フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月18日(木) 晴れ

2016-02-19 14:28:01 | Weblog

7時、起床。

トースト、カレー、サラダ、牛乳の朝食。

12時に放送大学の坂井素思先生と「パン日和あをや」で待ち合わせる。

坂井先生とは季節ごとにカフェをご一緒する仲である。

12時開店だが、今日は開店と同時に満席(1Fのテーブル2つ、2Fの和室)である。予約しておいてよかった。

さて、何を注文しひょうかな。

いつものようにメインの食事のあとにデザート代わりにホットショコラと一緒にいただこうとクロワッサンをキープしておいてもらおうとしたら、「焼き立てなので、いま、何もつけずに、召し上がっていただいた方が絶対美味しいです」と奥様に勧められる。ここでは奥様のお勧めは命令とほぼ同義である(笑)。

というわけで、前菜代わりにクロワッサンをいただく。

早春のほっこりさくさくクロワッサン  たかじ

本日のスープはチリコンカン。味わい深い。

坂井先生が共著者の一人である放送大学のテキスト『音を追及する』をいただく。

坂井先生の論稿は、たとえば鐘の音は音源からの距離によって違った音色で聞こえるが、人々はそれを同じ(お寺や教会の)鐘の音として聴くのはなぜか―という問いをめぐって書かれている。物理学者はそういう問いにあまり興味を示さないらしいが、社会学者にとっては面白い問いである。思うに、町や村という共同体の存在が前提としてあって、「私たちの寺の鐘」「私たちの教会の鐘」という認識があるからだろう。ここでは鐘の音が知らせる時間はローカルな空間に埋め込まれているのである。・・・奥様が注文ラッシュにてんてこ舞いをされている間、われわれはそんな話をしていた。

サーモンとアボカドとクリームチーズのサンドウィッチ。

スモークハムのサンドウィッチ。

私はコーヒーを、坂井先生はビールを注文。

奥様が一息つかれた様子なので、開店4周年のお祝いに持ってきた花とアクセサリーをお渡しする。アクセサリーは妻が制作した「菫青石のネックレス」である。妻に開店4周年の話をしたところ、家を出るとき、「これを奥様に」と渡されたのである。

坂井先生は絵本を奥様にプレゼントされた。

樋勝朋巳文・絵『きょうはマラカスのひ』(福音館書店)

樋勝朋巳という名前には見覚えがある。私が松本を訪れるときに必ず立ち寄るギャラリー・ショップ「coto.coto」にこの人の作品(リトグラフ)がいつも飾られていて、私はそこで二枚の作品を購入して、研究室に飾っている。絵本作家でもあると聞いていたが、絵本の実物を見たのは初めてである。

3人(?)がマラカスのリズムに合わせて踊っている図はしみじみと可笑しい。「お笑い三人組」という昔NHKでやっていたスタジオドラマを思い出す。

奥様に写真を撮っていただく。

デザートはホットショコラとスコーン(+パウンドケーキ)。

ごちそうさまでした。

「パン日和あをや」には2時半ごろまで滞在した。

店を出て、ぶらぶらと歩く。まだ暖かくはないが、それほど寒くもない。

1時間ほどの散歩の後、矢向駅の近くの「ノチハレ珈琲店」に入る。

私は先月、卒業生のTさんと初めてこのカフェに来たが(そのときも「パン日和あをや」からの梯子だった)、そのときはご主人だけだったが、今日は奥様もいらした。30歳前後と思われるお若いご夫婦がやっているカフェである。

私は小倉トーストと紅茶、坂井先生は珈琲(エチオピア)を注文。

落ち着けるカフェである。

ご主人に「ノチハレは、雨のち晴れのイメージですか、曇りのち晴れのイメージですか?」と尋ねたら、「雨のち晴れのイメージで付けました」とのことである。そういうカフェを心掛けておいでなのであろう。

私も坂井先生も珈琲(モカブレンド)を追加注文して、5時半ごろまでおしゃべりをした(閉店は6時)。

矢向駅から南武線で川崎に出て、そこで坂井先生とは別れた。今日はテキストの執筆でお忙しいところ、お付き合いいただき、ありがとうございました。次は風薫る季節にカフェをいたしましょうか。

