津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(523)寛永七年・日帳(十月十三日~十四日)

2021-03-21 12:59:28 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年十月)十三日~十四日

         |        (ママ)                               
         |   十三日   
         |                          (ママ)
忠利書状幕府将棊 |一、今日、明石権太夫・町市丞被罷上候ニ、大坂にて、道各へ成被遣 御書相渡、遣申候、其外之状
指宛       |  共相渡申候事、
         |                  (矢野吉重)
矢野吉重ヘノ絵具 |一、京都衆へ、江戸へ被差下絵書三郎兵衛ニ渡被申絵具之差帋、上せ申候事、
ノ差紙      |
         |                                     被
筑前ヨリ走女   |一、昨日、筑前ゟ走来申女三人、式ア殿へ可被召置通、被仰候へ共、式ア殿ニハ不召置候、町ノかめ
         |  や所ニ召置候由、被仰聞候事、
         | (湘雲守沅)
         |一、沅西堂、中津へ御供にて被成御越候付、御鉄炮衆壱人・のり物かき六人・人足五人被仰付候様ニ
         |  と、宇右衛門被申候事、
         |一、吉田彦右衛門、今朝病死仕候、浦上瀬兵衛へ被申候也、
         |一、福西喜太郎、今日罷下由にて登城、則、 御目見へ仕由、申候事、

         |                               
         |   十四日  加来二郎兵衛  
         |
牽馬ノ造作銀   |一、蒲田半十郎、乗馬壱疋、江戸御供ニひかせ被申候間、造佐銀可渡旨、朝山斎切帋ニ而承候也、
         |         (可政)
         |一、中折帋三帖、加々山主馬殿ニかし申候、使ハ卜うん也、
         |              (田中氏次)        (惣右衛門)
         |一、明日、江戸へ被遣候ものハ、兵庫与藤原少兵衛・山川与和田久左衛門と申者也、
         |                             (浅山)
借米ノ切手ニ一人 |一、南喜右衛門・青木三郎右衛門、かり米之切手持参仕候間、修理一判にて遣申候、兵庫ハ御用ニ御
ノ判       |  広間へ被罷出ニ付而、右之仕合候、此段前かと兵庫とも談合仕置候ニ付而、判にて遣候也、
笠持草履取    |一、中津御供ノ御笠持弐人・御さうり取弐人不足仕候間、別人を被仰付可被下由、喜蔵申候事、
         |                                      (精)
宗像景延江戸ニテ |一、宗像清兵衛、江戸にて不届儀有之付、知行ノ内、被為押置候へ共、御郡之儀を情を出し候由、立
不届ノ儀アリ   |                                                                    (立政)
知行差押ヲ免ズ  |   御耳候ニ付、被返遣之旨、奉道家左近右衛門、
         |                                          (ママ) 
上田忠左衛門モ免 |一、上田忠左衛門も、前かと知行ノ内、被為押置候へ共、御馬やニよく詰、御奉公仕候通、被通 聞
サル       |  召候間、被返遣旨、左近右衛門を以、被 仰出候也、
         |一、治ア・おき所ゟ
         |  〃〃 〃〃〃〃            (元次)
小々性細引綯イノ |一、御小々性衆ノほそひきなわせ申奉行、芦田與兵衛与大川新左衛門申付候也、
奉行       |
江戸ヘノ物数覚  |一、明日、江戸へ被遣御鉄炮衆兵庫与藤原少兵衛・山川与和田久左衛門ニ渡ス物数ノ覚
         |   (松野親英)(町)
         |  一、織ア・三右衛門へ被遣 御文箱一つ、
         |    (松井興長)(松井康之室)
         |  一、佐渡殿ゟ、自徳院殿へ被遣御状一包、
         |    (主水)
         |  一、寺嶋へ、我々ゟノ状一つ、
         |              (宕)
愛宕ノ茶壷ヲ下ス |  一、京衆へ、御つほを愛岩ゟ取下置候へとノ状、大坂ゟ届候へと申付、遣、
         |
                〇コノ間、落丁アルカ
         |
         | 同日  (重嘉)
         |一、横山助進与久留市兵衛、御家中ゟ御やとい被成御小人、御郡にての賄奉行ニ遣、
         |   (長晟)
浅野長晟飛脚へ賞 |一、浅野但馬様へ被遣御飛脚罷下候、但馬様ゟ御返書持■下ル、御飛脚ニ、金壱歩弐つ被下候由申
与        |  候、但、御飛脚ハ御小人也、


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■細川小倉藩(522)寛永七年・日帳(十月十日~十二日)

