今日もずっと家に居ました。
これは昨日の晩ご飯。(まだ明るいうちですが、やることがなかったので。)
お好み焼きです。
何となくビールが飲みたくて、冷蔵庫の奥に隠し持っていたこんな時のためのビールをプシュ!とあけました。この缶はカワイイから使い終わっても取っておくつもりだったのに、飲み終えてから間違えて、いつものクセでグシャと潰してしまいました。また今度見つけたら買っておかなきゃ。。。
これは今日、実験的に揚げた野菜チップス(のつもり)です。
レンコンとかぼちゃを薄くスライスして、軽く小麦粉を降ってフライパンで多めの油で焼いたものです。最後に塩をパラパラとふりました。もうちょっとカリッと焼けたらこんなツマミもありかな、と。
こちらは久しぶりのロールキャベツ。
ロールキャベツはキャベツの葉をゆでて包むという、作業があるからなかなか普段は作れないんですよね。^^;ソースは冷蔵庫に残っていたトマトソース(市販もの:10日ぐらい前に開けてしまった残り)とコンソメ、水、酸味強いのが苦手なので砂糖やみりんも少し加えて煮込みました。
いつも私のロールキャベツは、キャベツの葉があまり柔らかくなくて、いつもペロンとキャベツの葉だけ取れてしまい、肉と別々に食べているのです。今まで(まぁこんなものだろう)と思っていたら、今日見たレシピの方はキャベツの外側の葉は炒め物に使って中の葉をロールキャベツにしていると書かれていました。今度はそうしてみようかな。。。
こちらはキムチ鍋。
ロールキャベツを作りたくてキャベツを丸ごと1個買ってしまったので、消費したくて急遽鍋にもしてみました。ロールキャベツだの、キムチ鍋だの作っているのは、たぶん昨日から見ている「ゆるキャン△」の影響だと思われ・・・(キャンプの煮込み料理がおいしそうなんですよね)暑いのに汗だくになって食べると言う・・・・
今日のBAR sake。
また冷凍庫にある餃子を焼いて、左上も作った煮物(筑前煮みたいな)、上の真ん中は牛乳を消費したくて作ったホットケーキです。餃子はもっと焦げ色がついた方がおいしそうですが、焦げていない方が体にいいようなことをどこかで読んだので、今日は焼き色をつけませんでした。
今日は8月15日終戦記念日。
私も最近まで知りませんでしたが、非戦闘員を殺害する事は戦争のルール違反なのだそうですね。広島、長崎はもちろん、ああいう空襲はいったい何だったのだろう・・と思います。それゆえ、ことさら日本はそうされても仕方ないかのような歴史になり、中にはやっていないのではないかと言うようなことまで書かれて・・・と言う。。。。
私の祖父は戦死で帰らぬ人となり、空襲で家はなくなり、祖母の弟さんや両親は次々に亡くなったそうです。祖母も母も思い出したくも無かったのか話をすることはありませんでした。。。父がそっと教えてくれたのが、まだ幼き母と祖母は布団を抱えながら、ずっと線路の上を歩いていた・・・・その記憶が母にはあったそうです。(父はたぶん死ぬつもりだったのではないかと想像していました。)
それはそうですよね。私ですら母子家庭になった時はとりあえず息子が18までどうにか頑張ろうというのが当時の考えでしたから、親2人亡くなって家がなくなって、旦那が帰ってこなくて食べるものがない・・・それは死ぬ事を考えると思います。。。
そんな酷い事になっても、誰を恨む事もなかったご先祖様です。前にある(当時海外在住の)ブロガーさんが「こんなにさっぱり過去を水に流す民族はいない」と書かれていましたが・・・きっとそうなのではないかと思います。
どうしてそんなことを考えたかと言うと、昨日「推しの子」と言うアニメを観たからです。要約するとそれは復讐が一つの柱なのです。よく考えてみるとそういう「残忍なことをされて復讐」と言うドラマとか映画って多いじゃないですか。観客が入り込みやすいし、最後に悪いやつが酷い目にあって、ああ納得、みたいな終わり方はすっきりするし。
でもね、それはドラマや映画だからであって、現実はそれで「あぁ良かった」では終わらないと思うんですよ。よく職場で10年前とかもっと前とか、小さな子供が事故にあったり犠牲になったりするニュースが出る度に、職場の中で「自分の子供がそうされたらどうする?!」と言う話題になっていて、私はそれがいつも違和感がありました。
「どうする?って言われたって、何も出来ないよ。」
私は心でいつもそう思っていたけれど、それは口にしてはならない雰囲気だったからです。やられたら怒る、何か仕返しをしなくてはいけない、と言う雰囲気だったからです。
何が言いたいのかと言うと、日本ってあんな風な戦争をされて(幾ら根回ししても戦争を終わらせてもらえなかったのは事実だと私は思う。)それでも恨み言一つ言わず、これからは水に流して平和の道を歩もうと決心したご先祖様方ではないのかな・・と思ったんです。あれだけ酷い目にあっても、例えば私にその復讐をするチャンスがあり「おじいちゃん、おばあちゃん、私が敵を取ってくるよ!」と言っても、「そんなことはもういいから、お前はこれからみんなと仲良く平和に暮らしなさい」と言うご先祖様だと思うんですね。
だから、あの復讐劇みたいなのは、それは悪いやつがやっつけられるのは気分がいいけれど、現実はそうではないということです。例えどんな復讐を遂げても失ったものは二度と戻ってこない。決して気持ちがそれで晴れることは無いと思うんです。
ある知り合いが今裁判をしていて、「相手が裁判に勝ちたいために事実ではない事を言っている」と怒り心頭でしたが・・・「自分が正しいと思っていることが公に認められない」とそういう悔しさは人生の中で1度や2度は誰もが経験することではないでしょうか。
誰が正しい、誰が悪い、誰が優秀だ、誰が劣っている・・・そういう考え方があると、人間は闘争的になるんですよね。
日本の文化は合理的にできていて、そういうのはみんな神様に預けてしまうのです。
悪い事をしたひとは神様から「たたり」がある。悪い事をすれば、いつかバチがあたる。
あの藤原道長さんさえ、亡くなる前はすごくお祈りしていたと聞いたことがあります。(現役時代にライバルを蹴落としたりしてちょっと罪悪感があったのでは?という説もあり。)
菅原道真さんも自ら手をくださなくても、おかしな事をしてた人はたたりに襲われたと言う話だし、だから日本人は自らの手で復讐をする必要ななかったのです。
「やられたから、やり返す」と言う文化だと、ずっと争いは終わらないではないですか。そう言う考えではないから、日本は長く続く平和な国でいたのではないかなぁ・・・(というのは、私の勝手な想像です。)
昨日アニメを見て、ドラマや映画で使いやすいのは分かるけれど、あまり復讐をするのが当然とする風潮はどうなのかなと思います。過去の私のブログを見れば分かりますが、本当に私はかつて憤りを持ったことがあります。復讐したくてもできず、すごく悔しい思いをしました。
が、今思えば、例えそこで復讐をやり遂げて相手を多少不幸にさせたとしても、悔しい気持ちが晴れるのはほんの一瞬だったと思います。むしろそれができなかったからこそ、今晴れ晴れとしているんです。
今日は終戦記念日で、何となく戦争の事やご先祖様のことを考えて、「どうしてアメリカや政治家を恨まなかったのだろう」と考えていくうちに、あ、なるほど、そこで恨んだり、原因を追究したり、復讐しようなんて考えたら、自分達の子孫が幸せになれないと考えて、全部水に流して新しい歴史を作ることにしたのかなぁ・・・・?
そんな風に考えたのでした。