フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月25日(月) 晴れ

2010-01-26 11:19:41 | Weblog

  9時、起床。卵かけご飯の朝食。10時、予約してある近所の歯科医院へ。今日は左上の親不知を抜くことになっている。抜くと決めてから、なかなか都合がつかず、越年して今日になったのである。親不知を抜くのは初めてだが、そもそも抜歯自体が何十年かぶりである。前夜から私は緊張していた。就寝中も途中で目が覚めたりした。親不知を抜くのはなかなか大変なことだと話に聞いていた。妻は出産前に全部の親不知を抜いたのだが(そういうケースはよくあるらしい)、「バキバキ音がするのよ」と言った。ほ、ほんとか。私の父は若い頃に親不知を抜いたのだが、そのとき傷口からバイキンが入って下顎が化膿して腫れ、東大病院で切開して3ヶ月入院したのだと母が言った。ほ、ほんとですか。ネットで調べてみると、大丈夫、心配することなかれという書き込みや、いやはや、もー大変でしたという書き込みがひしめきあっている。私の左上の親不知は、頭がちょっと出ているだけで、大部分は埋まったままである。だから抜歯にあたっては歯肉を切開しないとならない。また、レントゲン所見では、歯根の部分が上顎洞に達している可能性があり、その場合は、抜歯によって(一時的に)口腔と上額洞が貫通して鼻からの息がもれたりするという。ただし、抜歯自体は上の親不知の方が下の親不知よりも(顎骨に埋もれていない分)楽であるとのことだった。
  4つある診察台の一番奥の診察台に案内される。夫婦でやっている歯科医院で、いつも虫歯の治療をしてもらっているのは男の先生なのだが、抜歯は女の先生の担当である。夫は歯科で、妻は口腔外科の出身とのこと。ジェンダー・イメージとしては逆である(もっとも我が家でも大工仕事は妻の担当なのだが)。
  まず今日の体調を聞かれる。少々風邪気味だが、前回は「ちょっと風邪気味で・・・」と正直に答えて抜歯が延期になったので、今回は「とくに問題ありません」と答える。今日は月曜で授業がなく、明日は補講期間でいつもの授業がなく、二日続けて大学へ出なくてよい。授業はあらかた終っており、採点作業で忙しくなるのは来週で、だから今日が抜歯にはベストなのである。
  では始めましょうということになり、最初に親不知の周辺を消毒、続いて麻酔の注射。麻酔が効いてくるまでしばし待つ。いよいよ抜歯の開始。麻酔が効いているので、何をどうされているのかはわからない。金属の器具と親不知が擦れるような音が絶え間なく聞こえてくる。ときどき口をゆすいでくださいと言われてそうするのだが、思ったほどの出血ではない。麻酔を打つと周辺の血管は収縮して出血しにくい状態になるそうだ。30分ほど経過した頃、休憩が入る。私が「いま何合目くらいですか」と質問すると、先生は「骨からはすぐに外れたのですが、頬の側に横向きになっているものですから、ちょっとずつ向きを変えながら抜こうとしているところです」と言って、あとどれくらいかかりそうかは答えてくれなかった。長期戦になりそうな予感がした。出産みたいである。それもカンシ分娩だ。ネットの情報によると親不知の抜歯は難しいケースで1時間前後、長い場合だと数時間かかるらしい。事前に先生に自分のケースの難易度を尋ねたところ、「難易度は低いとはいえません」とのことだったので、1時間はかかると覚悟していた。恐れていたのは、途中で、「これは私の手には負えないから大学病院にお願いしましょう」と言われることだった。そんなことを頭の片隅で考えていたら、「はい、終りました」と言われたので、びっくりした。抜く瞬間というのは感触でわかるものと思っていたからだ。しかし、スッポンという感覚はなかったし、痛みも走らなかった。抜歯に要した時間は正味1時間ほどであった。抜けた親不知は先生に言わせると「太ってますね」とのことだった。私のイメージでは奥歯というものには枝分かれした根があるものだが、この親不知にはそうした根がない。根に相当する部分が枝分かれせずにくっついたままのように見える。映画『アルマゲドン』で地球に衝突する小惑星のような形状をしている。


