9時起床。コンビニでオレンジジュースを買ってきて、ベーコン&エッグとトーストの朝食。武満徹のマネをして、仕事を始める前に音楽を聴く。武満の場合はバッハの『マタイ受難曲』を30分ほど聴いたのだが、そんなにゆったり構えてはいられないので、全部聴いても7分のパーセルの「シャコンヌ ト短調」(ブリテン指揮、イギリス室内管弦楽団)を聴く。この曲は、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」を聴きたくて購入したCD「弦楽のためのイギリス音楽」の冒頭に収められていたもので、初めて聴いた(と思う)のだが、その崇高さは感動的である。「シンプル・シンフォニー」も好きだが、こちらの方がもっといい。
午後、昼食とジムでのトレーニングのために外出。今日はまた一段と暑い(あとから37度あったと知る)。「寿々喜」で鰻重を食べようと思っていたのだが、店の前まで行ってみると休業(お盆休みの代休らしい)の貼り紙がしてあった。この暑さの中、歩き回るのはいやだったので、近くの中華飯店に飛び込んで、ラーメンと半チャーハンのセットを注文した。そんなに遅い時間帯ではなかったが、客は私一人で、これでは味の方はあまり期待できないなと思った。ありがたかったのは氷のたっぷり入ったお冷やを大きなグラスでもってきてくれたこと。ラーメンと半チャーハンの味は案の定並のものであったが、私としてはこの冷水のグラスだけでこの店に合格点を与えてもよいと思った。それほどの暑さなのだ。
食後の珈琲は「ドルチェ」で。持参した『漱石文明論集』(岩波文庫)所収の「私の個人主義」を読む。午前中、清水幾太郎『日本文化形態論』(昭和11年)の中の一編、漱石の個人主義を批判的に論じた「自己本位の立場」を読んだので、いってみれば、その裏を取るためである。
「けれども聡明な漱石は個人主義の持つ淋しさを感ぜずにはいられなかった。・・・(中略)・・・淋しさを伴う個人主義はヨーロッパ風な個人主義から遙かに遠ざかったものであると見ねばならぬ。由来近世思想としての個人主義においては各個人を通じて存する普遍者が認められ、逆に個人はこの普遍者を自己の内部に有することによって正に個人たり得るのであって、社会は常にこの抽象的普遍者を中心として考えられておったのである。従って個人が自己において承認することは必ず他の諸個人全体にすわなち社会そのものにおいて承認されるという約束と安心とがあったと言わねばならぬ。そこでは自己のモラルは同時にエトスを内部から支えるものであった。そうでなくしてはもともと個人主義が社会理論としての資格において現れることは出来なかったと見ることが出来よう。しかるに漱石の個人主義にあってはそのような約束と安心とが完全に欠けているのである。彼の多くの小説は親に兄弟に妻に友人に理解されぬ漱石の姿を示しておらぬであろうか。」(清水、292-293頁)
個人主義は党派心の対岸にあるものなので、そこには人に知られない淋しさが潜んでいることを漱石は指摘していて、前期の授業「現代人の精神構造」の中で安藤先生もこの点に言及していた。清水の漱石理解の是非については、今度、安藤先生に伺ってみよう。
3時からジムへ。筋トレを3セットとウォーキング&ランニングを60分。最初の20分は時速6.1キロ、続く20分は時速6.5キロ、最後の20分は時速8キロのランニングと時速6.5キロのウォーキングを混ぜて。ウォーキングとランニングの違いは、常にどちらかの足が地面に着いているか(ウォーキング)、両足が地面から離れている瞬間があるか(ランニング)であるが、時速6.5キロというのはウォーキングの上限ギリギリである。同僚の嶋先生はジムでトレーニングをするとき、この時速6.5キロでウォーキングをするという話を伺った。負けてはいられない。
トレーニングを終えて、井筒屋でかき氷を食べようと思って行ってみたら、閉まっている。シャッターに葬儀の日取りの貼り紙がしてあった。どなたが亡くなったのであろうか・・・。喫茶店に入ろうかと思ったが、気持ちのよい風が吹いていたので、路上の自販機で買った冷たい飲み物をアロマスケアビルの前の公園のベンチで飲むことにした。見上げると、鱗雲が浮かんでいた。
アロマスケアビル一階の福家書店で丸谷才一の最新エッセー集『袖のボタン』(朝日新聞社)を購入。最後の一編「岩波文庫創刊80年」の冒頭に「わたしは新刊書の小売店を二種に分けてゐる。岩波文庫を置いてゐる店と置いてない店と。そして前者が上と思つている」と書いてある。実は、福家書店は「岩波文庫を置いてない店」なのである。けっこうな売場面積の書店なのに情けない・・・。ただし、申し訳程度の品揃えだが岩波新書は置いている。最近、置き始めたようで、「岩波新書始めました」という表示がしてあるのが可笑しい。まるで「冷やし中華始めました」みたいじゃないか。
深夜、NHKの歌番組「SONGS」を視聴。今回のゲストは徳永英明。最近出したCD「ヴォーカリスト3」の宣伝とタイアップしているのが見え見えだが、竹内まりやのときと違って、ビデオクリップなんぞは使わず、全部の曲をスタジオでちゃんと歌っていたのは偉い。