King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ゴールデンウィークはミューズパークでジョギング

2019年05月08日 13時26分08秒 | ジョギング

結構寒い日も多かった今年のゴールデンウィークは焙煎機のチューニングに

明け暮れる一方、その焙煎方法も苦心して味を極める時間もさることながら

精神や体力のためにいつもより長く走ることにしました。というわけでホームコースのミューズパーク

のサイクリングコースを走ることにしました。ここを二往復します。

取り分け春にこの道を走ることには意味があります。

春に桜の咲く前にこの公園にはヒュウガミズキなどの花が咲き始めてそれらが

実に良い香りがして走る気分を随分癒してくれるのです。

市内を走ると今ではいつでも排気ガスやどこかでごみを燃やすような臭いに包まれて

とても不快なことの方が多く、町の様子や季節の空気を感じるというよりは

臭いことの方が多いのです。

 

それでも毎日走りに出ることでその変化は確実に感じられるし、季節の移り変わりや

自然の変化も肌を通してこそ感じられるのです。これはただ散歩をするのだと

その自然の移り変わりや厳しさまでは感じられることもないのですが、夜走ると

時にはこのまま凍え死んでしまうのではないかという事まで時には考えるほど

冷え込みつらいこともあり、そういうものを肌でじかに感じてこそ季節も感じて

生きているという意識も湧いてくるものだと感じられ続けて走っているわけです。

 

それでも随分走る距離を最近はさぼり気味でそれにつれ走力も落ちてしまっている

感じを受けこのままではいけないという意識も湧いていました。

そんな事もあり、走ることに集中できるところでどれだけ走力の差があるかも見極めて

見たいとも思いました。

 

それでもミューズパークを走るのは気持ちのいいことで、ご褒美的な意味合いも強いのです。

まず、自宅近辺ではまだ聞けないガビチョウの鳴き声も久しぶりに聞いた感じでした。

この鳥の鳴き声はまるでずっと歌を歌う近所の元気なおばさんのようなしつこさとうるささ

がありますが、走る時には結構癒されます。

 

久しぶりに走ると靴のヘリやへたりまで感じられそれらが必要なほど走ることに集中でき

リズムやらフォームやらも気にして今まで作ってきたこととか培った走りとか改めて

チェック出来ました。

 

スピードに乗ってランペースで走る気持ち良さや忘れていたことも改めて味わい無心になることや

自分自身が乗り物になったように感じて体を道具のよう自転車に乗るようなつもりで走ることや

前考えていたことなどをしっかりと思い出されました。

 

唯一気がかりは駐車場が滑り台下の駐車場には止められず、先の芝生の所まで行かないと止められない

ことです。

ランナーは多く、すれ違う人はほとんどランナーでかつていたウォーキングの人は少なくなっていました。

観光客は多く、芝桜の無料駐車場になっていることからその連絡バスがひっきりなしに通りかなり稼働して

いることを知りました。今では温泉施設もあり、ここは走った後に使うこともでき便利で良い施設だと

おもいます。これからシャクナゲやねむの木、アジサイなどの花が次々に咲き、色々な鳥たちが歌い

そんな季節の花と鳥と新緑の香りと木陰の道を走るという良い環境なのです。

 

もっと色々と使いやすくこれからも良い変化を望みたいところです。

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妻籠目宿と山の中

2019年05月08日 12時01分52秒 | 日々のこと

夜中にドキュメンタリーで妻籠宿が世界遺産から除かれたというのを

やっていました。

 

今やこういう世界遺産は外国人旅行者であふれています。

 

平成の大合併で色々と不都合な事は起こっています。

 

この妻籠が岐阜になり世界遺産からも除外されたというのですが、現実問題として

ネットで検索する限りその弊害というか行政が変わったことによる差別化とか

中山道の宿場町から除外されたようには受け取れません。

 

未だに妻籠と馬籠と両方普通に皆訪れているようです。この合併による弊害を

取り上げている人もいません。

 

番組では観光予算が行政により違うので施設に差が現れているとか。

 

ドキュメンタリーが言うほどの弊害もないほど世間は今まで通り妻籠と馬籠を受け止めて

おり、今まで通り木曽路は全て山の中です。

 

秩父も同様山の中であり、過疎が問題になっています。

 

とかくテレビで流れるのは芝桜の映像や武甲山ですが、定期的に秩父に訪れている人は

そんなものを求めているのでしょうか。

 

そんな見えない需要を掘り起こして応えるのが今の情報化社会です。

 

