黒板の裏側で~おうみ進学プラザの毎日~

おうみ進学プラザは滋賀県の学習塾。困って、喜んで、泣いて、笑って、そして時々怒って。塾のドラマを実況中継します。

縄文人もなかなか頑張っていたらしい。三内丸山遺跡。

2006-09-01 17:20:02 | Weblog
あの「三内丸山遺跡」に行きました。三内という地域の丸山という場所にあるから三内丸山遺跡。丸山先生が発見したのかと思ったのに。で、壮大な縄文遺跡でした。この遺跡の発見は大ニュースでしたね。「縄文人はイノシシを追いかけ、貝を拾う狩猟採集生活をしていた。だから定住していませんでした」と習っていた。猿よりも少しマシなのが縄文人で、身体に適当に毛皮を巻き付けて石器を持っている。そういうイメージが一変して、大きな村を作って暮らす。計画的に栗やドングリを栽培して、みんなで協力してサケなどを捕る。海にも乗り出していたらしい。
縄文時代は意外に豊かだったという見方が登場しました。「日本の縄文文化は、世界4大古代文明に匹敵する。よって、世界5大文明と呼ぶべきであって、黄河文明の亜流や借り物ではない!」と力こぶムキムキの説を展開する人もおります。
で、その三内丸山遺跡をトコトコと歩き回りました。土偶が意外に可愛らしいものだった。そういえば、あの宇宙人のような遮光器土偶も青森県で出土していたのでした。青森県は偉大だったのだ。弥生の稲作時代になってから「やませ」で苦労し始めた。「青森にとっては稲作が災難の始まり」みたいな説も見かけたけれども、それでも稲作の方が収穫量が多かったはずで、ちょっと無茶な論ではありますまいか。
これで西の佐賀県・吉野ヶ里遺跡と東北の三内丸山遺跡、両方を見ました。後は卑弥呼の墓でも見たいもんだ。誰か発見してくださいネ。滋賀県で見つかったらすごいゾ。
今日は「格調高い歴史紀行ブログ」になってますから、写真は三内丸山遺跡。私、弥生系の雰囲気ですから似合わない。縄文人のみなさんに「この男、何じゃい!」と叱られてしまいそう。で、こんな建物、私の田舎には今でもありますけど…。

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