今日はちょうど父の昼食が始まるところだった。
このところ父はよく食べる。
一時期食事をほとんど受け付けなかった時期があって、悪い予感がよぎったが、また最近は口をあけてよく食べるようになった。
今日は2度ほど目を開けたが、あまり長くは開かなかった。
介護士さんは親切に「娘さんが来ましたよ」と声をかけてくれるけれど、父はもう分かっているかどうか定かではない。喜んだり怒ったりするエネルギーすら負担のように私には思えて、それ以上何も言うこともない。
今日は近くでTVが掛かってて、どこのチャンネルだか分からないけれどタカトシと湯水さんと誰かが、日帰り旅行の旅をしているようだ。
サンライズ九十九里を目指しているようで、それは小学生の頃のkekeと二人で一度出かけた事がある。母子家庭で使える旅行割引チケット(だったかな?)で申し込んだのだ。
まだ二人で出掛けるのを、肩身狭く感じられていた頃だった。
当時車が無いから電車やバスを乗り継いで行って、でも朝早く海を見たり、kekeが喜んだりしていた写真を撮ったような気もするけれど、基本出掛けるのがあまり好きでないkekeだったので頑張ってついてきてくれてたのかな、今から思うと、家でポケモンゲームでもしていた方がよっぽど楽しかったのかもな、なんて思い出した。
出掛けるんだったら、もっと近くで両親と一緒に出かけるとか、なんか他になかったのかなぁ、いや当時だったら、たぶんそんな計画もあったりしながら、kekeと二人だけでもどこか出かけたかったのかもしれない。
とにかく父親がいないからと言われるのがイヤで、必死に取り繕っていた気がするけれど、はたしてあの頃の「やたら頑張り」が、kekeにとって良かったことだったのだろうか。
今となっては首を傾げる。
それとも、そういう思い出はいつかキラキラ輝いてくれるのかしら。
父の食事を手伝いながら、時々TVに目をやっていたのだが、気がつかないうちにもうその番組は終わってしまっていてサンライズ九十九里は見れなかった。
別のテーブルでは、おばあさんを子供達がみな夫婦で会いに来ている。
おばあさんは、息子の名前が思い出せていない。「いやーね、おかあさんったら」と言われてアハハハと和やかな雰囲気になっている。でもシャレではなくて、おばあさんは本当に分からないのだろう。
そんな時、きっと淋しいだろうな、と思う。
父が認知症になってまだ早くの頃、まだ施設に入っていない頃、二人でカラオケボックスに出かけた時に、父はあちこちのポケットを触って「何か忘れていないか」といつも訊いていた。
「何か忘れ物はないか」「ちゃんと全部持っているか」
きっと不安だったに違いない。
私は物忘れがひどいので、これがさらに進んでヤバくなった時の想像をよくしてしまう。
さぞかし不安であろうと思う。
その時息子が近くにいれば良いけど、誰ぁれもいなかったらどんなに心配だろう。そういうボーダーな時期の心細さを想像するとたまらなくなる。
今はそんなことも分からなくて、何にも考える必要が無くて、食べたり飲んだりしながら、時々車椅子を乗り降りしたり、トイレに腰掛けるのが痛くて大変だけど、そういうことも間も無く忘れてしまって、こう言う食事時の父はとても穏やかなのだった。
このところ父はよく食べる。
一時期食事をほとんど受け付けなかった時期があって、悪い予感がよぎったが、また最近は口をあけてよく食べるようになった。
今日は2度ほど目を開けたが、あまり長くは開かなかった。
介護士さんは親切に「娘さんが来ましたよ」と声をかけてくれるけれど、父はもう分かっているかどうか定かではない。喜んだり怒ったりするエネルギーすら負担のように私には思えて、それ以上何も言うこともない。
今日は近くでTVが掛かってて、どこのチャンネルだか分からないけれどタカトシと湯水さんと誰かが、日帰り旅行の旅をしているようだ。
サンライズ九十九里を目指しているようで、それは小学生の頃のkekeと二人で一度出かけた事がある。母子家庭で使える旅行割引チケット(だったかな?)で申し込んだのだ。
まだ二人で出掛けるのを、肩身狭く感じられていた頃だった。