秩父の家々には珍しい花や季節の花々が植えられていてそれらは私がランニングする時には

時には萎えそうになったり気分の乗らない日でもそんな花や木がそっと応援してくれるようです。

私と同じように秩父に走りに来ている人も最近は増えて旅ランナーにも出会います。

 

そんなランナーにお勧めなのは駅中の温泉もいいですが、市内のレトロな銭湯などは

おすすめです。

 

こういう今ある資源ややがてなくなるだろう消えゆくものに行政に何かやってもらう

という態度や期待する姿勢の前にそんな者たちやちょっと変えればもっと良くなるものを

考えたらどうでしょう。

 

我々は行政の枠やら線引きとは関係なく山の中に住んでいるという過疎とその将来に

不安を感じつつそれでもその楽しみの中にいることは間違いなく、それを楽しんでいます。

 

かつてあった国民宿舎や桜のぞんざいに切られた羊山など生かせるものはたくさんある

と思います。

 

こころを形にするとか気持ちを必然に変えていくとかやりようも最近は見えたりします。

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国民統合の象徴の違和感

2019年05月08日 09時33分59秒 | 珈琲

ゴールデンウィーク中はじっくりと焙煎に向き合い、焙煎機のチューニングに

専念して釜の清掃を徹底したり排気管の汚れを取り除いたりと隅々に調整を試みて

いました。

 

ほんの数ミクロンの煤のコーティングでも釜についていればそれは豆のフレーバーに

影響するばかりか温度変化にも影響します。こまめに念入りにそれらは徹底管理しないと

なりません。手を抜けば即座に味に現れるでしょう。少しでも温度変化や豆の膨らみ方、

さらには豆の表面に変化があれば釜の管理に手を下さねばなりません。

 

忙しく注文をこなしているときこそその罠は待ってくれなくてそこここに地雷として

潜んでいるのです。

 

そんな中ラジオのニュースで聞こえてきたのが即位後の天皇のお言葉です。

 

なぜ見世物の様にお出ましになりそれを見物の様に14万もの人が押し寄せるのか解りませんが、

ニュースで聞こえてきたお言葉は日本統合の象徴としての務めを果たしていくというものでした。

 

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 

これが憲法第一条であり、国民主権を謳ったものと言われます。

 

かつて自民党が示した憲法草案では

天皇は、日本国の元首であり
日本国及び日本国民統合の象徴であって、
その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

でした。

GHQにより、議会制民主主義が与えられ国民主権、基本的人権、法の下の平等など近代国家の枠組みを

からの復興をスタートしたわけですが、もともと議会制民主主義や立憲君主制は明治政府から日本は

世界の先進国に倣い整えていたのです。ただ違うのは市民が立ち上がり今までの政治中枢を打ち破り

自分たちで話し合い決めるというルール作りをしてきたという血による改革はなく、大国の覇権の中で

理想の平和主義から再軍備要求などさんざんもみくちゃにされてここまで来ているわけです。


そこに来て、日本の統合の象徴を聞くとあたかも自分が統治していくというような聞こえ方もして

人が象徴であるという特殊な表現は統治のためなのかとか、ただ象徴天皇という飾りというものに

格下げされた存在以上に統合とか統治というのは全体主義的なイメージを沸々と醸してくるのでした。


実は上皇になるという三年前の退位の話の時に、私は退位した天皇が憲法上何も定義のない立場から

公民権を行使して、一般国民として意志発言をSNSでしだすという小説を思い立ちました。


条文上無くても国民に属するか国民(人権享有主体性)に天皇が含まれるかについては学説上肯定派が

通説となっており、なおかつ刑事被告人や民事被告人にはならない存在とされ、その特殊性は判決により

補完され続けてきた存在です。


安倍首相が自衛隊の違憲問題に終止符を打つとして憲法改正を打ち出していますが、これなどは過去の

違憲判決を葬り、基地問題や条文にないが平和的生存権などの理念を確立してきた判例を抑え込み、

今後の基地問題や安保条約に反対する訴訟を封じ込めることになるでしょう。今まではナイキ訴訟の

様に違憲判決を書く勇気ある裁判官もいましたが、今の忖度政治では誰も判断前の門前払いばかりで

有事事態法や有事法制の違憲性など誰も憲法判断を避けています。

 

昨日のニュースでは天皇が執務中の映像が公開され象徴という存在も実際に仕事があるんだよという

機関的印象を強く求めての事なのではと思えてくる初映像なのでした。

 

しかし、その天皇制も嫡出子であり男子に限るという現行の制度ではその存続が危ぶまれ、憲法の

第一から八条まで使い最初に規定した天皇という存在を改めて考えさせられる統合の象徴という

自らの発言なのでした。

 

 

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