フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月26日(日) 晴れ

2007-08-27 02:33:06 | Weblog
  8月もいよいよ最後の週である。週間予報によれば、明日の月曜日は晴れるものの、以後は曇りと雨のマークが続く。予想最高気温も「29度」と30度を切っている。猛暑もとうとう終わるのか・・・。そう思うと、なんだか淋しい。9月になって、爽やかな晴天の日に、海の家の消えた鎌倉の材木座海岸へ行こう。
  今日の夕食は秋刀魚。初ものである。大根おろしに醤油で食べる。旨い。食後、『007 カジノロワイヤル』をDVDで観る。6代目ボンドのダニエル・クレイグがいい。人間的なところとロボット的なところを半々に備えていて、まさにサイボーグ007という雰囲気だ。相手役のエヴァ・グリーンも魅力的だ。ボンドガールというとグラマラスな女優が多いのだが、彼女は知的な美貌の持ち主で、英国財務省のキャリアという役所がピッタリだった。映画は人間ドラマとアクションの両方を兼ね備えていて、見ごたえがあった。2時間25分の長尺ものだが、緩むところがなかった。5点満点で4点。

8月25日(土) 晴れ

2007-08-26 02:07:05 | Weblog
  初台の新国立劇場オペラ劇場で牧阿佐美バレエ団の公演「アビアント」を観た。「アビアント」は牧阿佐美バレエ団のオリジナルで、故高円宮憲仁親王の追悼作品として昨年初演され、今回はその改訂新製作とのことである。原作台本が島田雅彦、作曲が三枝成彰、音楽が大友直人指揮の新日本フィルハーモニー交響楽団、と豪華(異色?)なスタッフである。
  話には聞いていたが、素晴らしい劇場である。座席も前から4列目で申し分ない。6月に五反田のゆうぽうと簡易保険ホールで「眠れる森の美女」を観たときとは違って、今日はダンサーひとりひとりの表情もはっきりと見て取れる。しかし、にもかかわらず、公演中、何度かウトウトしてしまった。音楽が心地よかったということもあるかもしれないが、主演の二人(ロバート・テューズリーと田中祐子)の踊りが目を見張るほどのものではなかったからだ。デューズリーはプログラムの写真(去年のものだろうか)よりも肥えた感じで、颯爽としたはかなさといったものが感じられない。これなら逸見智彦(黒服の男を演じていた)の方がよかったのではないかと思う。田中祐子は牧阿佐美バレエ団のトップダンサーであるから、こういう大舞台で主役を張るのは当然なのだろうが、年齢的なかげりはいかんともしがたい。哀しみに打ちひしがれて踊る場面はとても美しいのだが、喜びに満ちて踊る場面では輝きが不足している。若手のツートップ、伊藤友季子と青山季可が登場する場面はほんの少ししかなくて、それを楽しみにしていた私には物足りなかったが(多くの観客もそうだろうと思う)、二人が登場したときのハッとするほどの輝きは、だからこそ二人の登場する場面は少なく抑えられているのだと逆説的に理解せざるをえないものがあった。出番の多いダンサーの中で、一番充実した踊りをしていたのは、冥界の女王を演じた吉岡まなみと娼婦を演じた橋本尚美の二人だろう。
  次回の牧阿佐美バレエ団の公演は10月20日・21日(ゆうぽうとホール)の「ヴァンティアン:スターレット」で、これは若手中心の公演である。いまから楽しみだ。