せっかくなのでもらって帰ってきた

  医院の待合室で30分ほど止血をしてから、帰ってくる。いくらか痛みはあるが、これは親不知を抜いた以上あたりまえと思える範囲内のもので、気にせず昼食(炒飯)を食べる。飲み込むときに喉に痛みがあったが、風邪のせいなのか、抜歯の影響なのかはわからない。食後は処方された薬(化膿予防の抗生剤、鎮痛剤、胃薬)を飲んで、ソファーに横になって、録画しておいたTV番組(ドラマとNHKスペシャル)を観て過ごした。夜、少し寒気がしたので(やはり風邪のせいか)、風呂はやめて、さっさと寝ることにした。とくに痛みで眠れないということはなかったし、頬の腫れもなかった。


1月24日(日) 晴れ

2010-01-25 02:33:40 | Weblog

  9時、起床。マーボー豆腐とご飯の朝食。フィールドノートの更新を済ませてから、母と鶯谷の菩提寺に新年の(少々遅くなったが)墓参りに出かける。現地で妹と合流。美人の若奥さんと二人のお子さんが出迎えてくれる。下の女の子は1歳半になってとても愛嬌がある。言葉はまだのようだが、そのうち堰を切ったようにおしゃべりを始めることだろう。お参りをすませてから、お寺の界隈(下谷・入谷・根岸)を散歩する。


お寺の入口に貼ってあったポスター


彼岸桜がもう咲いているのか?


「恐れ入谷の鬼子母神」の境内にある


無防備な不動産屋


清らかなのか?


昼食は「錦華楼」で


老人にはきつい鶯谷の陸橋の階段


鶯谷駅は山の手線で一番乗降客が少ない駅である

  御徒町で買物をするという母と妹と別れて先に帰宅。1時間ほど昼寝をしてから、大田区男女平等推進区民会議のための資料の作成にとりかかる。深夜、完成。メンバーに送信。フィールドノートの更新をして、さて、寝るとしよう。


1月23日(土) 晴れ

2010-01-24 09:58:54 | Weblog

  9時、起床。急ぎの用件で電話やメール。気づいたらお昼を過ぎていた。
  朝食兼昼食をとりに外出。「鈴文」の暖簾をくぐる。今年最初の「鈴文」である。人間ドックが済むまではと控えていたのである。カウンター席は満席で、奥のテーブルで相席となる。30代と思しき女性二人組と、年齢不詳のスキンヘッドの大柄な男性。女性たちは二人ともとんかつはちゃんと食べたが、ご飯を食べ残してテーブルを立った。美しくない。ちゃんと心の中で「お百姓さん、ごめんなさい」と言っただろうか。そうは見えなかった。注文のときに「ご飯は軽めでお願いします」と言いなさい。私は心の中で教育的指導を行う。一方、スキンヘッドの男性は、とんかつはもちろん、ご飯、キャベツ、お新香、すべてきれいに平らげ、最後にお茶をゆっくり飲み干す。動きに無駄がない。できるな、お主。彼と私は同時に食べ始め、彼の方が30秒ほど早く食べ終わった。その30秒の違いは、彼がとんかつソースと辛子だけで食べたのに対して、私は塩とレモンで二切れ、醤油で一切れ、そして後半の三切れをとんかつソースと辛子で食べたことにある。彼が一刀流であるとすれば、私は三刀流である。塩→醤油→とんかつソースの順番は定跡だが、それぞれ何切れ食べるかはその日によって違う。「鈴文」でとんかつを食べることは、とんかつとの対話である。最初にいきなりとんかつ全体にとんかつソースをかけてしまうというのは、私の流儀ではない。スキンヘッドの男性と私は会計を済ませ、連れ立つように店を出たが、その後は、別々の道を歩いていった。
  食後のコーヒーは「ルノアール」で。モンブランも一緒に注文。川西政明『新・日本文壇史を読む。
  帰宅してから、録画してまだ観ていなかったTVドラマを観る。長谷川京子主演の『エンゼルバンク 転職代理人』(第一話)はけっこう楽しめた。『ドラゴン桜』のときのハセキョウを彷彿とさせる(というか、はっきりと意識した作りになっている)。あのときの生徒役の一人が(ブレイク前の)新垣結衣だったが、今回、ちょい役で彼女が出演していた。最初、似た女優なのかと思ったが、彼女だったのでびっくりした。友情出演というやつだろうか。これからも『ドラゴン桜』のときの出演者がこんな風に顔を出すのだとすれば楽しみだ。ちょい役といえば、勝間和代も本人役でちらっと登場していた。
  夕食はビフテキだった。昼がとんかつ、夜がビフテキ。す、すごい・・・。すごいが、これはもしかしたら昼食に自分だけとんかつを食べた私に対する妻のあてつけかもしれない。その可能性は十分にある。いや、もっと可能性としてあるのは、私が昼食に何を食べたのかを、妻はまったく気にかけていないということである。


