今日の帰りは少し遠回りして図書館へ。ちょっと通りがかりに桜も見たかったし。^^;また俳句の本を借りようかな~と思って。
しかし、歳時記の季語。知ってる言葉は1/3以下かもしれない。
私って何十年も生きてきて、今までろくに季節も感じず生きてきたのかも。
あと時代の流れもあるよね~
例えばアサリ。今だったらお汁とか、パスタとか食べることしか思いつかない。昔はアサリを売る人がいたり、アサリを掻く?たりしたので、アサリで「春」を感じたりしてたのね。
そう思うと、便利になった分、感性も貧相になっているのかも。
お店に行って「春色の服になったなぁ」とか、「桜色のお菓子が出てきたなぁ」とか、・・・でもそれって、商売で演出されているんだよね。^_^;それを見て、何となく購買意欲を誘われて、季節を感じたりしているような感じ。
図書館の帰りに、俳句メモ用に何か買おうと思ったけれど、迷った挙句に「この先続かないかもしれない」と思ってやめてしまった。^_^;季語も知らない言葉が多すぎて、いつも同じ季語ばかりになりそうで。
でもさ、「啓蟄」とか、そういう時候の言葉も知りたい気がします。そういう古くからある言葉は、「あぁそうだなぁ」って思う何かがあるんですよね。
今日は帰りの車の中から一句。
散り際の 気高き強き 春の宵
「散り際」って季語になるのかな・・・?季語になってしまうのなら「春の」を変えないとならないんだけど。。。(+_+)
自粛自粛で疲弊しているから何かに夢中になりたいんですよ たぶん。
私がマスク作り・マスクカバーに憑りつかれているみたいに(笑)
日本 特に北国は四季がハッキリしているので春は本当に待たれます。
春と言うより桜🌸かな(笑)
みみさんのマスクづくりは、人にプレゼントもできるし、喜ばれていいですよね。
たまたま俳句だったけれど、「季節を感じる」っていいなぁと思いました。日本って四季があっていいですよね。
みみさん地方は雪が降るから、一層四季がありますよね。雪かきは重労働で大変、どっちもどっちですが・・・今年とうとう雪を見ないで終わってしまったの、少~し残念だったりします。降ったら降ったで大変なんですが・・><
桜。もうじきですね。去年思うように見れなかったから・・弘前祭り、今年はありますように!
私は出かけた時に思いついた句?標語?川柳?をスマホのメモに入力していますよ!
後でノートに書き写しています。
sakeさんは素敵な句なんか作っていますね?
ウエブ俳句の会や新聞社の俳句に投稿したらいかがですか?
多分会社で新聞をとっている?
図書館にも新聞はあります。
毎週、一面を俳句や短歌の欄を設けています。
私はボケ防止です(笑)
きみさんもいいフレーズを思いついた時はスマホでメモしておくんですね。今日は何も思いつきませんでした。
でも家に帰ったら、友人から葉書が届いていたんです。毎日何かしら起こった出来事を17文字で綴れたらいいですよね。季語とともに。。^^;
うちの会社は新聞はとっていないんです。俳句や短歌の応募もあるんですね。でも今はちょっと恥ずかしいです。><
私も季節を味わいたくて、かじっている感じでしょうか?!夏まで続くかな~?きみさんは、何年ぐらいされているのでしょうか?^^
そのまま放置!その後今の町に越してきて公民館のカルチャーで俳句の講座を受講して今年で5年目です。句会の方々は○十年している方ばかりなので五七五の中に季語入れて変なの作っても一番下なので気楽です。
直してくれるので?
俳句らしくなる?
最初は才能無し(涙)
この頃、凡人\(//∇//)\
時たま?才能あり?の時もある???
ボケ防止で楽しんでいます。資料参考書はいっぱいあるから譲りますよ!
何しろ形から入るから、、、いっぱい揃えてます
経験のある方が直してくださると参考になりますよね。歳時記も知らない言葉がたくさんあって面白いですね。先ほど読んでいた俳句に「短夜」という言葉があって、なんだろう?と検索したら、夏の夜のことなのだとか。(言われればそうですね)
季語も同じような意味でもいろんなニュアンスがあって、それで作っていく・・面白いですね。^^文字数も決められていて、うまい言葉を探したり、数独とは違った頭の体操になりますよね!
きみさんも通信講座から始められたんですね。5年になるといろんな季語が使えるようになるのではないでしょうか。。。
私も今から練習して、定年後はそのような講座に登録したいです。(^o^)丿
いた専門家がいました。
本格的に拘りのある人は居るんだと思いますが
なくても問題視しないのがあります。
例えば.....
むさし野や さはるものなき 君が傘 芭蕉
私が思うに、拘る人ほど良い作品は出来ない気がする。
季語が決っていればそれ以上に発展できないと思います。
Sake-sanの一句は、非常に情景が解り易く素晴らしいと感じます。
自由に作れば良いと評価する人も居ると思います。
自然体が一番だと感じるのは間違いでしょうか?
初心者は「文字数は575に」と言われますが、俳句の名人の字余りの句は「この言い回しは感性が通じて素晴らしい」という評価になっていたりしています。
その評価とは、その評価する人の考えにすごく左右される面があるのではないか?と言うギワクがむくむくと持ち上がります。でもたぶん、相撲界とか俳句とかそう言う古いしきたりを重んじる世界はそういう部分がなきにしもあらずなのでは。。。
また昨日読んだ俳句の先生にエッセーでは、「自分の感情はあえて言葉に出さずに、相手に想像させることが俳句」とあったり、またアリスさんが言われるように「情景が具体的に分かるのが素晴らしい」ともあったりします。
理系の私が思うに、↑この2点は相反することであり、やはりここでも評価する人の主観が大きく影響するのではないか?ということです。
したがって、自分が俳句を作るのは何のためなのか?を考える必要があるわけです。すると、私の場合は
・季節をもっと感じたい
・日記代わりに思ったことを残したい(つらつら書くと愚痴っぽくなるのをきれいに17文字で残してみたい)
この2点なのです。
するとまぁ、季語は勉強してみよう、でも字余りとか、その他のルールはさておき、その時自分の思いを素直に出せばよいのでは??ということになります。
したがって私も季語は勉強しつつも、アリスさんの言われるように自然体で作ればいいのでは?無理に句会とかに参加せずに口ずさむだけでいいのでは?ということになりました。
ブログと手帳の片隅に残すような感じで始めてみようかと思います。^^
またその上をやりたくなったら、またそのように柔軟に考えを替えて、作っていくようにすれば良いかと思いました。