King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ローカル路線バスの旅の感想

2019年05月17日 12時58分41秒 | 日々のこと

最近楽しみにしているテレビ番組など無くなっているのですが、

つい見てしまうというものの中にローカル路線バスの旅のシリーズが

あります。

 

現在、ローカル路線バスの旅Zというシリーズと復活した蛭子能収と太川陽介の

コンビのものがあり、二年ぶりに復活という大宣伝の元昨日放送があったのですが、

それにつれその放送前に過去の蛭子と太川のバス旅を昼の時間に再放送しており

それもなんとなく見てしまうという事になって色々思うことがあり書いておこうと

思います。

 

というのはまず昨日放送されたのは旅バラという毎週放送そうされている田川と蛭子の

旅番組の中でバス旅が復活したもので、二人の旅番組としては少し数字が落ちてきたため

この満を持してのバス旅の復活でテコ入れを図ったことは想像に難くなく、抜かりなく

再放送で盛り立てるという復習放送までしているということでそれもみてしまったのですが、

思ったのはとにかく再放送された回は8、9、10というのは京都から出雲大社、出雲大社から

枕崎、四国大周遊というまさに一大大作であり、一番シリーズ中でも見どころ満載のよいところ

ばかりのシリーズを再放送していることから抜かりはないなあという事と当時のバス旅といま

Zになって何かと本家と比べられる彼らの何がまずくて何が良いのかもつくづく解る結果と

なったのです。

 

まず、再放送を見て思ったのは時代の変化です。蛭子がふっくらしていてバスの時間調べにもコース

に対しても積極的に調べて走って様子を見に行ったりとフットワークも良かったこと、とにかく食事や

バスの会話に面白みがあり、旅にドラマが感じられること、それぞれタレントのさりげない演出など

わざとらしくなく絵作りをしているのは感じられるもののそれら魅力となっている数々が実はZでは

全くないものになっているという事が改めて感じられたのです。

 

その後、時代が進み、9回などは地震前の熊本城が映っていたりと時代を感じられる場面も多々あり、

このあたりの回ではとにかく食事がうどん350円かつ丼500円と物価がやたらと安いのです。今週の

バス旅で特別ルールで一万円までタクシーを使っていいというルールになったり、成功するとご褒美が

あったりと何かと即物的になってしまい今後が危ぶまれるような要素も感じられました。

 

その即物的な要素は毎週放送の二人の電車旅でのルールで途中下車する駅ごとに賞金がでてそれで

その駅の名物や魅力を紹介するという使命があるというゲーム性を強くしたために現れた現象で

段々回を追う度に視聴率が下がったのもこのルールが面白さをそいだのではと予想され昔のドラマ性

とかふれあいとかが本来の魅力として認知されているのは制作側も知っていて今回の再放送なのだと

感じました。

 

その後、回を重ねるごとにバス旅が歩くことが多くなり、ミッション成否にこだわる難しいものになり

ドラマ性やつかの間に観光する珍しい旅番組の要素が少なくなり、滅多に現地の名物とか名所が映らない

物に変化しました。特にZではないとなるとあまり情報収集してコミュニティバスなどを探すより直ぐに

10K程度は歩いてしまい、その大変さがあまり画面から伝わらず、高齢の蛭子が歩くのを嫌がり、マドンナ

がへたったりという構成もとにかく体力が問題にされるような画面となってくると共感性やおもしろさが

損なわれ旅なんかどうでもよかったんだという事が改めて際立ったのです。

 

というわけで視聴率を上げたいという制作側と蛭子と太川でなくちゃという視聴者の欲求が合致して復活した

という昨日の放送は、一泊二日というサイズと変速マドンナの起用とか過去にこだわり最終回の地からの再出発など

ドラマ性と太川のバス旅能力の高さなどを再認識させてファン心理をくすぐるものになってはいたものの、これを

毎週やるとなるとみる方もやる方も何か無理があるようにも感じるのでした。

 

放送予定をざっと見ると次の週は蛭子だけの電車旅で次はバス旅が続くようです。

 

果たして数字は戻るのか何よりバス旅を毎週というのは続けられるのかファンとしてはこのシリーズをもっと大事に

持続可能なものとして取り扱ってほしかったなあという気分が今は強いです。

 

今週の感想としては田沢湖周辺というのは今年の冬スキーに行こうと計画していた地だけにその果たせなかった

思い入れで乳頭温泉だとか雫石とか関東からの距離感を改めて感じて画面を見入ったのでした。

 

