今さらですが、「もしドラ」を読みました。横中野球部の試合も、「散ドラ」も早々に中止になり、することもなかったので、本を買いにいって一気に読みました。
辞書によれば、Management(マネジメント)とは、「管理。経営。人・賃金・時間などを最も効率的に使い、企業を維持・発展させること。」とあります。明治時代には、外国のいろんな言葉を日本語化した素晴らしい言葉がありますが(社会、存在、個人、権利、恋愛、美などなど)、マネジメントはそうした恩恵に浴しませんでした。ですから、大体今の日本語では、「管理」と訳されます。
しかし、管理教育、管理野球など、管理という言葉にはあまりいいイメージはありませんし、企業経営にしても、管理では、本来のマネジメントの意味とは若干違うような気がします。私が聞いた言葉の中で一番腑に落ちたのは、「やり繰り」という言葉です。
会社の職場のやり繰りだけではなく、家計をやり繰りする主婦もマネジメントですし、決して十分でない戦力をやり繰りするプロ野球監督もマネジメント、子ども会の行事や役割のやり繰りをする子ども会役員もマネジメント、部活の練習・試合日程や運営費をやり繰りするマネジャーもマネジメント、みんなマネジメント(やり繰り)だということです。
やり繰りをするには、専門知識や専門能力も必要でしょうが、それよりも大事なのは、今自分たちが持っているものをしっかり把握し、それをどのように使うかを考え、実際に実行できる能力です。家計をやり繰りする主婦が、みな会計士の能力が必要なわけではありませんし、プロ野球の監督だって「名選手、名監督ならず」と言われるように、名選手であったことが絶対条件ではありません。この実際に実行する能力を一言でいえば、リーダーシップと言えるでしょう。
そして、やり繰りするものが何かということですが、武将や野球の監督なら、戦い方や補給、作戦など戦略・戦術と兵士や選手のモチベーションという二つをどう「やり繰り」するかです。どちらかが極めて優れていても、どちらかがまったくダメではいずれ破たんするということです。家計をやり繰りする主婦が、ケチケチ大作戦で貯金をしようという戦略を立てても、ケチケチ生活に対して家族のモチベーションが上がらなければ成功しませんよね。
リーダーシップの発揮の仕方でも、戦略・戦術を立てるのが得意な人もいれば、人を鼓舞するのが得意な人もいます。それぞれ持ち味が違うわけですから、無いものねだりをしても仕方ありません。しかし、それぞれの持ち味を大事にしながら、自分を客観的に見て「自己を知る」人は、自分に足りないものを意識し、自分の強みを過信しすぎずに、足りない部分を補う人を側近やコーチに置いたりします。「自分を知る」こともマネジメント(やり繰り)には大事な能力のような気がします。
「もしドラ」もこんなマネジメントの要素を、ストーリーの中でドラッカーの著書から巧みに引用しながら紹介していくわけですが、ドラッカーのマネジメントを今風な物語に乗せて紹介することが主眼ですので、話自体は単純なストーリーです。しかし、秋元康に師事し、とんねるずやダウンタウンなど一流のエンターテイナーの仕事に携わってきた著者だけに、予期した通りの展開ではありましたが、手もなく著者の思惑にのせられました。
現実はここまでうまく展開しないとは思いますが、本書の中でも紹介されている池田高校の蔦監督や、取手二校の木内監督、あるいは、最近公立ながら甲子園を制した佐賀北や清峰などの監督も、間違いなくマネジメント上手な監督だったと思います。
「散ドラ」も「もしドラ」で強くなるか、真剣に考えてみますか。まずは、散ドラという組織を定義づけないといけませんね。そのためにも、顧客が誰か、そしてどんな価値を求めているかを聞かないといけません。
そもそも散ドラの顧客って誰だ? 散ドラをカモにしている他チームだったりして…。
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