フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月21日(火) 晴れ

2007-08-22 01:28:15 | Weblog
  朝、いきなりパソコンがフリーズした。スイッチを入れて、富士通のロゴの画面が出て、そこでフリーズしてしまったのだ(ウィンドウズの画面に行く手前で)。強制終了して、何度か試しても、同じところでフリーズしてしまう。修理か、困ったな。おまけにハードディスクの初期化なんてことになったら、バックアップをとっていないデータがいくつかあるのだ。やれやれ、とため息をつきつつ、とりあえず故障・修理の受付に電話をかける。10分ほどでつながり、事情を説明すると、パソコンの電源コード等のすべてのコードを引き抜いて、1分ほど待ってから(放電をしてから)スイッチを入れてみてくださいと言われ、言われたとおりにしたら、復旧した。ああ、助かった。
  昼食の後、ジムに行こうか、『ダ・ヴィンチ・コード』をDVDで観ようか、しばし考えて、DVDにする。2時間25分の映画を最後まで飽きずに観たわけだから娯楽品としては合格なのだが、キリスト教や西洋の歴史についての一定レベルの教養が必要とはいえ、全体の印象としては、TVの2時間ドラマの豪華版みたいな映画だ。スケールが大きな話のように見えて、実はこけおどしというか、安普請というか、そういう感触がぬぐえない。それになにより、マグダラのマリアの話が出てきたあたりで、キリストの末裔が誰か察しがついてしまうところがサスペンス映画としては致命的である(これは別に私の勘が鋭いわけではなく、もし末裔がいるとすれば、それらしき人物は「この人」しかいないだろうと半分くらいの人はわかってしまうのではなかろうか)。評価は5点満点の3.5点。
  夕方、散歩に出る。いま近所のあちこちに空き地が出現している。ミニ・バブル的風景だ。それまであった建物を壊して、新しい建物を建てるまでの間の、しばしの時間に、真夏の日差しを浴びて雑草が生えてくる。その生命力には感心する。空き地の周りには縄が張られているが、入る気になれば、簡単にまたげてしまう。しかし、誰も立ち入らない。子どもたちさえもだ。空き地で遊ぶという子どものDNAは消滅してしまったのだろうか。たくましいのは雑草だけだ。

       

  ルノアールで1時間ほど読書。帰りに東急プラザで、まぐろの角煮(朝食用)、焼き鳥(夕食のプラス一品用)、おはぎ(夕食のデザート)を購入。デパートの地下の惣菜コーナーには買って帰りたいものがたくさんある。崎陽軒のシューマンなんかはかなり食指が動いたが、妻の手料理がかすんでしまったら元も子もないので、焼き鳥(一人二串)だけにしておいた。夕食の献立は聞いていなかったが、麻婆春雨と豚肉とアスパラの炒めであった。中華であれば、崎陽軒のシューマイもOKだったかもしれない。焼き鳥好きの息子は「もっと焼き鳥が食べたいな」と言った。では、今度は、昼飯に一人五串ほど買ってきて、焼き鳥丼にしようか。