当時車が無いから電車やバスを乗り継いで行って、でも朝早く海を見たり、kekeが喜んだりしていた写真を撮ったような気もするけれど、基本出掛けるのがあまり好きでないkekeだったので頑張ってついてきてくれてたのかな、今から思うと、家でポケモンゲームでもしていた方がよっぽど楽しかったのかもな、なんて思い出した。
出掛けるんだったら、もっと近くで両親と一緒に出かけるとか、なんか他になかったのかなぁ、いや当時だったら、たぶんそんな計画もあったりしながら、kekeと二人だけでもどこか出かけたかったのかもしれない。
とにかく父親がいないからと言われるのがイヤで、必死に取り繕っていた気がするけれど、はたしてあの頃の「やたら頑張り」が、kekeにとって良かったことだったのだろうか。
今となっては首を傾げる。
それとも、そういう思い出はいつかキラキラ輝いてくれるのかしら。
父の食事を手伝いながら、時々TVに目をやっていたのだが、気がつかないうちにもうその番組は終わってしまっていてサンライズ九十九里は見れなかった。
別のテーブルでは、おばあさんを子供達がみな夫婦で会いに来ている。
おばあさんは、息子の名前が思い出せていない。「いやーね、おかあさんったら」と言われてアハハハと和やかな雰囲気になっている。でもシャレではなくて、おばあさんは本当に分からないのだろう。
そんな時、きっと淋しいだろうな、と思う。
父が認知症になってまだ早くの頃、まだ施設に入っていない頃、二人でカラオケボックスに出かけた時に、父はあちこちのポケットを触って「何か忘れていないか」といつも訊いていた。
「何か忘れ物はないか」「ちゃんと全部持っているか」
きっと不安だったに違いない。
私は物忘れがひどいので、これがさらに進んでヤバくなった時の想像をよくしてしまう。
さぞかし不安であろうと思う。
その時息子が近くにいれば良いけど、誰ぁれもいなかったらどんなに心配だろう。そういうボーダーな時期の心細さを想像するとたまらなくなる。
今はそんなことも分からなくて、何にも考える必要が無くて、食べたり飲んだりしながら、時々車椅子を乗り降りしたり、トイレに腰掛けるのが痛くて大変だけど、そういうことも間も無く忘れてしまって、こう言う食事時の父はとても穏やかなのだった。
「その時」にならなければ本当の“老い”はわからないのかも?
仕事先でよく言われるのは
「この年になってみなければわからないよ」
です。
煩悩があるうちはあれこれ悩むけれど…認知症も最初のうちは時々 現生?にイラつくでしょうが進行すれば何があっても穏やかでいられるのかなぁ??
施設の方たちを見てそう感じる事が多いですね。
sakeさんにとってはお父様が生きていてくれるだけでも感謝ですね。
たくわえの中から一生懸命旅に
いかせてくれるsakeさんのお気持ちは
きっと嬉しかったのではないでしょうか。
私だったら子供のころは親と一緒に出かけるのがとても楽しかったです、母親っこだったので母と二人だとよりたのしかったかしらん。ポケモンばかりよりいい思い出になるような気がしましたが、いかがでしょうか??
お父様の看護、お疲れ様でした。きっと初期の時より幸せになられていると思います、そうでありますように・・。ごゆっくりお休みください^^!
「ぼけることは仏になることである」
と書いてありましたが、なるほどそうかもなぁと思いました。
煩悩が無いですよね。
中には怒っていたり、淋しくてお願いばかりされている方もいますけど、煩悩とはまた違うような気がします。
しかし、その中で父は本当に穏やかで素直です。足が痛くなければきっと24時間文句も言わないでしょう。
「この年になってみないと分からない」
今の自分の年も、こうなってみなければ分からなかったので、そういうものなのでしょうかねぇ。
これは補助金が出る年に1度の旅行だったと思います。
でも、kekeは仕方なくついてきてくれたような感じで、まだ小学生だったので「いやだ」とも言えなかったのかなぁ・・と思います。
お風呂も男女で別々だし、食事も父親がいなくてちょっと肩身が狭くて、家に居たほうが楽でいい。。そんな風に言われて、このあとは二人で旅行よりも、お友達を誘って日帰りで行くようになったような。
同性ではないので、ちょっと敷居があったのかもしれません。
でも、そのうちいい思い出になる日もくるのではないでしょうかね。^^