フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月15日(日) 晴れ

2008-06-16 11:11:13 | Weblog
  このところ雨の降らない梅雨の日々が続いている。午後、散歩に出る。大城(おおしろ)通りという商店街を経由して池上まで歩く。舗道の幅が狭くて、あまり散歩には適さない道だが、南北に走っている道なので、午後の陽射しを避けて歩くにはちょうどいい。日曜だからなのか、ふだんからこうなのか、シャッターの下りている店が多い。やっている店の多くは飲食店で、蕎麦屋と中華料理屋がやけに多い気がする。

         

         

         

  大城通りの終点は池上通りとぶつかる。池上通りを渡るとすぐに呑川(のみがわ)だ。呑川は蛇行しているが、この辺りでは西から東に流れているので、上流に向かって歩くと陽射しを正面から受ける。暑い。でも、川面を吹く風は気持ちいい。

         

         

  昼食は「蓮月庵」でとろうと決めていた。昔からある蕎麦屋で、「甘味あらい」の向かいにあるので、店の前まではよく来るのだが、準備中であったり、蕎麦を食べたい気分ではなかったりと、タイミングが合わず、入るのは今日が初めてである。外見は十分にレトロだが、店内はさらにレトロで、映画「地下鉄(メトロ)に乗って」の主人公のように過去にタイムスリップしたような気分になる。客は誰もおらず、店の人も私が入ってきたのに気づかないようなので、店の奥に声をかけると、お婆さんが出てきて、続いてお爺さんが出てきた。ついさっきまでお婆さんは川で洗濯を、お爺さんは山で柴刈りをしていたに違いない。店内の壁に貼られたたくさんの品書きの中から、冷やしきつね蕎麦を注文した。油揚げが刻んで出てきたので、「ほぅ」と思う。確かにこうして細工をしてあると、冷やし中華を食べるときみたいに麺と具を混ぜて食べるのに適している。油揚げの味付けは濃くはなく、その分汁はやや甘めで、そこにワサビを溶かすとちょうどよい感じになる。私は東京生まれの東京育ちだが、下町風の濃い蕎麦汁は苦手である。しかし「蓮月庵」の蕎麦汁はマイルドで、蕎麦も美味しかった。もっと早くに食べに来るのだった。蕎麦の後は「甘味あらい」で季節のアイスクリームを食べる。「蓮月庵」と「甘味あらい」、この新旧のペアは素晴らしい。

         

         

         

  帰りはいつものように池上線で。電車に乗る前に古書店「大黒」をのぞいて、小学館の『日本古典文学全集』の端本の中から「近世俳句俳文集」を購入。類似の本は岩波の『日本古典文学体系』で持っているが、こちらの方が注や訳が親切(過剰かもしれない)である。

  紫陽花におもたき朝日夕日哉  中川乙由

  蒲田に着いてくまざわ書店で、谷本志穂『恋愛の社会学』(青弓社)と森政稔『変貌する民主主義』(ちくま書房)を購入。工学院通り商店街の撤去作業はいよいよ進んでいる。取り壊されたバーの跡地に螺旋階段が残っている風景はシュールである。

         

         

  夕食は父の日ということですき焼だった。娘からは向日葵の花を、息子からはシフォンケーキと卓上用の小さな花束をもらった。「ちゃんと写真に撮っておきなさい」と妻が言った。

         

6月14日(土) 晴れ

2008-06-15 02:58:01 | Weblog
  昼過ぎに自宅を出て、川崎経由で、南武線の武蔵溝の口へ。8月10日に清水幾太郎の没後20年ということで学習院時代の清水の教え子たちが偲ぶ会が開くのだが、そのときに講演をしてほしいと頼まれていて、今日は幹事のM氏・T氏のお二人と食事をしながら打ち合わせ。ゲストスピーカーとして田中健五氏(元文藝春秋社長)と森田実氏(政治評論家)もいらっしゃると聞いて、びっくりする。田中氏は雑誌『諸君』が創刊(1969年)されたときの編集長で、学習院を辞めた清水が論壇にカンバックする後押しをした人である。森田氏は1950年代後半の東京砂川の米軍基地反対闘争のときの全学連の幹部で、清水とはそのとき以来の同志的(というよりは親分子分的)関係にある人である。どちらも生前の清水を知ること私の数百倍、いや数千倍で、とてもじゃないがお二人を目の前にして講演(清水幾太郎論!)ができるほど私の心臓は毛むくじゃらではない。釈迦に説法、マックス・ウェーバーに社会学講義とはこのことだ。だが、この場に及んで(もう案内状も準備されているのだ)辞退はできないから、私の講演をお二人のスピーチの前に(前座として)もってきてもらうことで、折り合いをつけた。パーティーでお二人とお話ができるのを楽しみに、講演の準備をしよう。
  帰りにラゾーナ川崎の丸善に立ち寄り、本や文房具を見て回る。結局、1時間半ほど滞在して、購入したのはノート一冊。本屋と文房具屋は私にはアミューズメントパークのようなものであるから、散々楽しんで、何も買わずに出てきては申し訳ないような気がするのである。蒲田に着いて、電車の中で読んでいた有島武郎の「お末の死」という小説を「ルノアール」で最後まで読む。私のそばのテーブルで、占い師と思しき年配の女性とお客の若い女性とが熱心に話をしていて、ついつい耳がそちらの方へ向いてしまう。