8月20日(月) 晴れ

2007-08-21 02:32:56 | Weblog
  本格的に夏休みが始まってから3週目。休み中の計画の見直しをする。一日をいくつかのパートに分けて、複数のプロジェクトに同時進行で取り組んでいるのだが、プロジェクト間の進捗状況の差が目立ってきたのだ。一日の早い時間帯のプロジェクトは進行しているが、遅い時間帯のプロジェクトは遅滞している。これは時間がおせおせになるためである。これからは決まった時間が来たら、たとえ切りが悪くても、そのプロジェクトの今日の作業はお仕舞いにして、次のプロジェクトにとりかかるようにしよう。要するに、「5枚書く」や「30頁読む」という成果主義ではなく、「3時間書く」や「2時間読む」という時間主義でいくということ。
  卒業生のHさんから「ご報告」というメールが届き、開いてみたら、結婚することになりましたという内容だった。そろそろそういう時期かなと思っていたところだった。お相手は同じテレビ局の政治部の記者だそうだ。多忙な夫婦となることだろう。夫唱婦随ではなく、男女共同参画で家庭の構築に取り組んでほしいものである。Hさんの卒論のテーマは「沖縄と観光」であったが、新婚旅行も沖縄なのだろうか。目鼻立ちのはっきりした美人だから、ウェディングドレスはさぞかし映えるだろう。
  夕食にはワインを飲んだ。私は下戸なのだが、それをご存じない方から、たまにワインをいただく。猫に小判なのだが、近々、その方と会うことになっているので、「あのワインはお口に合いましたか?」と聞かれたときに「まだ飲んでおりません」では失礼だろうと思い、今夜、飲むことにしたのである。もちろん私一人で飲めるわけはなく、妻子にも付き合ってもらう。クラッカーに生ハム、いくら、チーズ、アボガドなどをのせたものをつまみにする。ワインは赤と白をいただいたのだが、今日は白を冷やして飲む。口当たりはいい。ビールやウィスキーや日本酒よりは美味しい。でも、小振りのワイングラス2杯で酔いが回った。妻は3杯飲んだ。息子は一口飲んだだけで、それ以上は飲まず、つまみばかり食べていた。娘はわが家で一番いける口だが、今夜は高校時代の先生や友人との飲み会があって、帰りは深夜になる(生ハムとワインを残しておいてくれるようにメールが入っている)。私はアルコールを分解する酵素が体内にないのではないかと思う。たちまち顔が真っ赤になり、醒めるまでにかなりの時間を必要とする。夕食を終えたのが8時ごろだったが、机に向かって仕事ができるようになったのは11時過ぎであった。それでも寝てしまわないだけ偉かった。一仕事終えたような気分だ。でも、まだ赤が残っている。ふぅ。

       
                  プロジェクト推進本部 

8月19日(日) 晴れ

2007-08-20 02:02:49 | Weblog
  昨日購入した岩城宏之『音の影』(文春文庫)を読み始めたら、すでにどこかで読んで知っているエピソードが立て続けに出てきた。あれ、どうしてだろうと思ったら、何のことはない、同じ本をすでに単行本(2004年刊)でもっているのだ。こういう場合、「歳をとって物忘れがひどくなった」と嘆く人が多いが、私はそうは思わない。もし本当に物忘れがひどくなったら、同じエピソードを読んでもそのことに気づかないであろうから。蔵書がある限度を越えると(加えて数箇所にそれが分散している場合)、すでに持っている本を再度購入してしまうということはどうしても起こってくる(さすがに三度というのはまだありませんけどね)。今回の場合は単行本と文庫本だから、厳密に言うと、同じ本ではない。文庫本には単行本にはなかった「解説」(佐渡裕)が付いている。これがけっこうお値打ちものなのだ。
  武満徹は軽井沢に別荘をもっていて、一年の半分以上をそこで過ごし、朝から晩まで作曲の仕事をしていたそうだ。

  「いつかNHKが、「仕事場の武満徹」というドキュメンタリー番組を作ったが、画面では作曲に疲れた武満さんが庭に出て、いろいろな苔やきのこを観察しているシーンがあった。あとでご本人は、照れくさそうに言い訳していた。「作曲家が頭を休めるシーンとして、苔とかきのことか、芸術家らしいのを撮らされたんだけど、まさか近くの町の外国人ホステスが何人もいるキャバレーに遊びに行っているのは出せないもんね」と笑っていた。」(21頁)

  「さあこれから作曲を始めようというとき、武満さんは必ず30分ほどヨハン・セバスティアン・バッハを聞いたそうである。いつも『マタイ受難曲』だった。バッハを聞くと心が静かになって、新鮮な気持ちで作曲を始めることができるのだと言っていた。武満さんの音楽はドビュッシーとメシアンに、多くの影響を受けていた。バッハの影響を受けているとは思えない。きっと、自分とはまったく次元の違うバッハの、透明でもあり劇的でもある世界で心を静め、作曲にとりかかったのだろう。」(22頁)