なお、坂井先生のブログの本日の記事は→こちら

6時、帰宅。

夕食はサーモンと野菜のレンジ蒸し、レンコンとひき肉の炒め、しらす干し、大根の味噌汁、ごはん。

〆はしらす茶漬けで。


2月17日(水) 晴れ

2016-02-18 08:13:48 | Weblog

6時、起床。

空が明るくなる時刻がずいぶんと早くなってきた。

向かいの家の壁に映る自分の影を撮る。

トースト、サラダ(ハム、鶏のササミ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

7時半に家を出て、大学へ。

今日は文学部の入試。先週の文化構想学部の入試同様、天候には恵まれた。

夕方まで本部キャンパスで業務。

業務を終えて、戸山キャンパスへ。

小腹が減ったので、鯛焼きを買っていく。

まずは一服。

一つでよかったかな・・・。でも、なかなか「一つ下さい」とは言いにくいものである。

7時まで研究室で雑用。

8時、帰宅。

夕食はカレーライス。

昨夜はオムライスで、今夜はカレーライス・・・子供か。

でも、子供の頃から好きなものは大人になっても好きである。

『上野千鶴子のサバイバル語録』を読んでいたら、これから奄美大島で新生活を始めるKさんに贈りたい言葉があった。「新しい土地で人間関係をつくるには」というタイトルが付いている。

「これまで何回、引っ越しをしただろうか。新しい土地に移り住む。友だちも住みなれた家も離れて、なじみのない土地で、また一からやりなおす。知らないことばにつまずき、帰り途を迷いまよい、家にたどりつく。他人の家で、手探りでまたまちがったスイッチを押しては、闇のなかでひとり苦笑する。友だちがほしかったら、つくればいい。朝夕のあいさつから始める。ときどき立ち話をする。昨日はお見かけしませんでしたね、とあなたのささいな変化を心にかけてくれる人ができる。お茶に招いてもいい。なんなら、ベッドに招いてもいい。」

最後のワンセンテンスがあるので、贈れない(笑)。


2月16日(火) 晴れ

2016-02-17 18:53:21 | Weblog

8時、起床。

トースト、ベーコン&エッグ、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

午前中に郵便局の人が来て、満期になった簡保のお金で別の商品を購入する手続きをする。この種のことは妻に任せてあるので、私は郵便局の人と妻が話しているのを横で聞いているだけ。あたかも『開運!なんでも鑑定団』における石坂浩二的ポジションである。

昼食は整骨院に行った妻が帰りに買ってきた「千代田寿司」。

食後、散歩に出る。

散歩の足をちょっと延ばして、竹橋の東京国立近代美術館へ行く。

お目当ては「恩地孝四郎展」である。

昨秋、東京ステーションギャラリーで若き日の恩地らが刊行した雑誌『月映え(つくばえ)』にスポットライトを当てた展示会が開かれたが、今回は恩地個人の生涯にわたる作品を見渡すことができた。具象から抽象まで、木版から油絵まで(彼の油絵をまとめて見たのは初めてである)、そこに一貫しているのは「垢抜けた」感覚である。

「恩地孝四郎展」を観てから、常設展も観る。以前は4階から2階までただ時代順に(教科書的に)所蔵作品が展示されているだけだったが、今回は企画展と連動させるという工夫が凝らされていた。

これは恩地の作品「東京駅」。

同じく「駅」を題材にして別の作家たちの作品が数点展示されていた。

小泉葵巳男「戸越銀座 荏原区」

前川千帆「五反田駅」

木村荘八「新宿駅」

これは路面電車の停車場を撮った作品だが、富山治夫「過密」。

常設展は途中で閉館時間が来てしまった。残念。今月28日までなのでもう一度来て、じっくり見てみたい。(常設展は写真撮影OK)

図録を購入。

ふと浮かんだ疑問。「恩地孝四郎は音痴だったのだろうか?」

さて、帰るとしよう。

「有楽町駅」で途中下車。

「大角玉屋」で苺豆大福とみたらし団子を買って帰る。

蒲田に着いて、「有隣堂」で本と雑誌を購入。

北条かや『こじらせ女子の日常』(宝島社)、同『本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版)