  「好きな人がいるでしょ?」
  「ええ。好きというよりも憧れている方が」
  「どんな方?」
  「学校の先生なんです」

  「小説家になりたいのですが、いつデビューしたらいいでしょう?」
  「それは簡単に実現する夢ではないわ。地道に努力することね。10年。10年は努力しなさい。」
  「はい、わかりました」

  札幌の貧民窟に住む14歳の少女が自殺をするまでの話も興味深いが、こちらの話も興味深かった。あんなこと、占い師の人に話したり、まじめに尋ねたりするもんなんだ、と思った。そういえば、私はこれまでの人生で進路について他人に相談したことが一度もないな、とも思った。

6月13日(金) 晴れ

2008-06-14 12:03:01 | Weblog
  よく晴れた一日だったが、暑かった。大学へ出て行くだけでかなりのエネルギーを消耗した気がする。3限の授業(日常生活の社会学)の後、出席カードの裏に書かれたコメントを読んでいたら、私の先日のブログを読んで太宰治の「きりぎりす」を買いましたと書いてあるものがあった。大学生協の書店で購入したのだが、書棚には並んでいなくて、書棚の下の引き出しの中にストックがあったそうだ。支払いのときに店員さんが「何かの授業で指定された本なのですか?」と聞いてきたそうで、「いいえ」と答えると、「そうですか。さきほど同じ本を買われていった方がいたものですから」とのことだった。おそらくはその学生も自分と同じく日曜日に「フィールドノート」を読んで、さっそく翌日、「きりぎりす」を購入したのではないかと書かれていた。新刊書なら不思議なことではないが、「きりぎりす」ですからね、偶然とは考えにくい。自分のブログが読者の購買行動(したがって市場経済)に与えるミクロな影響力を実感した。別の出席カードの裏には、「今日、東西線の車内で私の向かいのシートに先生が座っていました」と書かれていた。こういうコメントはときどきある。大教室での授業なので、学生は私を知っているが、私は学生の顔を知らない。こういうことがあるから、車内や駅のホームではちゃんとしていなくてはならないのだ。間違っても車内で鼻くそをほじったりしてはならない。「私も都立小山台高校の出身です」というコメントもあった。今日の授業の中でちょっとこの話題が出たのだが、そうか、後輩か。同学年に私の息子がいたのだが、知っているだろうか。
  5限の卒論演習はひさしぶりに全員(15名)がそろう。夏休みの合宿はセミナーハウスの抽選に漏れ、18日からの随時受付(先着順)に最後の望みを託すことになった。

           

