「野球」と「Baseball」は別物などと、よく日米の野球の違いが言わます(ロバート・ホワイティングやヤクルトにいたホーナーとか)。昔はアメリカの方法が良くて日本は遅れているという論調が主流でしたが、日本人プレーヤーが続々とメジャーに渡り、WBCで劇的な勝利を収めるに至り、今は日本のスモール・ベースボールが見直されています。
経済でも、バブルの頃まではジャパン・アズ・ナンバーワンなどと日本企業礼賛で一色だったかと思えば、バブル崩壊後の失われた十年では、一転日本企業は遅れている、ダメだという悲観論一色になり、アメリカに学べとばかりに成果主義、執行役員制度、ストックオプションなどありとあらゆるものを深く考えもせず、輸入してきました。
どうも日本人は自分の頭で考えることをせず、誰かの評価に頼りたがる傾向があるようです。野球であれ、企業であれ、日本の方が良いところもあれば、アメリカの方が良いところもあります。当然のことであり、ただそれだけのことです。ある日を境に評価が一転するなど、おかしなことです。
日本の野球の良さは、基本がしっかりしているところですが、それは徹底した反復練習で基本を身体に覚え込ませるからです。しかし、こうした長所が短所となることもあるように思います。目的を考えずに、いいことだと信じ込んでやっていると、練習自体が目的化してしまいます。1000本ノック、ウサギ跳び、炎天下で水も摂らせない猛練習など、日本スポーツ界に永らくはびこったしごき、根性、精神論は、目的を考えない意味のない練習です。基本を身体で覚え込むことが目的なのに、身体がフラフラになるほど基礎トレーニングをやったあと、1000本ノックをしたとしても、「正しい動き」をすることが出来ず、かえって逆効果です。
一流選手たちは、皆人一倍練習していますし、それが重要だと言っていますが、それは単に厳しい練習をすればいということではなく、考えて、意味のある練習をすることです。中西太は、草や葉っぱを外角低めの球に見立てて素振りを繰り返したそうですし、王貞治は前代未聞の一本足打法を自分のものにするために、それこそ死ぬような練習をしたのです。その他の一流選手・指導者も、それぞれ必ず考えた、意味ある練習をしています。誰も言われた通りにただ練習をしたような人は皆無です。一流選手と二流以下の差は、才能だけではなく、ここにあるのです。
散ドラ諸君のほとんどは、まだ考えての練習が出来ていません。セット・ダッシュなどの基礎練習は、疲れるからと手を抜いていたり、意識せずに適当にやっている部員が結構います。手抜きは問題外ですし、時間の無駄です。基礎練習は疲れる、身体が痛い=筋肉に負荷がかかっている=練習になる、ということです。疲れないようにやっていては、練習にならないということです。もう一つは、意識しないで適当にやることです。言われた時にはやるけど、すぐに忘れてやらなければ、やはり練習になりません。正しい動きをせずに、間違った動きを何度やっても意味はなく、かえって間違えた動きを強化することにしかなりません。足を広げて腰を落とす、正面で捕る、腕を引いて投げるなど、それぞれの課題を人から言われなくても、自分で意識して練習するようにしよう。
経済でも、バブルの頃まではジャパン・アズ・ナンバーワンなどと日本企業礼賛で一色だったかと思えば、バブル崩壊後の失われた十年では、一転日本企業は遅れている、ダメだという悲観論一色になり、アメリカに学べとばかりに成果主義、執行役員制度、ストックオプションなどありとあらゆるものを深く考えもせず、輸入してきました。
どうも日本人は自分の頭で考えることをせず、誰かの評価に頼りたがる傾向があるようです。野球であれ、企業であれ、日本の方が良いところもあれば、アメリカの方が良いところもあります。当然のことであり、ただそれだけのことです。ある日を境に評価が一転するなど、おかしなことです。
日本の野球の良さは、基本がしっかりしているところですが、それは徹底した反復練習で基本を身体に覚え込ませるからです。しかし、こうした長所が短所となることもあるように思います。目的を考えずに、いいことだと信じ込んでやっていると、練習自体が目的化してしまいます。1000本ノック、ウサギ跳び、炎天下で水も摂らせない猛練習など、日本スポーツ界に永らくはびこったしごき、根性、精神論は、目的を考えない意味のない練習です。基本を身体で覚え込むことが目的なのに、身体がフラフラになるほど基礎トレーニングをやったあと、1000本ノックをしたとしても、「正しい動き」をすることが出来ず、かえって逆効果です。
一流選手たちは、皆人一倍練習していますし、それが重要だと言っていますが、それは単に厳しい練習をすればいということではなく、考えて、意味のある練習をすることです。中西太は、草や葉っぱを外角低めの球に見立てて素振りを繰り返したそうですし、王貞治は前代未聞の一本足打法を自分のものにするために、それこそ死ぬような練習をしたのです。その他の一流選手・指導者も、それぞれ必ず考えた、意味ある練習をしています。誰も言われた通りにただ練習をしたような人は皆無です。一流選手と二流以下の差は、才能だけではなく、ここにあるのです。
散ドラ諸君のほとんどは、まだ考えての練習が出来ていません。セット・ダッシュなどの基礎練習は、疲れるからと手を抜いていたり、意識せずに適当にやっている部員が結構います。手抜きは問題外ですし、時間の無駄です。基礎練習は疲れる、身体が痛い=筋肉に負荷がかかっている=練習になる、ということです。疲れないようにやっていては、練習にならないということです。もう一つは、意識しないで適当にやることです。言われた時にはやるけど、すぐに忘れてやらなければ、やはり練習になりません。正しい動きをせずに、間違った動きを何度やっても意味はなく、かえって間違えた動きを強化することにしかなりません。足を広げて腰を落とす、正面で捕る、腕を引いて投げるなど、それぞれの課題を人から言われなくても、自分で意識して練習するようにしよう。