上野千鶴子『上野千鶴子のサバイバル語録』(文藝春秋)、勢古浩爾『さらなら定年後のリアル』(草思社文庫)

NHKテレビテキスト『将棋講座』3月号

7時、帰宅。

夕食はオムライス。

デザートは苺豆大福とみたらし団子。

清水幾太郎の本の中に、恩地孝四郎がかかわっているものが一冊ある。

『私の心の遍歴』(中央公論社)

恩地が手掛けたのはこの愛らしいカヴァーではなく、本体の表紙の方だ。

この抽象的デザインはたしかに昭和30年代の恩地のものである。

食後、ロバート・デニーロ主演の『マイ・インターン』を観る。一人で観るつもりだったが、途中から妻も一緒に観た。「こういう老人になりたい」とアメリカ人が考える一つの見本を彼が演じている(別の見本は『グラントリノ』のクリント・イーストウッドではないだろうか)。「タクシー・ドライバー」から「シニア・インターン」まで、芸達者な人である。

 


2月15日(月) 曇り

2016-02-16 13:05:12 | Weblog

7時、起床。

トースト、目玉焼き、サラダ、紅茶の朝食。

午後、散歩に出る。

昨日とは一転して冷え込む一日。

家を出るときから「上むら」で鍋焼きうどんを食べようと決めていた。

満を持して鍋焼きうどんのお出ましだ  たかじ

海老天、卵、お麩、蒲鉾、鳴門、隠れて見えないが鍋の中にはお餅が沈んでいる・・・基本に忠実な鍋焼きうどんである。

うどんは生卵が溶け出した汁をからめて食べる。うまい。冷え込む日の鍋焼きうどんは至福である。

食事を終えて駅の方へぶらぶら戻る。

漢方の一種だろうか、あんずを専門に処方する薬局を見つけた。妊婦さんにはいいだろう。あんずるより産むがやすしだ。

帰ったら妻と一緒に食べようと「銀だこ」でたこ焼きを購入。先週の『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(第4話)を観て、たこ焼きのことが頭にあったのだろう。練が音に作ってあげて一緒に食べたあのたこ焼きだ。こうやってTVドラマはわれわれの生活に入ってくるのだ。

しかし、妻はまだジムから帰ってきていなかった。しかたがないので、一人で全部(8個)食べる。明らかに食べすぎだ(鍋焼きうどんを食べてからそれほど時間が経っていない)。現実はなかなかドラマのようにはいかないものである。

 宮崎公立大学の阪本博志さんから論文の抜き刷りが送られてきた。

 「大宅壮一の戦中と戦後-ジャワ派遣軍宣伝班から「亡命知識人論」「「『無思想人』宣言へ」、『現代風俗学研究』第16号.

 「没後45年「マスコミの王様」大宅壮一の知られざるプロパガンダ映画」、『東京人』2月号.

 「近現代日本の大衆文化と活字メディアの読者参加企画-1950年代『週刊朝日』の「表紙コンクール」「文化講演会」を中心に」、谷川建司ほか編『東アジアのクリエイティブ産業-文化のポリティクス』(森話社).

大宅壮一や雑誌『平凡』の研究を倦まず弛まず続けていらっしゃる姿勢に感服する。私も今夏には久しぶりに清水幾太郎研究で一本書こうかな。

夕方、「phono kafe」に顔を出す。救命看護師のKさんと連絡が取れ、たぶん今日が「phono kafe」に顔を出すのが最後になるだろう彼女と会うためである。彼女は私より一足早く店に来て、食事をされていた。

私は夕食はあとから家で食べるので、大根とレンズ豆のサラダとあずき茶を注文。彼女はあずき茶を知らなかったので、勧めてみた。気に入ってくれたようでよかった。

自家製アイスクリームも注文する。Kさんはヨーグルトを注文した。お気に入りのメニューのようである。

Kさんは月末に病院の寮を引き払って、いったん栃木の実家に戻り、親孝行をしてから、彼の待つ奄美大島へ旅立つ。島での生活が一段落したら再び看護師として働きたいそうだ。