6月12日(木) 雨のち晴れ

2008-06-13 11:47:06 | Weblog
  朝方、かなりの雨が降り、夕方、青空が広がった。よいパターンだ(少なくとも逆よりはいい)、と私が思うのは、たぶん、自宅を出る時刻が遅いからであろう。昼前に私が家を出るときは、雨はもう止んでいた。
  3限の大学院の演習は、3週でワンセットで、1週目に『編年体大正文学全集』の所定の巻の「解説」を参考に各人が考察の対象とする作品を定め、2週目と3週目に各人の報告というサイクルになっている。今日は「大正3年」の1週目だが、今回の「解説」は、当時の社会状況と作品の関連性の説明が大雑把であったり、女性を主人公とした作品群の分析がジェンダー論としては浅薄だったり、フロイト理論の場当たり的な適用が鼻についたりと、社会学をやっている学生たちにはあまり評判がよろしくなかった。もっとも私はそんなには気にならなかった。美術館のガイドさんの説明が通りいっぺんで退屈なときは、適当に相槌を打って、自分の目で作品そのものをながめていればいい。初めて出会う作品も多く、そうした作品の前に自分をつれていってくれたことに感謝しながら。
  授業の後、遅い昼食を「シャノアール」でとる。たまごトーストと珈琲を注文。禁煙席は満席だったので、窓際近くの喫煙席に座った。喫煙席は空いており、そして喫煙席に座っている客がみんな煙草を吸っているわけではないから(現に私がそうだ)、混雑した禁煙席よりかえって快適なこともある。来週の大学院の演習で取り上げる作品の一つに決まった志賀直哉「児を盗む話」を読む。ずいぶん昔に読んだはずだが、内容はほとんど覚えていない。改めて読んでとても面白かった。志賀直哉にしては珍しいフィクション(女児誘拐犯が主人公)で、ナボコフの『ロリータ』に通じるところがある。もっとも、女児誘拐はフィクションでも、舞台となっているのは直哉には縁のある尾道であることは明らかで、主人公の青年の閉塞感や孤独感は当時の直哉の心理を反映していると思われる。

         

  大学からの帰り、「飯田橋ギンレイホール」に寄って、会員権の更新を手続きをしたついでに(あまり期待せずに)、上映中の『やわらかな手』を観た。60代くらいの未亡人が、難病の孫の治療に必要な費用を捻出するために、風俗の店で働き始めるという話だ。生真面目さと滑稽なところが入り混じった味わいのある作品だった。彼女の人生のこの時期に、こんな凛とした瞬間が訪れようとは、誰も(本人も)思わなかったはずで、それはまさに「マジックアワー」というべきものだろう。

         

6月11日(水) 曇り

2008-06-12 02:11:28 | Weblog
  今日は会議日。お昼に家を出る。家を出る前に、中央大学のY先生に来年度の授業(現代人間論系の「現代人と家族」という演習をお願いしている)の件で確認しておきたいことがあったので、大学に電話をする。まず社会学研究室にかけ、こちらの名前を言って、Y先生の研究室につないでもらい、秘書の方(!)が出て、再びこちらの名前を言って、ようやく本人と話すことができた。たぶん取材などの電話が頻繁にかかってくるのでこういうシステムになっているのではないかと思う。私なんか、研究室に外線からかかってくる電話といったら、たいていマンションのセールスだが、それにしたって、「間に合ってます!(ガチャン)」とはいかないで、けっこう長い時間ずるずると話の相手をしてしまい、貴重なうたた寝の時間が失われる。秘書がいたらどんなにかいいだろうと思うが、妙案を思いついた。秘書のマネをして対応すればいいのだ。
  「はい、大久保研究室です。」
  「○○の××と申します。先生はいらっしゃいますか?」
  「あいにくと大久保はただいま会議に出ております」
  「いつお戻りでしょうか?」
  「申し訳ございませんが、これがとんでもなく長い会議で、2時間、3時間はあたりまえ。6時間続くことも珍しくございません。みなさん会議が大好きで、“会議は地球を救う”を合言葉に頑張っておいでのようなのです」
  「・・・・・」
  「ですので、また別の日におかけ直しいただけると幸いです。ただ、別の日にはまた別の会議がございまして、はい、なにしろみなさん会議が大好きでいらしゃいまして、会議だけでどんぶり飯三杯はいける、他にはなにもいらないという方ばかりですので、よほどの幸運にめぐまれないと先生とお話することはかなわないかと存じます。タイミングーが肝心かと」
  「は、はい。わかりました。し、失礼いたします(ガチャン)」
  うん、いい考えだ。これからは、受話器をとって、「はい、大久保です」ではなく、「はい、大久保研究室です」と応えるようにしよう。もし名前を聞かれたら、「東中野と申します」と応えることにしよう(大久保の隣だから)。

  2時から5時まで運営主任会(予定より1時間オーバー)。5時から5時半まで論系主任会(急に設定された)。5時半から8時過ぎまで現代人間論系の教室会議(これも予定したいたより長引いた)。三連荘で6時間を越えた。やっぱり、みんな、会議が大好きなんだ。“会議は地球を救う”のだ!
  帰宅して、夕食、風呂、そして「ホカベン」を観る。いよいよ佳境に入ってきた。