医者になって15~20年は「桜がきれい」という感情が起こるという心の余裕はなかった。数年に1回くらい満開の桜の下を通る機会があっても、もちろん昼間であるはずがなくそれは夜間であり、そこは花見の宴会の真っ只中であった。あの嬌声とドンチャン騒ぎの横を通りかかっても、「あぁ、きれいな桜・・」などという感情が沸き起こらないのも不思議ではない。すでに江戸時代から桜の花見の宴会が行なわれていたようである。家の近くの飛鳥山は桜の名所といわれているが、時の将軍が、庶民の政治不満の矛先を替えるため飛鳥山に桜を植え庶民の花見を推奨したのだと聞いている。確かに大昔であれば荒川方向への見晴らしもよく、遠く筑波山も眺望できたらしい。あのあたりはたぶん田んぼや畑ばかりであり観光名所であったようだが、昔の人はみんな中央から歩いてきたのであろう。日本橋から8~10km弱を往復しての物見遊山は脅威である・・・。