昨日は片付けもできないまま、あまりやる気になれなくて早くに寝てしまった。
目が覚めると、kekeの小さな笑い声が聞こえる。
やがて台所にやってきたので、「今何時?」と訊くと3時だと言う。
「こんな時間に笑うんじゃない」と言うと、「そんなの無理でしょう」と言い、「隣が迷惑かもしれない」と言うと「どこの?」と言うので、「隣に住んでいる人だ」と言うと、「聞こえないでしょう」などと言う。
そして私は本を読んだ。
たまたま借りていたのは小池龍之介さん(お坊さん)の「しない生活」。副タイトルは「煩悩を鎮める108のお稽古」と書かれている。
この本はだいぶ前に予約をかけていたのが今借りれたようで、最近こういうことに関心が薄くなっているので(別に・・・)と思いながらパラパラ見ていたが、「案外お坊さんも、私達を同じようなことで悶々と悩んだりしているんだなァ」なんて思ったりして、うっかり全部読んでしまった。
主に「人間って言うのはこんな風に欲があり、その欲にしばられて自分や人間関係を窮屈にしているのです。その欲をとりはずしましょう」という内容が書かれている。
28番)「あなたが優しくしてくれないなら私も」の争いは不毛
本当にその通りだと思う。特に女性の場合、旦那にかまってもらえなかったりすると「それじゃ私も」と家事に手抜きしたり、ツンケンしだして、さらに夫婦仲を壊しがち(我が身の体験より)。
これを取っ払って自分がいくら損をしてでもこの関係をつなげていこうと思わないと、ほどよい関係って続かないものなんだろうなァ~と他人事のように思う。
34番)どんな犯罪も災害も裏切りもありえるもの
大昔のお坊さんの親鸞さんが弟子に「お前は何でもワシのいう事を訊けるか?」と尋ね「ききます」という弟子に「それでは人を殺して来い」と言う。弟子は「できません」と答えると、「それは自分の心が善だからではなく、たまたま劣悪な状況にないからだよ。」と言う話。かつて自分も元夫の裏切りにたいそう傷つき怒りを覚えたが、「そんなことはないだろう」とタカを括ってた自分は驕っていたのだと今は思う。(そこでことさらに正義感をふりかざす最近の風潮については言うまでもなく)
83番)人は生きている限り「満足しない」という苦を味わう
どんなに良い人といても、どんなに良い境遇になっても、(それは瞬間的なものであって)人は「今度はここをこう変えたい」と思ってしまうのものだという。生きている限りこの不条理なゲームをやらされているのだとか。これはなるほどたしかにと納得した。
86番)目の前にいても「愛しい相手」は絶えず失われている
上に続き、ブッタさんは「愛着のある相手は作らないように」と説いたと言う。離別死別はもとより、目の前にいても自分の不都合(怒ったり思うようにしてくれなかったり)により、嫌な相手に生まれ変わっていくからだそうである。だったら最初からそういう相手を作らない方がいいとブッタさんは言ったらしい。
101番)人に誉められたいと思う気持は自慢と同じでいやらしい
この一文を読んだ時、まさにこのブログのことを思い出した。日々のご飯作りに最近は自分の歌声まで披露して「自慢」しているのだから。そして誉められて(誉めさせて?)まさに喜んでいるのだから。
あまり信じてもらえないかもしれないが、私は実は「自慢」と言うのがキライだったのだ。それは下品なことだとずっと思ってきたしそう調子づいてる人を内心見下してきた。
でも自分が自慢をできるようになったから、人の自慢話(?)も楽しめるようになったのだと思う。少なくても昔の自慢しない自虐系の自分より、今の自分の方がほがらかになっているような気がするし、そういうのを何もかも止めてしまったら人間関係から止めなくてはならないので、これはこれでいいことにする。
またこちらの小池さんは10数年ぶりにカラオケをすることになり、その時に昔好きだった椎名林檎の「やっつけ仕事」を選んだら、歌えなくて歌詞も恥かしくてつい見苦しい言い訳をしてしまった、と書いてあった。お坊さんが椎名林檎と言う組合せがとても斬新だった。(椎名林檎の歌って煩悩のカタマリみたいに思うので)
餃子の余ったタネで中華スープを作って、ご飯にかけて食べる。
kekeは「適当になにか買って食べて」というと、カツを買ってきて、夜中はレトルトカレーを食べてご飯2合ほとんど食べた。
目が覚めると、kekeの小さな笑い声が聞こえる。
やがて台所にやってきたので、「今何時?」と訊くと3時だと言う。
