1972年)であった。私が高校3年生のときに出た本だが、読んだのは大学3年生の夏である。記憶力がいいわけではなく、本の裏表紙に「1975.7.16 21才」と読了の日付と年齢が記入されているのである。これは学生時代から現在に至る私の習慣である。「7月16日」というのは、現在の文学部ではこれから試験が始まる時期だが、当時は夏休みの最初の一日であった。たぶん夏休みには大いに読書をしようと意気込んで、手始めに読書術の本を手に取ったのであろう。よほど面白かったようで、読了の日付と年齢の他に、感想メモが記されている。

  「この本は題名だけ見ると、いわゆる『読書術』の本に思え、事実、私もそう思っていたのであるが、それがとんでもない間違いで、実は著者の自伝であり、同時代史であり、社会学序説であり、人生論であり、文明批評であるところのエッセーである。」

  いまから思えば、この本を読んだことで、その後の私の人生のある側面が決定したのである。そして、いま、はたと気づいたのだが、この年の4月に後に私の妻となる女性が都立小山台高校に入学しバドミントン班に入っている。つまり私の人生の別の側面もこのとき静かに準備されていたのである。1975年は、人類の歴史から見ると平凡な1年に過ぎないけれども、私の人生にとっては重大な1年だったのである。
  午後、本日行われた大学院の修士の入学試験の採点。自分のやっている作業が、誰かの人生のこれからを多かれ少なかれ左右しているのだと思うと、神妙な気持になる。
  帰路、ケーキと花束を購入。今日は敬老の日である。娘も大学(サークル活動)の帰りにケーキと花束を買って来た。私のは赤いバラで娘のはピンクのカーネーションとひまわりだった。夕飯は松茸御飯と天ぷら。昼に続いての天ぷらだが、好物なので飽きない。デザートは娘の買った来たケーキ。私の買って来たケーキは明日に回された。

       
                  今日の夕焼けは格別だった

9月17日(日) 曇りのち小雨

2006-09-18 02:38:35 | Weblog
  7時、起床。ベーコン・エッグ、トースト、牛乳の朝食。明日は大学院の修士課程の入試があって大学に出るのだが、ついでに他の会合もセッティングされていて、午前中はその会合に持っていく資料の作成。昼食はインスタントラーメン(サッポロ一番塩ラーメン)に豚肉と白菜の炒めをタップリのせて。熱いものが美味しい季節になった。午後は論文のこれまで書いた3章分の手直し。荒削りの部分に紙ヤスリを丁寧にかける。スイスイ書けているときというのは、後から読み返すと、たいてい冗長なのである。夕方、傘を差して散歩に出る。シャノアールで持参した清水の論文「大衆社会論の勝利-安保改定阻止闘争の中で」(1960年10月)を読む。くまざわ書店に行って、以下の本を購入。

  山田昌弘『新平等社会』(文藝春秋)
  松沢弘陽・植手通有編『丸山真男回顧談』上(岩波書店)
  W.バーンスタイン『「豊かさ」の誕生』(日本経済新聞社)

  くまざわ書店(蒲田店)の特色の一つは、文庫と新書の品揃えが充実していることである。岩波文庫・中公文庫・ちくま文庫・講談社学術文庫・講談社文芸文庫などはある程度大きな書店なら必ず置いてあるが、一応置いてありますという程度の品揃えの書店が実に多い。しかるにここでは、各文庫の現在入手可能なものはできる限り揃えておこうと努めているところが素晴らしい。当然、そのためには大きな空間が必要である。しかしここの売り場面積はそれほど広くはない。では、どうしているのかといえば、写真で見る通り、書架を高くしているのである。最近の大型書店では書架を低くするのが流行である。そうすることで、第一に、書店全体が見渡せ広々とした感じが出て、第二に、万引き防止の効果があるのだろう。くまざわ書店(蒲田店)の方針はそれとは逆行しており、図書館の書庫の中にいるようである。写真右側の書架は岩波文庫とちくま文庫で占められている。左側の書架には講談社文芸文庫、中公文庫、講談社学術文庫が並んでいる。文庫好きにはたまらない一区画である。

          
                  老舗文庫の空間

      
            中公文庫と講談社学術文庫がこんなに!

9月16日(土) 晴れたり曇ったり

2006-09-17 03:10:22 | Weblog
  穏やかな秋の一日だった。昼間はずっと書斎に籠もって論文の執筆。タイトルは「清水幾太郎における『庶民』のゆくえ」にほぼ決定。5章立ての3章まで書き終わる。5章立ての論文の場合、2章と3章が峠である。そこを越えると、それまでの議論の流れや残りの紙幅の制約上、もうコースが変化する余地はあまりなくて、後の4章と5章はほぼ道なりに書き進めていけばよい。いつもの夕方の散歩は、せっかく活性化している脳細胞が沈静化してしまうといけないので今日は取り止めて、3階のベランダからしばし夕日を眺めるだけにした。

        
                    秋の陽はつるべ落とし

  風呂から出て、夕食の時間になるのをのんびり待っているときに、事件は起こった。飼い猫のはるが屋外に逃亡したのである。正確に言えば、逃亡したことが発覚したのである。夕食の餌を与えようとして、「はる~」と呼んでも、いつものように姿を現さないのである。最初、三階建の家の中のどこかに潜んでいるはずと高をくくっていたのだが、そういう場合に鳴らせば飛んでくる小さな鈴の音にも何の反応もないので、これはもしかしたら…と、逃亡の可能性が否定できなくなった。みんなで手分けして「はる~、はる~」と名前を呼びながら近所を探す。しかし、すでに陽は沈んでいて、路上はまだしも、人家の庭や、人家と塀の間の隙間といった猫の潜んでいそうな場所は暗がりになっている。しかも逃亡してからかなり時間が経っているようなので、わが家の周辺にはもういないかもしれない。猫は犬と違って迷子になりやすい。ましてわが家の猫は屋外はまったくの初心者である。夕食の後、もう一度みんなで探し、それでも見つからなければ、明日、「迷子の猫探してます」の貼り紙をあちこちに貼ろう、迷い猫を探すのが得意な探偵というのもいるらしいから依頼してみるかと考えていた矢先、祖母と隣のおばさんの二人組が近所の家の庭先に潜んでいたはるを発見した。近所でよく見かける野良猫が「ウー」と唸っているので行ってみると、そこにはるがいて、「ウー」と唸り返していたのである。すぐに私と息子が駆けつけて、人家と塀の隙間に逃げ込んだはるを前後から追い詰めて、最後は私が押さえつけて捕まえた。捕まったはるは不本意であったらしく、「ウー」と唸り続けていたが、息子は私に「噛まれても、引っ掻かれても、絶対に離しちゃダメだ」と言った。自宅に連れ帰ったはるは、長時間の散歩に満足したのか疲れたのか、食事の後、干したばかりのほの温かい蒲団の上に横になってすやすやと寝てしまった。

          
                 やっぱり我が家が一番