2021-03-20 08:54:21 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年十月)十日~十二日

         |                               
         |   十日  加来二郎兵衛  
         |                                           (町)
江戸へ音信    |一、江戸へ、今朝御鉄炮衆弐人、山川惣右衛門与小林市丞・井関久馬助与宗村九兵衛被遣候二、三
         |       (松野親英)          (自徳院、松井康之室)                                     
         |  右衛門尉・織ア所へ 御書箱弐つ、しとくゐん殿へ、式ア殿ゟ状壱包、江戸御留守居衆へ、我等
         |  共ゟノ状壱つ、右之分相渡、夘刻ニ出船申付候事、
御蔵納ノ米雑穀ノ |一、御蔵入之御米・さこくこしらへ悪敷仕、御蔵入仕候時、冣前如被仰付、納主ニ判形をさせ置候而
検収       |  ハかきり御座候、こめ・ゑこ・なたね・ひへ、上米・上籾なとの類、員数究候物之分ハ、悪敷を
         |  請取候てハ、御用つかへ申候間、いかゝ可仕哉と、御蔵奉行衆被申候、松の御丸衆中へも、其段
         |  段合被仕候へと申候処、彼衆被申候ハ、左様ノ員数究たる物ハ、湯治直させ、御蔵入させ可然由、
         |  被申候、其分ニ被仕候へと申渡候事、
         |                            (春木)
呼野南口屋番病死 |一、呼野南ノ御口屋御番原吉右衛門、十月三日ニ病死仕候由、金大夫被申候事、せかれ十二、三ニ成
         |  申むすこ一人御座候、其外ほそきせかれ三人御座候由也、
         |      〃〃
宇佐茶屋修繕奉行 |一、うさ御茶屋繕御作事之御奉行ニ、山田久丞・菅村藤吉、此両人申付候、則、其段書状ニ申遣候事、
         |    (池田忠雄)
池田忠雄ヨリ音信 |一、備前之宮内様ゟ、御飛脚一人参候由、吉田縫殿被申候事、
届        |         

         |                               
         |   十一日  奥村少兵衛  
         |
忠利本丸ニ数寄ノ |一、今朝は、御本丸ニて御すき御座候、左候而、御膳通候而、御鷹野ニ被成御座候事、

後鷹狩ス     |
         |    (一通)                               
稲葉一通ヨリ音信 |一、稲葉民ア様ゟ御使者被参候、吉田縫殿所ゟ人をそへ、御文箱・御音信物持せ被上候事、
御菓子請取人へ差 |一、九月十六日御納之時、御くハし請取人、かちノ御小性真玉半右衛門・林作左衛門ニ、さしかミを
紙        |  させ可申候、左無之候ヘハ、御くハし代米請取申儀不相成由、椋梨半兵衛被申候事、
         |  (規矩郡)             (同郡)                (中村)
百性御印無キ鷹匠 |一、徳光村之源次郎と申御百性申来候ハ、今朝横川へ御鷹師横山九介・太左衛門と申由ニ而、御鷹つ
ヲ報告      |  かひ被申候、 御印を合可申由、申候へ共、 御印無之由、被申候間、此段御郡奉行衆へ申上候
         |  ヘハ、御奉行衆へ申候へと、被仰候由、申来候、 御意ニ而被参候間、可得其意候、能申来候通、
         |  申渡候事、
         |一、稲葉民ア様ゟノ御返書出申候、則、御使ニ渡申候事、但、御使ニ渡させ申候ハ、守田少兵衛ニ持
         |  せ遣候也、