  岩城宏之はエッセーの名手である。それは指揮者の余技なんていう水準をはるかに超えている。ちょうど東海林さだおのエッセーが漫画家の余技なんていう水準をはるかに超えているのと同じだ。一番の傑作は『楽譜の風景』(岩波新書、1983年)。私はこれを読んで一発で彼の文章のファンになった。音楽評論の最高峰は吉田秀和だと思うが、音楽エッセーの最高峰は岩城宏之だと思う。エッセーの急所はどういうエピソードをどういう順序で出すかにある。武満徹についてのエピソードで言えば、まず笑わせて、次に感心させる。その後で、武満が病床で最後に聞いた曲が『マタイ受難曲』であったというエピソードを紹介して、しんみりさせるのである。そして、最後に、半泣き半笑いのエピソード(どういう内容かは省略)で締めくくる。間然とするところがない。
  武満徹が亡くなったのは1996年である。岩城がこの文章を書いたのは、それから5年後の2001年である。それからさらに5年後の2006年、岩城宏之は亡くなった。われわれはこうして、亡くなった人の思い出を語っている人もすでに亡くなっているという感慨の中で、文庫本『音の影』を読むのである。それはもちろん単行本『音の影』を読んだときにはなかったものである。

8月18日(土) 曇り

2007-08-19 03:54:01 | Weblog
  8月に入ってからずっと続いていた暑さも、小休止。今日は蒲田の街を歩いていても避暑地に来たようであった。昼食はZootという変わった名前のラーメン屋で。「ラーメン」というのぼりがなければ、ラーメン屋だとは思わないのではなかろうか。実際、カウンター席のみの店内にはボサノバの曲が流れていて、もしチープな自動券売機とセルフサービスの給水器がなかったら、お洒落なバーみたいだ。味玉ラーメン(800円)を注文する。スープは魚介系の香りがして、濁っている。飲んでみるととろみがある。たんに魚介系ではなくて、豚骨スープとブレンドしているようである。そのためだろう、こくがあって、しかしギトギトしてはおらず、むしろすっきりしている。面白いスープだ(気がついたら全部飲んでしまっていた)。味玉、チャーシューも美味しい。麺は普通。全体として味は濃い目なので半ライスが合いそうだが、ラーメンライスはこの店のお洒落な雰囲気にはそぐわないかもしれない。難しいところだ。

           

  食後の珈琲はいつものシャノアールで。冷房が寒く感じられた。上川あや『変えてゆく勇気』の後半を読む。少数者の生きにくい社会をどうやって変えてゆくか(どうやって行政に働きかけていくか)、自身の区議会議員としての活動を元に、具体的な方法論を述べている。その際、基本となる考え方は、沈黙から発信へということだ。

  「役所というのは、あるのかないのかわからないことに対して、予算と人材をつけるということはなかなかしてくれない。しかし、その一方で小さな声であっても「ある」という事実を突きつけられてしまうと、「ない」ことにはできない。必ずしも最初から名前を名乗って、姿を出して訴えなくても、まずは問題の所在を伝えることが重要だ。自分にできる声の上げ方でいい。たとえ少数者であっても、私たちは、大方の人がイメージしているほど無力ではない。方法はたくさんあることを、ぜひ多くの人に知ってほしいと思う。」(172頁)

  「政策決定の現場に身を置いて痛切に感じるのは、「声を上げないことは存在しないことに等しい」という事実である。世間はいわゆる「フツウ」や「常識」という物差しに当てはめて、物事を見ようとする。現実にはそれに当てはまるケースばかりではないし、逆に「常識」とされていることの方が誤解であったりすることも少なくないのだけれど、なかなかそこまで考えようとはしない。だからこそ、薄く広く存在している少数者は、お互いにつながって「私たちは、ここにいる」ということを訴えなければ、いつまでたっても個別の「特殊事情」でしかなく、それを社会問題化していくことは難しい。・・・(中略)・・・黙っていては伝わらない喜びや哀しみがある。黙っている人は存在しないも同じに扱われる現実がある。内なる叫びが政策に反映されることは、残念ながら、ない。当事者が勇気をもって、力と知恵をふりしぼって声を上げなければ、いないことにされてしまう。それがこの社会の現実だ。」(174-176頁)