次のシーズンに田沢湖に行けるのかそれとも夏に八幡平を歩くのかいずれにしろまだ見ぬ景色を今度は初めての地を

踏むことに重点化して今後の行動とともに考えるのでした。

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アヤメかカキツバタ

2019年05月17日 10時05分29秒 | 珈琲

今朝の目覚めも昨日と同様一回も目覚めずに朝を迎えました。

 

 

そして、夢もしっかりと見ました。昨日の夢は苗場の特別オーナーズルームのような

会員制リゾートにいる夢で、今日は珈琲に関するものですが見方が変わっていました。

 

運動強度や疲れの蓄積とか色々と影響はあるでしょうが、この夢を毎日見てそれが変化

しているという別次元で物語が進んでいるかのような不思議な状況は毎日楽しみになって

きました。

 

さて、庭の木々の新葉ももはや前の物と見分けがつかないほど成長し、風に揺られる様は

悠久の時を感じさせています。この時期木の葉の状況をよく観察していると色々な虫がいて

それをついばみに来る野鳥や厳しい命のやり取りがされているのですが、それを人は傍観者の

立場で見たり管理者のつもりで介入したりとするわけですが、他の庭を見ればそれはどう

そこの人が感じて庭を日々眺めているかはすぐわかります。

 

私の昔の記憶で強く残っている今時の記憶としてはバラの木です。バラは虫が付きやすく

庭に植えるのを嫌う人もいます。とげがあるから嫌いという人もいます。私はバラはとにかく大好きで

バラのアーチとかモネの庭のようにバラを植えてみたいという野望もあります。

 

そのバラが昔育てていてそれが虫にはを食べられたといって騒ぎその虫を退治せよという命が

下されました。しかし、もはや食い荒らされた葉だけで虫の姿はありません。どうするのかと聞くと

これは夜光虫の仕業なので朝五時に起きてまたみてみろというのです。翌朝言われたとおり朝起きてみると

大きな虫がいたのです。白い芋虫のような虫がむしゃむしゃと葉を食べており、それはなんとも感動的な

事件に感じ虫に勝利した達成感のようなものも感じました。

 

この様に庭の植物を愛する人は日々の変化を観察して草木が健康かどうか会話して、自身の体も健康か

どうか木に見てもらっているのだと思います。

 

そんな目に見えないものの会話の果て、当家に私の好きな花が自然と集まり、今だとオダマキ草と初雪カズラ

などが見ごろとなっています。また、この時期咲くものとしてどこの庭にもあるアヤメやカキツバタなどの

花があります。カキツバタといえば根津美術館の尾形光琳の屏風があり花を思い浮かべますが、実際にその

違いがハッキリとは記憶していないのも事実で、花の形と色は屏風の色と形とも思い出せますが、実際に

咲いてる花は各家庭に今でもあるのにどうも同じもの同じ花としてのイメージが湧かないのです。

 

昔にその違いを完全に覚えていた時もありましたが、今では何やら怪しくなってしまい、

特に区別しなくなってしまいました。

 

それでも尾形光琳の描く屏風の花はすぐ浮かぶし、その配置と色と琳派最高の美が彼の人生と

当たり前に家名に乗って絵を描いていたなら当然あり得なかったであろうことを今見ているんだと

いう感動はやはりこの時期見てこその味わいがあり、実際に庭に咲いたカキツバタを見てそれにちなんだ

料理など食べ諸々と重ねて味わうとまた広がりに満足するのでした。

 

そういうものが人の営みとか旅とかに通じて何かと人を呼んでまた物語ができるのです。

 

ところが最近はあまりに人工にそれらがこじつけられていたりインスタ映えなどという

見た目だけの流行りに終始していたりして口を開けばやべぇとしか言えない人ばかりと

暗澹たる気分になるだけです。

 

さて、昨日も触れた過去の罪についてもう少し書くと、アランチューリングという天才に

ついて映画ではその天才が戦争を早く終結させたのに当時性的志向が罪に問われて自殺に

至ったという描かれ方をしており、性差別とか人種差別というのがついこの前まで先進国では

当たり前だったという事が思い起こされるのです。

 

今では当たり前のことが当然に法として禁じられていたりというのは一見進歩の兆候と成果の

ようですが、イランや北朝鮮に今行われていることや世界情勢など果たして進歩しているのか

平和と人権は昔より守られているのかというのは甚だ疑問なのです。

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