昨日ぐらいまで、夜や朝に降った雪やみぞれ模様が昼には溶けて水たまりになり、それが翌朝には氷となるような日々が続いた。
それが節分が過ぎ、立春の声を聞いた途端、様相が変わってきた。
今日の日差しは春を思わせるし、来週からの予報も、これまで一桁だった気温が二桁になるという。
なんという素直な気候。
というか、昔の人たちの気候への見通しと知恵、そしてそれへの待望が詰まった暦の記述、それをしみじみと感じてる。
日本の四季は特別で、それへの繊細な思いは日本人のみが抱くという信仰のようなものがあるが、四季ないしそれに近い気候変動のあるところではどこにも待春や実りへの感謝がある。
キリスト教の行事のなかにも、それ以前のプリミティヴな民族的な祭りが隠れていることが多い。
クリスマスにしてからがそうで、キリストの生誕には諸説あり、1月から12月までほとんど毎月の候補があったが、以前からあったローマ暦の冬至の日に合わせて行うようになり、12月25日になったもので、その確定は西暦354年といわれているから、キリスト生誕350年を経てからだ。
サンタクロースも聖ニコラウスが起源だが、その属性や風習には、北欧をはじめヨーロッパ各地の民族的風習などが統合されていることは周知の通りだ。なかには秋田県の「なまはげ」そっくりの振る舞いをするサンタもいるという。
キリスト教はそうした周辺の民間宗教や民族的行事を排除するのではなく、たくみに取り入れる柔軟性をもったがゆえに世界宗教たりえたのであろう。
あらら、またまたひどすぎる脱線だ。
脱線ついでに今日の昼餉。昨夕餉の野菜のカレー煮が余っていたので、それにちくわ、しめじ、ねぎなどを加え、出汁の味やとろみも調整し直してカレーうどんに。