日本軍の失敗の本質の続きです。残念ながら、結構、今でも日本のいろんな組織の中で見られるのではないかと思います。
あいまいな戦略目的
目的・目標が明確でない組織は、成果を生まないのは誰が考えて分かることですが、日本軍は戦略目的があいまいだったと言います。そして、軍隊の場合、戦略があいまいだと戦闘手段との整合がとれないので、致命的な結果をもたらすということです。
野球だって同じですね。どんなチームにするのかという目的がはっきりしていないチームは、どんなに金をかけたって、結果は出ません。一昔前の巨人がそうでしたね。
戦力の逐次投入
これは今でもいろんなところで良く見られる現象です。「 too little,too late 」という言葉があります。タイミングや決断の遅れで対応を小出しにした結果、最終的には出費や犠牲が大きくなるようなケースです。
記憶に新しいところでは、バブル崩壊後の不良債権処理が好例です。一気に処理してしまえば傷が浅かったものを、問題先送りで小出し小出しの対策で、結局失われた10年、失われた20年と言われる深手を負いました。今回の原発事故対応の中にも、同じようなことがあったのではないか(あるいは現在も進行中ではないのか)というような気がします。
主観的で帰納的な戦略策定
日本軍というより、日本人の思考法は帰納的で、アメリカ人は演繹的だと言われます。帰納法とは一般的な現象から因果関係を推論する方法であり、演繹法は逆に一般原則から個々の事象を推論していくという方法です。
アメリカや通常の大陸の国家は、価値観が異なる多民族が入り混じった中でコミュニケーションをとっていくためには、あうんの呼吸ではなく、客観的な原則を重んじ、それをベースにコミュニケーションをしてく必要があったからこそそのような思考法になっているのではないかと私見ですが思います。
一方、島国でほぼ単一民族に近い日本では、多くの人が価値観や文化的背景を共有し、主観的な経験に基づく思考法でも済んでしまったのではないかと思います。しかし、帰納的な思考方法の結果、成功体験から脱却できず、近代戦では時代遅れとなっているにもかかわらず、日露戦争で成果をあげた歩兵を中心とする白兵主義にずっとこだわったり、緒戦で華々しい戦果をあげたゼロ戦以降、進化もなかったのだと思います。
属人的なネットワーク
人の命を左右する軍という組織にあって、成果に対する信賞必罰は非常に重要な要素ですが、日本軍では属人的な人脈に基づいた登用がまかり通り、失敗をしても本当の意味で左遷されることは少なく、しばらくすると一線に復帰するようなことがしばしばだったそうです。
対する米軍は、人材に対する考え方も明確で、例え優秀であっても、前線の将官は定期的に入れ替えをするルールになっていたそうです。優秀な部下であればあるほど、上司は放したがりません。しかし、それでは折角の優秀な人材も疲弊してしまいます。そうなる前に、定期的に人材を入れ替え、常にフレッシュな状態の将官を前線に送り込んだのです。
五輪の選考会でも米国は一発選考です。選考会で結果が出せなければ、どんな実績があり優秀な選手でも落選する厳しい仕組みですが、結果的にはこうした仕組みの方がより多くの人材にチャンスを与え、育成するシステムとなっているのだと思います。対する日本は、今でこそ同じような一発選考に近い明確な仕組みを取り入れる競技が増えましたが、以前は多くの競技で恣意的な要素が残る選考方法で、いろんな禍根を残しました。この辺も上の主観的で帰納的な思考と無縁ではありません。
統合されない組織
日清戦争、日露戦争のような古典的な戦争と違い、太平洋戦争のような大規模な近代戦にあっては、海軍と陸軍の統合作戦が必要不可欠です。日本軍にも両軍を統合するための大本営があったものの、実質的には別組織として独立的な動きをしており、統合参謀本部が全軍に指揮するアメリカとはまったく違ったということです。
例えば、海軍はアメリカを仮想敵国として訓練、戦備を進め、陸軍はロシアを仮想敵国として大陸での白兵戦を想定した作戦を練っており、こうした両軍で効果的な統合作戦がとれるはずもありませんでした。
今の官僚組織も個々は優秀でも省益を優先させるあまり、意見がまとまらなかったり、金を握る財務省がリードしたり、全体最適を導き出せないことが多々あります。民主党はここに政治主導を打ち出しましたが、本来官僚組織を「統合」することがその主旨のはずでしたが、「排除」するだけで、言ったとおりのことが出来ていないのは、ご承知の通りです。
学習しない組織
属人的な人的ネットワークの中で、本当の実力主義で人材を育成するシステムも持たなかった日本軍にあっては、組織的な学習も進みませんでした。
精神主義に彩られた正面突破などを行って何度も痛い目にあっても作戦を変えず、ゼロ戦のように防御(人命)を軽視し極限までの攻撃性能を追い求めたり、大和のような一点豪華主義の戦艦を作ったりしたのが日本軍です。常に同じ条件下で最適解を選び出す方法は受験なら通用しても、刻一刻と状況が変化する戦争では通じません。
対するアメリカは、結果が出なければ、その条件、前提自体を疑い、新たな作戦を立案する柔軟性がありました。ですから、緒戦では日本にコテンパンにやられても、攻撃性能は多少劣ってもさまざまな種類の飛行機を大量に生産することに注力しました。また、陸軍でも海軍でもない、海兵隊を組織し、水陸両用車を開発するなどして、島嶼地域での戦術を立案したりと、精神論ではなく、勝つという目的のために合目的的な組織学習をしていたということです。
国民、都道府県民、市民の生活を守る政治には、こうした本質を学び失敗してほしくないのはもちろんですが、散ドラも学ぶところがありますかね???
どのように勝つかという戦略目的があるかというと、戦略を立てられるほどの戦力もないか?
戦力の逐次投入ではなく、一気に戦力を投入しようにも、15人しかいないし…。
兄弟を入団させたり、友達を勧誘したりと、属人的なネットワーク頼りだし。。
せめても、学習する組織でありたいですね!
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