先日のテレビのドキュメンタリーで元アイドルの人がガンを公表したその後を
やっていました。
いまではガンは直ぐに死に至る病気とは言えない実態とそれにつれて感じること
が最近周りにあり考えることが続くのでした。そのアイドルの言ったことによると
若い女性が乳がんになるのは10人に1人の割合であり、仕事を続けて治療が可能な
病気であるという事でした。
一方樹木希林さんのように全身に転移して亡くなる方もいるわけで直ぐには死なない
けれど以前のように実験的最新治療を受けてもたいして余命が伸びるわけでもなく
苦しいだけという状況でもないようです。
そうなると何故とか理不尽とか、怒り、不安といった感情が渦巻くといった状況の中
何気ない会話が癒されるのだとか。
人生100年時代などといわれ高齢の人が増える中、昨年、今年と葬式に参加する日は増え
その人たちの年齢は皆80以上でした。
人間の寿命は最高で130歳という限度は変えられないそうです。
いずれはほとんどの人が130の寿命を全うし、その人格は電子保存されるような未来があるかも
知れません。
一方地球上で一番寿命の長い生き物として楠や銀杏などがあります。400年500年という寿命と
いわれていますが、現存する巨樹は2000年の物もあります。しかし、黙して何も語らない彼らに
その存在理由と現存を問うとなにやら生そのものの意義を考えざるを得ません。
そうなると人類の一員としての生とか、DNAを残す意義とか、ハイデガーの存在論などだしてきても
元々東洋の思想としては最初に無という観念があり、西洋の神やら創造主というそれこそ想像の物を持ち出して
応えてきた歴史からすれば、現実に2000年も生きている生命を前にすれば100年と2000年の差は歴然で
一言も発しないその存在の前に人間などは何を言っても無意味に思えてくるのでした。
確かに今までに人類が解き明かした科学的実績は自然の一端を明かし、その謎に光をさしはしたものの、
なぜ我々が生まれ何をなそうとしているのかという単純な事さえわかってはいないのです。それは2000年も
生き続けた巨樹とたいして差はないのではとどうしても思えてきます。