「わーい、ビフテキだ」と手放しでは喜べない


1月22日(金) 晴れ

2010-01-23 20:13:04 | Weblog

  8時、起床。ハムトースト、紅茶の朝食。朝食をとりながらフィールドノートを更新する。授業の準備をして昼前に家を出る。
  3限は講義「ライフストーリーの社会学」。1914年、1962年、2010年の読売新聞の人生相談(一種のライフストーリーである)を比較検討する。人生問題とは、一言でいえば、「思うようにならない人生」という問題である。ある年齢以上の者ならば、人生が思うようにならないものであることを知っている。にもかかわらず、そのことで苦悩するのは、「思うように生きなさい(生きてよいのだ)」という個人主義的な人生観が近代以降の社会では支配的であるためだ。理想と現実のギャップが大きいほど人生問題は深刻さの程度を増すが、その具体的形態は、時代によって変化する。新聞の人生相談欄(読売新聞は1914年=大正3年に創設)は、個人的な悩みが人生問題として、つまり悩むに値する問題として、社会的に承認される場所である。
  4限、5限は空き時間。昼食は尾張屋のモツ煮込み定食。今日は夕方からゼミのある日なので、麺類では軽すぎる。しっかり食べないとならない。ただし、食後に眠くなるという副作用がある。研究室の椅子で1時間ほどウトウトする。


定食の力

  今日のゼミの前半のテーマは、現代人と地域とのかかわり。毎日バス亭で顔を合わせる人同士であっても挨拶を交わすことはまれである。ただ押し黙ってバスを待つだけである。求めれているのは社交の精神である。後半は、昼の講義で使った2010年の人生相談を材料にしてライフストーリー分析の練習をした。個々の人生問題の背後にいかなる現代社会の状況があるのかを話し合った。


本日のスイーツはロールケーキ

  夕食は「満月」の天ざる。昼間にしっかりご飯を食べたときは、夕食は麺類に限るが、麺だけではやはり物足りない。 


1月21日(木) 晴れ

2010-01-22 08:56:41 | Weblog

  9時、起床。ハムステーキ、トースト、紅茶の朝食。授業の下準備をして、昼から大学へ。昨日に続いてセーターもマフラーもいらない陽気だ。
  3限は大学院の演習。4限、5限は空き時間。「ごんべえ」でカツ丼を食べる。「ご飯は軽めで」と言おうとして言いそびれ、後から後悔する。ご飯を少々残した。お百姓さん、ごめんなさい(と子どもの頃からの習慣で思う)。食後のコーヒーをミルクホールで買って、研究室で明日の授業の準備。


ここのカツ丼は甘辛の煮汁がしみこんだ衣が旨い

  6限は演習「ケーススタディの方法」。当初の履修者21名のうち、ケース報告までたどりついたのは17名。だが、まだゴール(レポート提出)ではない。来週は教場でのレポート提出。そして知見の報告(口頭)である。
  夕食は「銀座アスター」で。席に案内されて、ウェイターから分厚いメニューを手渡され、本日のお勧め料理の説明を受けたが、それはコース料理で、こちらは一人で中華のコース料理を食べるつもりなどない。タンタン麺を注文し、飲み物はお冷を所望する。この数ヶ月でいくつかの店でタンタン麺を食べたが、ここのタンタン麺は上品な味である。季節のデザートのマンゴープリンにちょっと心が動いたが、1000円もするので思いとどまった。


見た目も上品

  9時半、帰宅。風呂を浴び、明日の授業の準備をして、『不毛地帯』(録画)は見ずに就寝。朝はあんなに暖かかったのに、夜はすっかり冷え込んで、窓の外では北風の音がする。