  私が大学で教えている社会学専修の学生には、卒業後、公務員になる者が少なくない。彼らにぜひ本書を読んでほしいと思う。社会学は「フツウ」や「常識」を疑うことを眼目とする学問である。そのことの面白さを彼らは在学中に十分に味わったはずである。しかし、大学を卒業して、労働市場(日常用語で「社会」ともいう)に出ると、その「フツウ」や「常識」の中に回収され埋没していく。「フツウ」の職業であれば別にそれもかまないが(本人の問題である)、公務員という職業の場合、それは困ったことである、と私は思う。なぜなら公務員という職業は、人々が幸せになるために働いているのだから。公務員は法令に従って物事を処理していく。しかし法令とは、多くの場合、「フツウ」の人々を念頭に置いて作られている。「フツウ」の人々を念頭に置いて作られた法令は、「フツウ」でない人々を幸せにはしない。もちろんそうした法令は改正すればよいわけであるが、法令を変えるには時間がかかる。その間に「フツウ」でない人々の人生の時間はどんどん過ぎていく。しかし、法令というものは、弾力的に運用することもできる。弾力的に運用するとは、人々の幸せのために法令を解釈するということだ。では、どうすることが人々の幸せなのか、それを判断する能力が重要になってくるわけだが、それは具体的には、それぞれの困難をかかえて役所の窓口にやってくる人たちにどれだけ真摯に対応することができるかということ、つまりは他者への共感能力である。

  栄松堂で、三好達治『詩を読む人のために』(岩波文庫)と岩城宏之『音の影』(文春文庫)を購入。新星堂で、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」の入ったCDを探したが(先日、NHKの「オーケストラの森」という番組で初めて聴いて、魅了されたのだ)、見つからず。ブラームスとブルックナーのCDはたくさんあるのに(作曲家の名前のアイウエオ順に並んでいるのだ)、両者の間に置かれるべきブリテンのCDは一枚しかなくて、それもホルストの作品との組み合わせだった。結局、その一枚のCDを購入。「シンフォニア・ダ・レクイエム」という作品は、皇紀2600年(昭和15年)を記念して日本政府が諸外国に発注した曲の一つだが、「めでたき祝典に鎮魂ミサ曲とは何事ぞ!」と演奏されなかったといういわくつきの曲である。帰宅してさっそく聴いてみたが、いい曲だと思った。「シンプル・シンフォニー」については、Amazonで検索したらブリテン自身が指揮した演奏を収めたCDがあったので、それを注文した。

8月17日(金) 晴れ

2007-08-18 03:04:59 | Weblog
  昼食に娘の作った焼きそばを食べた後、1時間ほど昼寝をしてから、昨日購入した上川あや『変えてゆく勇気-「性同一性障害」の私から』(岩波新書)を読み始める。性同一性障害というのは自分の身体的性に違和感を覚えて苦しむことをいう。著者の場合は、身体的には男性だが、そのことに子どもの頃から違和感を感じており、恋愛の対象として男性を指向してきた。世間では性同一性障害と同性愛を混同しがちだが、両者は別のものである。典型的な男性同性愛者の場合、身体的にも心理的にも男性で、かつ性愛の対象も男性である。上川さんの場合は、身体的には男性だが(だったが)、心理的には女性なので、男性を恋愛の対象として指向することは、周囲の人の目には同性愛と映ったとしても、主観的には異性愛である。身体的性、心理的性(性自認)、性的指向の3要素は、身体的性と心理的性が一致し、そして異性愛を指向するという組み合わせが一般的だが、実際には、さまざま組み合わせが存在するのである。そして標準的な組み合わせ以外は、マイノリティーとして差別を受けている。上川さんは2003年4月に性同一性障害であることを公表した上で世田谷区議会議員選挙に立候補し当選。性同一性障害に限らず、現行の社会制度の中でマイノリティーとして差別を受けている人々のために活動を続けている。
  本書で私がとくに興味深く読んだのは、上川さんの体験談である。たとえば、第二次性徴の発現への戸惑い。

