きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

うちはうち

2010-02-15 | 息子keke
雨が降ってしまった。

さすがにコタツ布団カバーは、朝、家に取り込んだ。
干しっぱなしだったら、悲惨だな。

あぁ・・・ベランダの紙屑が悲惨になってるか。。。((+_+))もう知らんがな。

コタツ布団は布地がワッフル生地なので、細かなのが入り込んでしまって、掃除機で吸ってもうまくいかない。
「もう買い換えようか」と私はkekeに言った。

好きにすればいいんじゃない?と言うようなことを、kekeは言い、「でも洋服だったらもっと大変だった」と言う。

そうだ。
たまたまコタツ布団カバーと拭いたタオルだけだったから、これで済んだのだ、と思う事にしよう。


コタツ布団カバーも、たしか前にここで「紺で見た目寒いから、買い換えたい」と何年も前に書いた気がする。
昔はkekeがまだ小さくて、食べ物をこぼすだろうと、紺色のものを買ったのだ。
敷布団カバーはもうボロボロだった。

もう時期的に売ってないかもしれない。
次の秋に、通販で買うのもよいかなぁ。


昨日は父の所にも行った。

父はちょうど夕飯を食べている所で、炒飯をスプーンで食べていた。
目がよく見えてないようで、言わないと他にお皿がある事が分からない。たぶん食べきれているかどうかも言わないと分からない。
箸はかろうじて、まだ使えている。食べ物にぶつかるとどうにか引掛けて食べている感じ。スプーンも付属してついてあるが、スプーンも箸もよく見えてない状態だろうと思う。
周りを見回すと、半数以上の老人は、看護士さんから食べ物を食べさせてもらっている。
それでも父はこの中では、まだ身の回りの事ができている方なのだ。

食事が終えてから、裕次郎の曲を聴くことにした。

また父は一緒に歌っていた。

「この歌はいろいろ思い出があるんだ。」
「どんな思い出?」
「ナイショ。」
と言う。

「俺はお前に弱いんだ」である。
何となく、あるだろうなぁと私も思う。


私は帰りの運転はぼんやり昔の事を思い出してみる。

どうしても懐かしいのは、80年代、私がハタチぐらいの頃のこと。
よく両親と一緒にスナックに行った事。(妹はバイトやらで、私一人が両親と付き合っている事が多かったのである)

あの頃は一番元気で、お父さんもお母さんも楽しそうだった。

それからkekeが小さい時。
よく遊びに来てくれた頃のこと。


でも、父のよく覚えている歌は裕次郎なのだ。
それよりもっとうんと昔のこと。



kekeに「今度カラオケ行こうよ」と言うと、いつものように断られた。

「今が一番いい時だよ。だっておじいちゃんとおばあちゃんもね、私がハタチぐらいの時が一番楽しそうだった。バブルでお金もあったし、毎日よく歌を歌ったりパチンコ一緒に行ってたんだ。kekeもね、いつかそう思う日が来るよ。」

そう言うと、kekeは「悲しくなるから考えない」と言った。

それはいつものように冷淡で普通の口調だったけど。

うちらは特別な言葉も言い合わないけど、その言葉を聞いた時に、やっぱり親子なんだ、と思った。そして、うちらに関しては、もう特別な言葉もプレゼントも要らないと思った。

そう、よそはよそ。
うちはうち。


私はもう二度とこんな事は言わない・・・・って言うか禁句だった。

・・・と思った。