牛込・神楽坂 酒問屋 升本総本店の別館「涵清閣」 主人が語る

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発想も財政も! 酒が支えた知の巨人「南方熊楠」の実家は世界一統

2018-02-13 12:11:30 | 酒の情報(酒エトセトラ)
                           
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昨日は振替休日。

休日ではあっても、いわゆるブルーマンデーでしょうか。

朝起きたのはよいのですが、全く気合が入りません。

片づけだのなんなの、自宅でぐずぐずしていたら、あっという間に午後2時過ぎ。

このままではダメだ、と一念発起(大げさ)して上野に向かいます。

国立科学博物館の特別展に行った後、同じく科学博物館の中でやっていた企画展にも寄りました。


こちら

南方熊楠生誕150周年記念企画展
南方熊楠-100年早かった智の人-



南方熊楠さん、知ってますよ。

本業?の粘菌の研究をはじめ、幅広く生物学、というより博物学の人ですよね。

展示では、その生涯や現代から見たスゴさ(例えば、人間wikipediaみたいだった、とか)などを整理していました。

初めて知ることも多く、勉強になったのですが、ところどころに「お酒」の話が出てきました。

例えば、生態学などの視点から神社合祀に対する反対運動を起こしたくだりでは、当時の新聞記事が引用されているのですが、そこには「泥酔して乱入、拘引」とか「そもそも酒豪というのは乱行を」的に書かれています。






また、熊楠の研究ノートの解読のビデオ映像では、研究者が「酔っぱらって書いたような文字を解読する難しさ」を語っていたり、性格を評して「とてもシャイで、お酒を飲まないと人と話せなかった」など、酒飲みだったことを思わせる内容ばかり。


そう、思っていたら、そもそもこんなことらしい。



なんと!実家は和歌山の有力な蔵元さん「世界一統」だったんですね(しかも、父親が創業者、弟が二代目)。


なるほど、在野で研究生活を続けられたのは、そのおかげでもあったのかもしれません。


酒が支えた知の巨人、という訳です。


しかし、「世界一統」が熊楠の実家とは知らなかったなぁ、とホームページを見てみると、ちゃんとアピールもしていて、「熊楠」なるお酒も造っていました。



説明も結構詳しく載っていて、まずは事実関係を書いています。

「知の巨人」ともいわれ、世界の博物学(特に粘菌類)や民俗学に大きな業績を残した南方熊楠(みなかたくまぐす-1867~1941)は、清酒世界一統の創業者である南方弥兵衛(のちに弥右衛門に改名)の実子にあたります。世界一統は、この弥右衛門が1884年(明治17年)に創業。明治23年に熊楠の弟である南方常楠が事業を継承。現在の直系である社長(南方康治)は6代目にあたります。

その後にお酒の話も出ているのですが、、、、、

南方熊楠はその偉大な業績とは好対照に大酒豪家としても知られています。
東大予備門時代から大酒飲みで、留学先のミシガン州農学校は酒が原因で退学になり、ロンドンでもビールを浴びるほど飲んだとも。
また親交の深かった孫文・柳田國男と酒を酌み交わした逸話や、その天衣無縫な飲みっぷりなど、酒にまつわる数々のエピソードも残されています。


うーん、子孫筋にこう書かれてしまうのは、ちょっと破滅型っぽい飲み方だったのかもしれません。

注意!



#でも、昭和天皇が紀南行幸の際、「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」とはじめて民間人を詠んだ、というように、天皇にも響く巨人、だったのでしょう。






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