8月24日(金) 曇り

2007-08-25 02:20:02 | Weblog
  弘前大学で講師をしているT君が東京に出てくるというので、大学で会うことにする。昼食は彼が学生時代から足しげく通っている「メルシー」で食べようということになっているので、午後、昼飯はとらずに自宅を出る。
  出がけに読み始めた吉田秀和の「モーツァルトのコンチェルト」という文章が面白くて、続きは帰ってきてからというわけにはいかなくなり、重いのは承知で、それが収められている『吉田秀和全集1』(白水社)をショルダーバッグに入れていく。京浜東北線の車内で読み、東西線の大手町のホームでも電車を待ちながら立ったまま読んでいたら、電車が到着したので、本を閉じて車両に近づいたところ、ドアが開くことなく、そのまま発車してしまった(!)。でも、周りの人は何事もなかったような顔をしている。あれれと思って、すぐにわかった。本を読んでいてホームに電車が到着したことに気づかなかったのだ。電車到着、ドアが開く、客が降り、客が乗り、ドアが閉まる・・・ようやくこの時点で私はホームに止まっている電車に気づいたのだ。車内で読書をしていて駅を乗り越すことはたまにあるが、ホームで立ったまま本を読んでいて、電車に乗りそこなったのは初めてである。それだけ「モーツァルトのコンチェルト」が面白かったということである。
  キャンパスでは31号館高層棟の取り壊し作業が始まっているものと思っていたが、それは私の思い違いで、高層棟はまだちゃんとそこにあった。教員ロビーにも通常の入り口から入れた(明日からは入れなくなる)。大学へ来るのは2週間ぶりで、メールボックスには何通か私信が届いていた。夏休み中でも教員は毎日大学へ来ていると思っている方もいるのである。急いで返信を書かなくては・・・。
  T君が東京駅から研究室に直行でやってきたのは午後3時近かった。お土産に「しかないせんべい」をいただく。「しがない」せんべいではなくて(失礼な!)、「しかない(鹿内)せんべい」である。弘前の名産品で、T君はいつもこれをお土産として活用しているそうだ。あとから食べたらものすごく美味しかった。さくらSENBEI、こあき、らぷる、という3種類の品が入っていたが、私はとくに桜の花の塩漬を薄い煎餅の中に封じ込めた、上品な甘味と塩味のさくらSENBEIが気に入った。もし私が将来とんねるずの「食わず嫌い王決定戦」に出演することがあれば、「しかないせんべい」をお土産の一品にしようと決めた。対戦相手の鶴田真由さんにもさしあげよう。きっと気に入ってもらえるはずだ。
  「メルシー」で昼食。私はチャーハン、T君はもやしそば。食後の珈琲は「カフェ・ゴトー」で。あれこれ話をしたが、今日、彼から聞いた話で一番面白かったのは、彼は好きな女性と食事をすると食べものが喉を通らなくなるという話。へえ~、本当にいるんだ、そんな一昔前のTVドラマに出てくるような青年が。しかし、教え子の悩みをただ笑って聞いているわけにもいかないので、もしそういう場面になったら、そのことを相手に気づかれまいと悪戦苦闘しないで、正直に相手に話せばいい、相手もきっと悪い気はしないはずだから(か、かわいい、この人! と思ってもらえるかもしれない)、とアドバイスをしておく。
  帰り道、丸善丸の内店に寄って、文具コーナーで特売品のメモ帳を購入。表紙が四角い窓のように切り抜かれて、そこに紙細工の紫の花が置かれている(窓にはビニールが貼られている)。机の上に立てておけば飾りにもなる。300円で購入。蒲田に着いてから、新星堂でモーツァルトのピアノ協奏曲第9番(K.271)の入ったCDを探す。「モーツァルトのコンチェルト」で取り上げられていた作品である。モーツァルトのCDはたくさんあるが、ピアノ協奏曲第9番が入っているCDは一枚しかなかった。ゲザ・アンダの指揮(ピアノも)、ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団の演奏で、ピアノ協奏曲第8番と一緒になっていた。帰宅してさっそく第9番を聴く。これまで20番台の作品ばかり聴いていたが、初期の作品にもこんなにいいものがあったのかと、遅まきながら知る。

           

8月23日(木) 曇り

2007-08-24 02:00:57 | Weblog
  今日はしのぎやすい一日だったが、連日の猛暑がボディーブローのように少しずつ効いてきたのだろうか、集中力がいまひとつである。マックスを10とすると、5くらいのレベルしかない。欽ちゃんの仮装大賞に喩えれば、合格ライン(15点)のはるか手前、8点あたりで「カーン」と鐘がなって、これでは小さな子どもが泣きべそをかいてみせても、お情けであと2つほど電球が点くのが関の山、箸にも棒にもかかりんませんから、とっととお帰り、というレベルである。目の前を流れていく時間をぼんやりとながめている。アニマル浜口を呼んできて、「気合だー!」と叫んでもらいたいところだが、まあ、長い夏休み、中だるみというのはあるもので、しょうがないことなのだ、と辞任した大臣のようにつぶやいてみる。
  午後、遅い昼食をとりがてら、自転車に乗って郵便局へ。昔の通帳を廃棄して、そこに残っていた500円ほどの貯金を引き出す。要するにそれだけのことなのだが、通帳そのものを紛失してしまったがために、あれこれ手続きに時間を要した。何度か、もうそのお金は要りませんからと言いそうになったが、1円を笑うものは1円に泣くのですと子どもの頃から教えられて育ったから、忍従の末、現金を手にする。そのお金は、本門寺門前の蕎麦屋で食べた特にどうってことのない天せいろの代金の一部に使われた。デザートは「甘味あらい」で贅沢あんみつ。先日、初めて来たときと違って、今日はしみじみと賞味することができた。求肥を美味しいと思ったことは我が人生で初めての経験ではなかろうか。ご馳走様でした。
  蝉の声を聞きながら、加藤清正が寄進したと伝えられる本門寺の96段の階段を登り、仁王門をくぐる。境内に人影はまばらである。本殿でお賽銭百円を投じてから、さて、何をお祈りしようか考え、「万事うまく行きますように」と祈る。「万事」なのだから漏れはないはずである。

           

           

           

  帰宅して、窓の外を見ると、今日は曇りがちの一日ではあったが、夕焼けが美しかった。明日は我が残りの人生の最初の一日と心得て(これは誰にとってもそうであるが)、集中力を高めて仕事に取り組むことにしよう。

           
  

