最近のコロナ騒動で患者さんに「よく手洗いして下さいね」と毎回言うようになった。手洗いということばで思い出したのだが、トイレのことを「手洗い」と言う。これは割とルーチンに通用する。トイレで目的とされる行為は排尿、排便である。つまりストレートな表現にすれば「便所」なのであるが、それを婉曲に「手洗い」と言って使っているのである。日本人は便所に行ったら排尿便と同等に手も洗うということを昔から固有名詞の中で習慣づけられているのかなとも思う。
はあ~そうか奥ゆかしい別の表現は、清潔であることを旨とする国民性なのであるということも示しているのかなと考えたのである。
しかし・・・である。トイレの別の言葉では(今はあまり通用しないが)、「ご不浄」とも言う。この正反対の表現は一体何なの? これら排尿便行為が不浄である感覚・・・どうなんだろうか?
江戸~明治期では分娩は「不浄なもの」「穢れのもの」として捉えられ劣悪な環境で行われたという。今では母親が命を懸けて行う崇高な行為として尊敬の念を持たれる。この今昔の両極端の評価はどこで変化したのであろうか。
なので現代では「人間の生命維持のための普遍的排尿便行為を不浄とは何事ぞ、これこそ差別用語だ」とばかりにトイレが怒ってくれてもいいと思うのである。ま そのうち「ご不浄」は死語になるだろうけど。
はあ~そうか奥ゆかしい別の表現は、清潔であることを旨とする国民性なのであるということも示しているのかなと考えたのである。
しかし・・・である。トイレの別の言葉では(今はあまり通用しないが)、「ご不浄」とも言う。この正反対の表現は一体何なの? これら排尿便行為が不浄である感覚・・・どうなんだろうか?
江戸~明治期では分娩は「不浄なもの」「穢れのもの」として捉えられ劣悪な環境で行われたという。今では母親が命を懸けて行う崇高な行為として尊敬の念を持たれる。この今昔の両極端の評価はどこで変化したのであろうか。
なので現代では「人間の生命維持のための普遍的排尿便行為を不浄とは何事ぞ、これこそ差別用語だ」とばかりにトイレが怒ってくれてもいいと思うのである。ま そのうち「ご不浄」は死語になるだろうけど。