King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

気になる問いはありますか

2019年05月28日 13時41分41秒 | 珈琲

暑かった日々も今日は雨の予報があり、少し和らぎそうです。

 

焙煎機のそばで午前中を過ごし、お昼には発送を済ませました。

 

昨日はいつものように陽が沈んでからゆっくりと走るという事が

できず、あたふたと午後走り、さらにシャワーを浴びてから出かける

つもりでしたが、うちに着いてみるともう時間がありませんでした。

 

楽しみのジャスミンシャワーもどうやらテイカカズラの匂いではないようで、

今年は何かと裏切られている感じがします。

珈琲にはあるいつもある安らぎと安寧の時間が待っていますが、人生においては

時にうらぎりと勘違いがとんでもない事態に進んで行ったりします。

 

学生時代や子供時代であれば質問の時間があり、疑問については聞いてよいことに

なっていました。ところが、大概は子供時代の質問可は時にもうおしまいにしましょうであり、

必要な問いがされることはないのでした。それに慣らされてしまうのか、疑問を持つとこれは

いつも自分で解決するか他の人がどう思っているのかという問いは聞く機会がないのです。

 

私にはそのような機会のない質問がいつもあるようで、それに対して答えを持たない人ばかり

なのに、つい質問してしまいます。

特にあなたはこの問題どう考えますかというような質問はまったく得られる答えはその本人が

問題についてどのような考えを持つかというものではありません。

ひどにときにはそれはあるあるになっていてという答えが返ってくることもあります。

 

なんですか、あるあるってと最初のうちは思っていましたが、それは誰でもそういうことは

思うよねという同情票のようなものなのかと最近は分析しますが、どちらかというとトランプ氏の

ディールの方があってるかもしれません。

日本は新天皇即位の承認に何を差し出したのか、新聞やマスコミは具体的に書きませんが、

参議院選挙後それはかなりの譲歩を迫る要求が襲い掛かるかのような印象です。

 

しかし、マスコミはトランプ大統領のファンのように来日予定を追い、晩餐会に誰がでたとか

中継や細かい出欠者の情報やらを流すばかりです。トランプはなぜ来たのかとか誰が何のために呼んだのか

という問いは誰もしないのです。

 

この様に何も考えない人とか大人の意見を持つ人が非常に少なくなっているという危機感さえ抱きます。

私の持つこのような気持ちを理解される方は少なく、意見も得られることはないのですが、質問を

することや聞いてくれそうな人を見つけられると何やら希望を見いだせたように気にさえなります。

これもいつも約束された安らぎと安寧の時間のおかげかもしれません。

コメント
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