居合わせた常連客や大原さんと一緒に記念の写真を撮る。

Kさんは奄美に旅立つ前に東京マラソンに出場するのだそうだ。そんなふうにな人には見えないので驚いたが、実は彼女、高校時代は栃木県代表で卓球の全国大会に出場経験があるそうで、東京マラソンに備えてハーフマラソンを2本走っているとのこと。おみそれしました。その体力と気力が救命救急の現場で働くバッググラウンドにあるわけですね。

店を出ると、雪がチラホラ舞っていた。「わぁ、雪!」とKさん。

「奄美にも雪は降るのでしょうか」と聞いたら、「この間の寒波のときは奄美にも雪が降ったそうです」とのこと。

彼女は自転車に乗って帰って行った。マラソン頑張ってください。そして島での新しい生活もね。

 夕食はロールキャベツ。

バジリコの風味が効いて美味しいかった。

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』第6話をリアルタイムで観る。

修羅場だった。社会学でいうところの違背実験を観るようであった。実生活の中で、われわれは「それを言ったらお終いでしょう」ということは言わないようにしている。我慢しているという以前にそういうことをしようという気持ちを無意識のうちに抑制している。われわれの日常生活はそういう暗黙の規範に支えられて秩序を保っているのである。あの場面での小夏の言動はそういう日常の秩序を破壊するものであった。修羅場とはああいうのをいうのだろう。

そして5年後、練のあの豹変ぶりは何だろう?! 電車の人身事故に「チッ」と舌打ちをしてタクシーを拾う練のあの髪型は何だろう?! これまでの梅津かずおみたいな髪型のあの朴訥とした青年はすべて演技だったのか?!(ドラマだから演技には違いないです)。

次回が待ち遠しい。


2月14日(日) 雨のち晴れ

2016-02-15 11:57:55 | Weblog

8時、起床。

春一番が吹いている。一緒に雨も降っている。

外出には不向きな天気だが、10時までに「TSUTAYA」にDVDを返却に行かねばならない。やれやれ。

春一番破れかぶれの雨の中  たかじ

外出したついでに床屋に寄って行く。日曜日にしては客は少ない。

店内には東京FMの「ベッキー・ゴー・ラッキー」がかかっていたが、「今日が最後の放送です」とベッキーが明るい声で語っていた。

私の隣の椅子の老人は、髪を切ってもらいながら、「明日、病院に行くのだが、もしかしたらそのまま入院になるかもしれないので、今日はパチンコと麻雀と競馬をやるんだ」と淡々と語っていた。

散髪を終えて、「テラス・ドルチェ」で遅い朝食をとることにした。

モーニングセットA(560円)をチョイス。

店を出るとき、さきほど床屋で隣の椅子に座っていた老人がコーヒーを飲みながら競馬新聞を見ていることに気付いた。老人もここが馴染みのカフェのようである。

入院前の娑婆での最後の一日(になるかもしれない日)に自分なら何をするだろう。馴染みのカフェの梯子だろうか。

午後には雨が上がって、青空が広がった。

遅い昼食を妻と昨日行けなかった「phono kafe」に食べに行く。

私はおにぎりセット、妻はご飯セットを注文。

蓮根ボールと白菜のあんかけ(左)、ベジミーとの唐揚げ(右)

蓮根ボールと白菜のあんかけをもう一つ(左)、薩摩芋の黄粉サラダ(右)

ルッコラとひじきのサラダ胡桃ソース

 

揚げ茄子とプチトマトのマリネ

救命看護師のKさんが昨日店に来て、私にメールを出したのだがまだ返事がいただけていないという話を大原さんにしたそうだ。えっ?ホント?メールはいただいていないけど・・・。彼女の新しいケータイのアドレスを大原さんに教えてもらってこちらから連絡してみることにする。

夕食は麻婆茄子、冷奴+納豆、春雨サラダ、卵と玉ねぎの味噌汁、ご飯。

 

卒業生からメールが届く。以前、私が送ったメールに最近気づいたそうで、その返信である。この頃、ラインの普及でメールを使わなくなった人が増えているそうだが、メールアドレス自体は生きているので、送ったメールが開かれないで放置されていることはこちらにはわからない。困ったことである。