「こんな時間に笑うんじゃない」と言うと、「そんなの無理でしょう」と言い、「隣が迷惑かもしれない」と言うと「どこの?」と言うので、「隣に住んでいる人だ」と言うと、「聞こえないでしょう」などと言う。
そして私は本を読んだ。
たまたま借りていたのは小池龍之介さん(お坊さん)の「しない生活」。副タイトルは「煩悩を鎮める108のお稽古」と書かれている。
この本はだいぶ前に予約をかけていたのが今借りれたようで、最近こういうことに関心が薄くなっているので(別に・・・)と思いながらパラパラ見ていたが、「案外お坊さんも、私達を同じようなことで悶々と悩んだりしているんだなァ」なんて思ったりして、うっかり全部読んでしまった。
主に「人間って言うのはこんな風に欲があり、その欲にしばられて自分や人間関係を窮屈にしているのです。その欲をとりはずしましょう」という内容が書かれている。
28番)「あなたが優しくしてくれないなら私も」の争いは不毛
本当にその通りだと思う。特に女性の場合、旦那にかまってもらえなかったりすると「それじゃ私も」と家事に手抜きしたり、ツンケンしだして、さらに夫婦仲を壊しがち(我が身の体験より)。
これを取っ払って自分がいくら損をしてでもこの関係をつなげていこうと思わないと、ほどよい関係って続かないものなんだろうなァ~と他人事のように思う。
34番)どんな犯罪も災害も裏切りもありえるもの
大昔のお坊さんの親鸞さんが弟子に「お前は何でもワシのいう事を訊けるか?」と尋ね「ききます」という弟子に「それでは人を殺して来い」と言う。弟子は「できません」と答えると、「それは自分の心が善だからではなく、たまたま劣悪な状況にないからだよ。」と言う話。かつて自分も元夫の裏切りにたいそう傷つき怒りを覚えたが、「そんなことはないだろう」とタカを括ってた自分は驕っていたのだと今は思う。(そこでことさらに正義感をふりかざす最近の風潮については言うまでもなく)
83番)人は生きている限り「満足しない」という苦を味わう
どんなに良い人といても、どんなに良い境遇になっても、(それは瞬間的なものであって)人は「今度はここをこう変えたい」と思ってしまうのものだという。生きている限りこの不条理なゲームをやらされているのだとか。これはなるほどたしかにと納得した。
86番)目の前にいても「愛しい相手」は絶えず失われている
上に続き、ブッタさんは「愛着のある相手は作らないように」と説いたと言う。離別死別はもとより、目の前にいても自分の不都合(怒ったり思うようにしてくれなかったり)により、嫌な相手に生まれ変わっていくからだそうである。だったら最初からそういう相手を作らない方がいいとブッタさんは言ったらしい。
101番)人に誉められたいと思う気持は自慢と同じでいやらしい
この一文を読んだ時、まさにこのブログのことを思い出した。日々のご飯作りに最近は自分の歌声まで披露して「自慢」しているのだから。そして誉められて(誉めさせて?)まさに喜んでいるのだから。
あまり信じてもらえないかもしれないが、私は実は「自慢」と言うのがキライだったのだ。それは下品なことだとずっと思ってきたしそう調子づいてる人を内心見下してきた。
でも自分が自慢をできるようになったから、人の自慢話(?)も楽しめるようになったのだと思う。少なくても昔の自慢しない自虐系の自分より、今の自分の方がほがらかになっているような気がするし、そういうのを何もかも止めてしまったら人間関係から止めなくてはならないので、これはこれでいいことにする。
またこちらの小池さんは10数年ぶりにカラオケをすることになり、その時に昔好きだった椎名林檎の「やっつけ仕事」を選んだら、歌えなくて歌詞も恥かしくてつい見苦しい言い訳をしてしまった、と書いてあった。お坊さんが椎名林檎と言う組合せがとても斬新だった。(椎名林檎の歌って煩悩のカタマリみたいに思うので)
餃子の余ったタネで中華スープを作って、ご飯にかけて食べる。
kekeは「適当になにか買って食べて」というと、カツを買ってきて、夜中はレトルトカレーを食べてご飯2合ほとんど食べた。
確かによなかの笑い声が案外響くかも。
でもおかしいことがあると笑っちゃいますものね・・。
お坊さんの本、おもしろいかどうかは別にして
ふむふむと思うことしきりですね。
でも、sakeさんのお歌はとてもよかったですもの、
(強制でなくで)いいじゃないかと思いますよ~。自慢されてる気はしなかったです。してたとしても、少し前の
少し自虐的でいらしたsakeさんが心配だったから、
いまの自分肯定のsakeさんのほうがずっとわたしは
安心です。楽しそうで何より、と思うし。
大丈夫ですよ~!!
