朝、いきなりパソコンがフリーズした。スイッチを入れて、富士通のロゴの画面が出て、そこでフリーズしてしまったのだ(ウィンドウズの画面に行く手前で)。強制終了して、何度か試しても、同じところでフリーズしてしまう。修理か、困ったな。おまけにハードディスクの初期化なんてことになったら、バックアップをとっていないデータがいくつかあるのだ。やれやれ、とため息をつきつつ、とりあえず故障・修理の受付に電話をかける。10分ほどでつながり、事情を説明すると、パソコンの電源コード等のすべてのコードを引き抜いて、1分ほど待ってから(放電をしてから)スイッチを入れてみてくださいと言われ、言われたとおりにしたら、復旧した。ああ、助かった。
昼食の後、ジムに行こうか、『ダ・ヴィンチ・コード』をDVDで観ようか、しばし考えて、DVDにする。2時間25分の映画を最後まで飽きずに観たわけだから娯楽品としては合格なのだが、キリスト教や西洋の歴史についての一定レベルの教養が必要とはいえ、全体の印象としては、TVの2時間ドラマの豪華版みたいな映画だ。スケールが大きな話のように見えて、実はこけおどしというか、安普請というか、そういう感触がぬぐえない。それになにより、マグダラのマリアの話が出てきたあたりで、キリストの末裔が誰か察しがついてしまうところがサスペンス映画としては致命的である(これは別に私の勘が鋭いわけではなく、もし末裔がいるとすれば、それらしき人物は「この人」しかいないだろうと半分くらいの人はわかってしまうのではなかろうか)。評価は5点満点の3.5点。
夕方、散歩に出る。いま近所のあちこちに空き地が出現している。ミニ・バブル的風景だ。それまであった建物を壊して、新しい建物を建てるまでの間の、しばしの時間に、真夏の日差しを浴びて雑草が生えてくる。その生命力には感心する。空き地の周りには縄が張られているが、入る気になれば、簡単にまたげてしまう。しかし、誰も立ち入らない。子どもたちさえもだ。空き地で遊ぶという子どものDNAは消滅してしまったのだろうか。たくましいのは雑草だけだ。
ルノアールで1時間ほど読書。帰りに東急プラザで、まぐろの角煮(朝食用)、焼き鳥(夕食のプラス一品用)、おはぎ(夕食のデザート)を購入。デパートの地下の惣菜コーナーには買って帰りたいものがたくさんある。崎陽軒のシューマンなんかはかなり食指が動いたが、妻の手料理がかすんでしまったら元も子もないので、焼き鳥(一人二串)だけにしておいた。夕食の献立は聞いていなかったが、麻婆春雨と豚肉とアスパラの炒めであった。中華であれば、崎陽軒のシューマイもOKだったかもしれない。焼き鳥好きの息子は「もっと焼き鳥が食べたいな」と言った。では、今度は、昼飯に一人五串ほど買ってきて、焼き鳥丼にしようか。
昼食の後、ジムに行こうか、『ダ・ヴィンチ・コード』をDVDで観ようか、しばし考えて、DVDにする。2時間25分の映画を最後まで飽きずに観たわけだから娯楽品としては合格なのだが、キリスト教や西洋の歴史についての一定レベルの教養が必要とはいえ、全体の印象としては、TVの2時間ドラマの豪華版みたいな映画だ。スケールが大きな話のように見えて、実はこけおどしというか、安普請というか、そういう感触がぬぐえない。それになにより、マグダラのマリアの話が出てきたあたりで、キリストの末裔が誰か察しがついてしまうところがサスペンス映画としては致命的である(これは別に私の勘が鋭いわけではなく、もし末裔がいるとすれば、それらしき人物は「この人」しかいないだろうと半分くらいの人はわかってしまうのではなかろうか)。評価は5点満点の3.5点。
夕方、散歩に出る。いま近所のあちこちに空き地が出現している。ミニ・バブル的風景だ。それまであった建物を壊して、新しい建物を建てるまでの間の、しばしの時間に、真夏の日差しを浴びて雑草が生えてくる。その生命力には感心する。空き地の周りには縄が張られているが、入る気になれば、簡単にまたげてしまう。しかし、誰も立ち入らない。子どもたちさえもだ。空き地で遊ぶという子どものDNAは消滅してしまったのだろうか。たくましいのは雑草だけだ。
ルノアールで1時間ほど読書。帰りに東急プラザで、まぐろの角煮(朝食用)、焼き鳥(夕食のプラス一品用)、おはぎ(夕食のデザート)を購入。デパートの地下の惣菜コーナーには買って帰りたいものがたくさんある。崎陽軒のシューマンなんかはかなり食指が動いたが、妻の手料理がかすんでしまったら元も子もないので、焼き鳥(一人二串)だけにしておいた。夕食の献立は聞いていなかったが、麻婆春雨と豚肉とアスパラの炒めであった。中華であれば、崎陽軒のシューマイもOKだったかもしれない。焼き鳥好きの息子は「もっと焼き鳥が食べたいな」と言った。では、今度は、昼飯に一人五串ほど買ってきて、焼き鳥丼にしようか。