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今日は七夕。最初に記憶にあるのは戦局も逼迫した1945年7月。疎開していた田舎で、何もないところだったが、竹はどこにでもあった。母方の祖父が、「今日は七夕だ」と細めの竹を切ってきてくれた。
五色の短冊などというものは全くない。紙そのものが不足していた時代、どんな紙に何を書いたかはまったく記憶にない。母屋のいとこたちといっしょにいろんなことを書いたことは覚えている。それを大人たちがこよりを作って笹に結びつけてくれた。
いまから振り返れば、「早く戦争が終わりますように」と書くところだろうが、そんなことを書いたら戦意高揚を妨げる非国民といわれそうな時代、ひょっとしたら、「一億火の玉」、「神風が吹きますように」、「一人一殺」などと物騒なことを書いたかもしれない。
まったく覚えてはいないが、今から思えば実に質素極まりない七夕飾りだったが、それができただけで嬉しかった。疎開先から帰っても、何回かは七夕飾りを作った。色彩は豊かになったがやはり質素なものだった。
長じて、商店街などの豪華極まりない七夕飾りを見るにつけ、あれは私たちのものとは違う次元のデコレーションだと思っている。
私の七夕のイメージは、童謡の七夕の歌にフィットしてる。
もっとも、かなり大きくなるまで、この歌詞の、「きんぎん砂子」を「きんぎん繋ご」と思い込んでいたのだが。「きんぎんつなご」というのもいいイメージだといまだに思っている。
何年か前、スーパーで自由に文句を書いて笹に吊るすイベントをやっていて、その短冊に、明らかに子どもの字で「お金がほしい」と書いてるのを見てげんなりしたが、考えてみたらストレートの直球で、「いい学校へ入りたい」とか「有名になりたい」というのも所詮は「お金がほしい」に還元されるのではないかと思った次第。
この時代、現実を無視した夢を持てという方が大人の勝手な言い分かもしれないと、非現実的な私自身が萎縮しながら考えている。
https://www.youtube.com/watch?v=cke3Enf-r3o
作詞/権藤はなよ 補作詞/林柳波 作曲/下総皖一
ささの葉 さらさら
のきばに ゆれる
お星さま きらきら
きん ぎん 砂子
五しきの たんざく
わたしが かいた
お星さま きらきら
空から 見てる