物事は逆説的に見ると解り易いかも知れません?世の中には有り余るほどの良い書物と宗教、倫理、道徳があります。
どうしてそんな物を欲するのか?それは殆どの人がその領域に達していない。だから目標とするのだろうと思います。
従って、立派な人間なんてのは殆ど存在しない。これが宗教を望む一端になっているのだろと思います。
ひん曲がって考えると、所詮、人間は愚か者が多く、綺麗ごとを並べながら上辺だけで生きている事が多い(自分を含めて)
なので、元々、悪行の数々が人間界の出来事だと思えば達観できると思います。
あははは...朝から変なコメントで失礼しました。
まぁ大声で笑っているわけではないのですが、何も他に音のない時間帯ですから気になったわけです。(でも笑うなというのも無理なのかしら)
そうなんです、お坊さんの書かれるものはまさに「ふむふむ」と思いますよね。
歌は自分の声があまり好きでないので、迷惑かなぁ~とも思うのですが、やっぱり褒められると単純にうれしいし、またガンバロウーと思えるから明るくなりますよね!
自虐より素直な自分の方がkaoさんに安心していただけるとわかって、これでいいのだなと思いました。(しかし過度に自慢ばかりするのは慎もうと思います。)
何事も程々がいいのでしょうね。^^これからもよろしくお願いします。
たしかに仰るとおりです。
これだけの宗教や倫理の本がまかり通るのはそれを読んで「落ち着きたい」という私のような人がたくさんいるのだと思います。それからそういうものをかじって、過去の自分からの成長を目指しているとか。
ほんと、立派な人間なんて存在しないのだと思います。もっと言えば、そういうものを紐解き、少し知ったかぶりになって、周りの人とは違うんだよ、と思いたいのかもしれません。
まさにアリスさんの言われるとおり、私も含めて、きれいごとを並べながら上辺だけで生きているのだと思います。最近思うことは、それを自覚して、驕らずまだまだ「修行の身」みたいな気持でいようと思います。(自分だけは驕らずにいようという考えも傲慢ではありますが)
あまり考えると何だかよく分からなくなっちゃけど、純粋に素直に、楽しくやっていこうと思いました。(^o^)丿
またまたよろしくお願いします。
さっそくこれから読ませていただきます。ははぁ~賭け事か何かの記事でしょうか?!(^o^)
悲しみ、苦しみ、そして欲にとらわれて生きるのが人間。
しかし、最後まで煩悩に支配されて、名を成したところで、虚しいものだと思うのです。
歳を重ねる中で、脱皮して行き世の有り様が受容できる様に、ある意味、ポジティブに枯れて行くのでしょうね。
SaKe さんの事、その千分の一も知らない私が見ていても、優しく、前向き、そして朗らかに過ごしていらっしゃると思い、ほっとします。
カラオケUP はそのほんの一端、聴きたいからリクエストし、素直に応えてくれるsake さん、掛け値なく、素敵だと思います。
これからも益々の人生楽しくゆきましょう。
応援歌、聞こえますか!!
いつも納得のコメントをありがとうございます。
ほんと、私もまだ51ですが、だんだん脱皮して受容できるようになりつつあります。(^_^;)まだ出鼻ですけどね。
そう言えば父が老いてからの口癖「18歳(当時のkekeの年は)番茶の出鼻」を思い出しました。
煩悩を煩悩とも思わず、体中で怒り悲しみ苦しんできた私です。最近はそれが「煩悩」だと分かった分、賢くなった気がします。
またカラオケ、作ろうと思いますが、今度はブログではなくこっそりyoutubeだけでアップしようかな?!
自分で客観的に評価できないので、どうも声が変な気がして聴いていただくのがしのびないのです。でも、好きなのでまた作ろうと思います。(^o^)丿
こんな普段の日常の記録で喜んでいただけるなら、私もうれしいです。(^o^)
ただ、誰にも声や歌い方に個性が出てくるもの
ですから、やはり選曲が決め手かも。
SaKe さんの好きな、中島みゆきの歌などは、一味違ったsake さんの魅力が引き出せるるのかな~~~などと、余計なお世話様!!!
もちろん、次作も考え中です。
同じような大人っぽい曲が続いたので、今度はテンポアップな曲にしたいのですが。。。ダイレクト録音なので、曲と歌の音量が上手く合いません。声も鼻声が気になるし。。
もちろん中島みゆきは知ってる曲が多いので、いずれチャレンジしたいです。(^o^)丿
takaさんが若い方の曲もお好きだと分かったので、そういうのも徐々に入れたいです。(^_^;)