8月22日(水) 晴れ

2007-08-23 02:48:08 | Weblog
  9時起床。コンビニでオレンジジュースを買ってきて、ベーコン&エッグとトーストの朝食。武満徹のマネをして、仕事を始める前に音楽を聴く。武満の場合はバッハの『マタイ受難曲』を30分ほど聴いたのだが、そんなにゆったり構えてはいられないので、全部聴いても7分のパーセルの「シャコンヌ ト短調」(ブリテン指揮、イギリス室内管弦楽団)を聴く。この曲は、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」を聴きたくて購入したCD「弦楽のためのイギリス音楽」の冒頭に収められていたもので、初めて聴いた(と思う)のだが、その崇高さは感動的である。「シンプル・シンフォニー」も好きだが、こちらの方がもっといい。
  午後、昼食とジムでのトレーニングのために外出。今日はまた一段と暑い(あとから37度あったと知る)。「寿々喜」で鰻重を食べようと思っていたのだが、店の前まで行ってみると休業(お盆休みの代休らしい)の貼り紙がしてあった。この暑さの中、歩き回るのはいやだったので、近くの中華飯店に飛び込んで、ラーメンと半チャーハンのセットを注文した。そんなに遅い時間帯ではなかったが、客は私一人で、これでは味の方はあまり期待できないなと思った。ありがたかったのは氷のたっぷり入ったお冷やを大きなグラスでもってきてくれたこと。ラーメンと半チャーハンの味は案の定並のものであったが、私としてはこの冷水のグラスだけでこの店に合格点を与えてもよいと思った。それほどの暑さなのだ。
  食後の珈琲は「ドルチェ」で。持参した『漱石文明論集』(岩波文庫)所収の「私の個人主義」を読む。午前中、清水幾太郎『日本文化形態論』(昭和11年)の中の一編、漱石の個人主義を批判的に論じた「自己本位の立場」を読んだので、いってみれば、その裏を取るためである。

           

  「けれども聡明な漱石は個人主義の持つ淋しさを感ぜずにはいられなかった。・・・(中略)・・・淋しさを伴う個人主義はヨーロッパ風な個人主義から遙かに遠ざかったものであると見ねばならぬ。由来近世思想としての個人主義においては各個人を通じて存する普遍者が認められ、逆に個人はこの普遍者を自己の内部に有することによって正に個人たり得るのであって、社会は常にこの抽象的普遍者を中心として考えられておったのである。従って個人が自己において承認することは必ず他の諸個人全体にすわなち社会そのものにおいて承認されるという約束と安心とがあったと言わねばならぬ。そこでは自己のモラルは同時にエトスを内部から支えるものであった。そうでなくしてはもともと個人主義が社会理論としての資格において現れることは出来なかったと見ることが出来よう。しかるに漱石の個人主義にあってはそのような約束と安心とが完全に欠けているのである。彼の多くの小説は親に兄弟に妻に友人に理解されぬ漱石の姿を示しておらぬであろうか。」(清水、292-293頁)

  個人主義は党派心の対岸にあるものなので、そこには人に知られない淋しさが潜んでいることを漱石は指摘していて、前期の授業「現代人の精神構造」の中で安藤先生もこの点に言及していた。清水の漱石理解の是非については、今度、安藤先生に伺ってみよう。
  3時からジムへ。筋トレを3セットとウォーキング&ランニングを60分。最初の20分は時速6.1キロ、続く20分は時速6.5キロ、最後の20分は時速8キロのランニングと時速6.5キロのウォーキングを混ぜて。ウォーキングとランニングの違いは、常にどちらかの足が地面に着いているか(ウォーキング)、両足が地面から離れている瞬間があるか(ランニング)であるが、時速6.5キロというのはウォーキングの上限ギリギリである。同僚の嶋先生はジムでトレーニングをするとき、この時速6.5キロでウォーキングをするという話を伺った。負けてはいられない。
  トレーニングを終えて、井筒屋でかき氷を食べようと思って行ってみたら、閉まっている。シャッターに葬儀の日取りの貼り紙がしてあった。どなたが亡くなったのであろうか・・・。喫茶店に入ろうかと思ったが、気持ちのよい風が吹いていたので、路上の自販機で買った冷たい飲み物をアロマスケアビルの前の公園のベンチで飲むことにした。見上げると、鱗雲が浮かんでいた。

           

           

  アロマスケアビル一階の福家書店で丸谷才一の最新エッセー集『袖のボタン』(朝日新聞社)を購入。最後の一編「岩波文庫創刊80年」の冒頭に「わたしは新刊書の小売店を二種に分けてゐる。岩波文庫を置いてゐる店と置いてない店と。そして前者が上と思つている」と書いてある。実は、福家書店は「岩波文庫を置いてない店」なのである。けっこうな売場面積の書店なのに情けない・・・。ただし、申し訳程度の品揃えだが岩波新書は置いている。最近、置き始めたようで、「岩波新書始めました」という表示がしてあるのが可笑しい。まるで「冷やし中華始めました」みたいじゃないか。
           
           

  深夜、NHKの歌番組「SONGS」を視聴。今回のゲストは徳永英明。最近出したCD「ヴォーカリスト3」の宣伝とタイアップしているのが見え見えだが、竹内まりやのときと違って、ビデオクリップなんぞは使わず、全部の曲をスタジオでちゃんと歌っていたのは偉い。