         |                               
         |   十二日  加来二郎兵衛  
         |                                         (松井興長)
筑前ヨリ走女   |一、筑前ゟ、女三人走来申候、人留之御番尾藤新介召連参候ニ付、御家老衆へつれさせ候処、式ア殿
         |                                 (通柏、之房)
         |  にて、かの女ノ口を御きかせ被成候処、かの女申分ハ、筑前にてハ、井上道伯内大野久太夫と申
         |  仁所ニ奉公仕居候へ共、かの主人きつき仁にて御座候ニ付、かんにん不罷成、走来申候、少も別
         |  之子細務御座候由申候、幸、奉公を式ア所ニ可仕由申候間、則、三人共ニ、式ア殿ニ被 召抱候
         |  由、被仰聞候、かの女一人ハ歳五十、其むすめ十、又、一人ハ十九ニ罷成申由、申候事、
         |     ・頼母殿・監物殿             (友好)
松井友好ノ人足中 |一、式ア殿〇ゟ、御使者を以、被仰聞候ハ、松井宇右衛門尉、今度御加増之知行ノ内ノ百性ノ名子、
間口論ス     |  宇右衛門所ニ人足ニ参居候処、夜前、宇右衛門中間ともとからかい仕、かの人足も中間ともたゝ
         |                                         候へと
         |  き申候処、かの人足申候ハ、かやうニたゝかれ候て、此分ニ而ハかんにん不仕候間、覚■■申ニ
         |                                          (植木、鞍手郡)
         |  付、又、いかやう中間塘可仕哉と、気遣ニ存、たちのき申候、かの人足ノおや、筑前之内うへ木
惣別筑前へノ走者 |  と申所ニ居申候ニ付、かの所へ可参と、心さし申由申候、然上ハ、惣別筑前へ走候物ハ御誅伐被
ハ誅伐      |   仰付候、則、宇右衛門も此段被承届、上可申由被申候間、御誅伐被 仰付候様ニ可被申上通、
         |  右三使ニて被仰聞候事、
         |一、右、宇右衛門人足、筑前へ走参候を、山知ノ御百性仁左衛門と申ものとらへ申候処ニ、吉右衛門・
         |  平次郎と申もの両人参、手伝仕候由申候也、
         |  (三淵重政)
三淵重政賄目録  |一、右馬助殿御賄目録ニ加判仕、松之御丸衆へ、目録前可被相渡通、申渡候事、
中間小頭遺物ニ脇 |一、御中間小頭與九郎、異物ニ上申候わきさし、子ニもとし可申通、被 仰出ニ付而、もとし申候、
         |       (助脱)
差ヲ上グ     |  但、井関久馬与小頭也、

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■細川小倉藩(521)寛永七年・日帳(十月五日~九日)

2021-03-19 08:30:39 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年十月)五日~九日

         |                               
         |   五日  奥村少兵衛  
         |                                (規矩郡)
三斎へ音信占地茸 |一、三斎様へ、しめちたけ壱籠・御文箱被成御添、次飛脚にて被進候を、黒原迄御小人ノ少八ニ持せ
         |  遣也、
         |   (重義)豊後府内二代藩主
竹中重義へ栄螺  |一、竹中采女様へ被進之さゝい悪敷成可申由ニ而、新敷を弐籠相調、御船頭宮崎孫右衛門ニ持せ、式
         |           (長門豊浦郡)
         |  ア殿ゟ御状御添候而、下ノ関へ、関内・長兵衛被居候ニ、被遣候事、
ビロードノ屏風  |一、ひろうとの御屏風ノ御奉行真玉半右衛門、御横目ハ守田少兵衛也、
         |                                          (規矩郡)
三斎ヘノ鯉    |一、三斎様へ、来ル九日ニ被進せ候五つのこいの儀、寸尺金子喜左衛門ゟ書付出候を、則、合馬御惣
         |  庄屋清六ニ相渡、来ル八日ニ持来候へと、かたく申渡候也、
         | ふたへ付也、
竹中重義下ノ関通 |一、竹中采女殿下ノ関御通り候ニ付而、遠坂關内被遣候へ共、采女おそく被通候間、弐珀のさゝへく
行        |  さり可申候間、新敷さゝへを遣、取替可申由、奉り式ア少殿、則、申付、遣候也、
熊皮ノ障泥    |一、熊の皮の御あおり一かけ出来申候を、小林久介持被参候、被懸 御目候へと、申渡候也、
有吉英貴邸へ晩ノ |一、頼母殿へ、晩の御数寄ニ被成 御座候也、
数寄ニ臨ム    |
高罠ノ奉行    |一、高わな奉行ニ、歩之御小性奥村市左衛門申付候也、
         |一、中津ゟ、 三斎様御買物之儀ニ付而、飯銅上右衛門所ヘノ状・我等共之状・佐藤将監所へ之状
         |  参候事、

         |
         |  〇六日・七日分 記載ナシ、
         |
            

         |                               
         |   八日  加来二郎兵衛
         |  
         |                  (沼田延之)
草履取ノ親座頭屋 |一、御さうり取竹蔵と申ものゝ親座頭、かけゆ殿下やしきノわき、山田少兵衛上候内を被下候へと、
敷ヲ乞ウ     |  (吉谷)
         |  平太夫を以申候、せかれ竹蔵御奉公仕居儀候間、遣可被申由、申渡候事、
         |            (規矩郡)
氏家元高邸ニ臨ム |一、今晩ハ氏家志摩殿へ、曽根ゟ直ニ被成御座候也、