  「数週間後、おでこにポツンとニキビができた。そのうち顔がみるみる油っぽくなり、「きれいな肌なね」とほめられてきた顔に、次々とニキビがふきだした。肌が汚くなっていくことが恐怖で、ニキビに効くという石けんや売薬、入浴剤を買い揃えてもらった。眉が徐々に濃くなって、顔の様子も変わり始める・・・・。周囲の男の子と同じ変化が私にも現れつつあることに気づき、嫌悪感と焦燥感でいっぱいになった。
  少しずつ低くなっていく声がどうしても嫌。声変わりする前に好きだった歌を、同じキーで歌えるように家の中でこっそり練習した。徐々に目立ってくる喉仏を許せない。誰にもその変化に気づかれまいと、鏡の前でどういう角度なら目立たないのか始終、「研究」するようになった。いろいろ試した結果、一番目立たせない方法はいつもうつむき加減に過ごすことだった。加えて頬づえをついたり、喉もとに手を添えることが習慣になった。
  ヒゲも徐々に濃くなっていく、家族にすら気づかれたくなくて、父親の電気シェーバーをこっそり自分の部屋に持ち込んでは、毎朝まだ淡いヒゲに刃をあてた。人に近づくと、ヒゲや肌の変化に気づかれる気がして、人と目を合わせて話をすることが苦痛になった。
  身体が筋肉質になり、手足が毛深く筋張ってくると、人前で手を出すことが耐えがたくなった。手の血管が浮いて見えるのが嫌で、机の上に手を乗せることもできなくなった。」(39-40頁)

  なんて生きにくい日々であったことだろう。思春期はただでさえ変化する身体と自己イメージとのずれに苦しむ時期だが、自分の身体的性を受け入れることができない人にとっては、その苦しみは通常の何倍であろう。また、「あっ、そうなのか」と思ったのは、心理的性(性自認)とジェンダー(文化的性)との連動には時間的なずれがあるということ。これは論理的に考えれば、当然なのだが、うっかりしやすい。自分を女性として意識することと、他人に自分を女性として見てほしいと意識して振舞うことは、同時ではないのだ。

  「私はいまでこそ化粧をし、スカートをはくことを、自分にとってとても自然なことと感じているけれど、当時(注:28歳の頃)の私はまったく違っていた。少なくとも意識の上では女性の装いにはほとんど無関心で、サポートグループに行くときの格好はTシャツやトレーナーにジーンズ。髪は中途半端に長く、ノーメイクで眉毛もそのまま。しかし女性ホルモンだけは定期的に投与していたので、見事に中性的な外見だった。」(72頁)

  「女性姿で過ごす時間が増えるにつれて、自分は女性なんだと、素直に思えるようになった。しかし、私は「女性らしさ」を装わねばならない、と考えたことない。
  社会が規定する「らしさ」より、「自分らしくありたい」ということが大切だった。自分が心地よく過ごせるコンディション-身体、声、服装、しぐさ、話し方、そして話題-その総和が社会の「女性」の領域にあったに過ぎない。周囲が自然に女性として扱ってくれることで、そのことに違和感をもたない自分がいることに気づく。そんなフィット感の連続が、「女性」としての自我を安定したものにした。」(82頁)

  ジェンダーとは社会が認定している男らしさ・女らしさのことである。化粧をしスカートをはくことは「女らしい」行為である。上川さんは心理的には自分が女性であることを認識していたが、それがただちにジェンダーとは直結してはいなかたのである。だから、すでに述べた身体的性、心理的性、性的指向の3要素に加えて、もう1つジェンダー(文化的性)を性をめぐる要素として加える必要がある。ジェンダーは社会学の重要な用語で、教科書には必ず出てくるが、教科書的な説明だけでわかった気にならないで、上川さんのような4要素の非標準的な組み合わせの事例を当事者の語りを通して知ることは、とても大切なことである。