理由のその2であるが、本妙寺はその後「触頭(ふれがしら)」という、重責をさずかったようである。これは配下の寺の意見をまとめて幕府に上申したり、あるいは幕府からの通達を関連のお寺に伝えるための役目をしていたようである。これはそれなりの権威と地位をもつものであるので、とても本当に火元であるお寺に授けられるものなのか疑わしいものである。やはり幕府側としては本妙寺に「借り」を作ったようである。
理由のその2であるが、本妙寺はその後「触頭(ふれがしら)」という、重責をさずかったようである。これは配下の寺の意見をまとめて幕府に上申したり、あるいは幕府からの通達を関連のお寺に伝えるための役目をしていたようである。これはそれなりの権威と地位をもつものであるので、とても本当に火元であるお寺に授けられるものなのか疑わしいものである。やはり幕府側としては本妙寺に「借り」を作ったようである。