ひげ爺のお産・子育てご意見番

子どもは育つ力を持って生まれてきますが
親に子育てする力が減っています。
親育て支援の中で感じたことを書いています。

大牟田さん親子の紹介

2008年10月14日 | 八重山親子旅
昨日の大牟田智子さんの紹介に続きまして、智子さんのお母さんをご紹介します。
西日本新聞の記事を引用させていただきます。
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大牟田喜香(81)さん
ナイチンゲールのように、敵も味方もなく、けがや病気をした人を助けたかった」? 
戦時中に青春を過ごし、ごく自然に看護師を志した。命が次々に失われていった時代。
新しい命の誕生を手伝う助産師の資格も取った。
病院、保健所で働いた後、助産院を開業したのは三十七歳のとき。
既に妻になり、娘二人の母親にもなっていた。? 
子育て中だったから、助産院は自宅を兼ねていた。
近くに保育所はなかったので、助産院でお産をした共働き夫婦から、
子どもの世話を頼まれるようになった。一人、また一人と増え、多いときには三十人に。
お産で結ばれた人の縁を受け止め、敷地内に保育のための別棟を建て増した。?
 朝、親が送り届け、夕方に迎えにくるのは助産院だった。
残業で母親のお迎えが遅れると、その子も一緒に家族の食卓についた。
子ども好きだった夫が、風呂に入れてやることもあった。
「みんなが大きな家族のようでした」。
助産院から幼稚園や小学校に通う子どももいた。
学校の工作に必要な空き箱を家から忘れてくれば、助産院から学校へ持たせてやった。

四十年前の一九六五年、大牟田の母・喜香(77)が、この助産院を開業した。
大牟田は、約二十年前の新米助産師のころ、母のやり方を懸命に覚えようとした。
しかし、「母の世代に倣うだけでは、今の女性の体や生活に合わなくなっている」と気づいた。
? 例えば、母乳育児。以前は、しっかり食べさせ、飲ませ方を教えればよかった。
でも今は、乳腺(せん)に脂肪などが詰まり、胸がガチガチに張る産婦が目立つ。
搾乳して時間がたつと、脂の層が浮く母乳もある。
母乳の苦味や甘みが強くて赤ちゃんが飲まなかったり、
飲んでも湿疹(しつしん)や便秘になったりし、母子の心身トラブルにつながることもある。?
「今、母乳育児をサポートするには、『乳のもとは血』ということから伝える必要がある」と大牟田。
食生活を整え、それをおいしいと感じる体をつくれば、悩みも少しずつ改善していくという。? 
「お産は自然そのもの。向き合うと、現代人の生活がいかに不自然かを感じます」
(2004年03月07日 西日本新聞●助産師続けて半世紀 大牟田喜香さん)

おおむた・よしか
 福岡県三輪町出身。福岡赤十字病院や久留米保健所に勤めた後、1965年に同県春日市で春日助産院を開業。自衛隊勤務の夫との間に娘2人。子育てをしながら助産院院長を続け、76年には保育園も開設。長く園長も務め、現在
も理事長。
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今回の旅は、いろいろな方の参加があり、いい旅になりそうです。
大牟田さん親子の子育て論・お産論を聴くのが楽しみです。

如月さん大牟田さんの推薦ありがとうございます。
皆で旅をつくりましょう。
参加を予定の皆さん「旅行積み立て」をしてくださいね。



コメント (2)
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