         |                               
         |   九日  奥村少兵衛  
         |
彦山政所坊親死ス |一、政所坊親、今朝卯刻ニ御果候由、財津惣兵衛被申候事、
         |   (長晟)
浅野長晟へ音信  |一、浅野但馬様へ御飛脚、御小人ノ市介ニ、御文箱相渡、遣候也、
八喜木工困窮ス  |一、八木木工手前不罷成ニ付、京都御借銀ノ内を被成御借シ、自然/\ニ知行物成之内を以、可取立
京都借銀ノ御印  |  との 御印、寛五ノ十一月ニ被成御出ニ付、今度も弐貫め余かり被申候、上方利足なミと、尺状
上方ノ利子    |                                (豊岡)
         |  ニ書付させ候、上方ノ利ハ弐年ごし、参年こしにならてハ不極由、甚丞被申候、此前ノ利ノなら
         |                      (ま脱)
         |  し、年中一わり弐歩ニ当候ニ付、大かたたゝい迄究置候事、
江戸ヨリノ飛脚下 |一、江戸ゟ、黒部吉右衛門与帆足十左衛門・伊藤佐左衛門尉参候、江戸を九月十日ニ立、大坂ニ同廿二
ル        |  日ニ着、御舟無之付、廿八日ノ夜出船仕由申候、田辺七郎兵衛も同前ニ被罷下候也、
江戸ヨリノ音信  |     右ノ持下候御状数
         |  一、御留守居衆ゟ壱つ、
         |    (本多政朝)
         |  一、本田甲斐様ゟ壱つ、
         |      (忠真)
         |  一、小笠原右近様ゟ一壱つ、
         |  一、御留守居衆ゟ壱つ、
         |  右之前、飯田才兵衛を以上ル、
         |一、江戸へ、明日被遣わ御鉄炮衆、山川惣右衛門与小林市丞・井関久馬助与宗村九兵衛両人也、但、横
         |  山作兵衛同船ニ而上ス、但、御物ニ付遣衆にてハ無之候、直ニ江戸へ遣二人也、
         |一、貴田半左衛門尉所へ」、被遣 御書箱、持せ遣可申旨にて、被成御出候也、
         | (細川光尚)
光尚へ小刀 薬  |一、御六様へ被進せ御小刀、幷御薬入申候小箱壱つ、
         |
         |一、松野織ア・町三右衛門へ被遣大文箱一つ、山川惣右衛門与小林市丞■・井関久馬助与宗村九兵衛
         |  ニ、右弐つの箱相渡、江戸へ被遣候也、
         |一、江戸へ西沢与樋田少兵衛、
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃
         |     為早便
江戸ヨリ早便   |一、江戸ゟ〇桑原与石原角左衛門・国友半右衛門ヨ岩男権右衛門罷下候、江戸九月廿七日に立、大坂
         |                                 (外)
         |  ニ十月三日ニ着、続二右衛門舟ニ而下ル、言上ノ文箱壱つ持下、其状書状数多持下ル、
京ヨリ太刀    |一、西沢与樋田少兵衛ハ、御太刀取二、京へ被遣、御太刀持下ル、則、上申候、
大坂ヨリ赤貝   |一、大坂より赤かい廿下ル、則、上ル、

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■細川小倉藩(520)寛永七年・日帳(十月朔日~四日)

2021-03-18 14:05:01 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年十月)朔日~四日

         |                               
         |   朔日  奥村少兵衛  
         |
三斎ノ迎船    |一、鏡善右衛門、 三斎様御迎舟ニ被遣候処、今日罷戻申候事、
         |                                          (陣ヵ)
中国ヨリノ刀売リ |一、中国ゟ刀うりニ参候を、竹屋喜兵衛直段を相究、御かい被成候御横目に、かちノ御小性神野佐左
竹屋値極メ    |  衛門遣候事、
         |                (ママ)
                                 |一、佐分利兵太夫与三浦二郎右衛門
田川ヨリ松茸   |一、田川ゟ、松茸三百本参候事、
船頭鏡善右衛門  |一、鏡善右衛門ニ御米弐拾石被為拝領候事、
木下延俊へ松茸ヲ |一、木下右衛門様へ松茸壱籠幷御書箱、次飛脚ニ而被進之候事、
贈ル       |
         |      (秀成)
生嶋秀成帰洛   |一、明日、生嶋玄番殿のせ上候御船頭ふ風斗五兵衛ニ、大坂へ之書状幷京へ遣候書状、共ニ七つ渡、
京大坂へ書状   |  遣申候、五兵衛京へ被遣ニ付、如此候也、
         |   (久盛)
         |一、中川内膳殿ゟ御状参候、吉田縫殿御持上候事、
明寰帰任     |一、中津ゟ、明官罷帰候也、
  

         |                               
         |   二日  加来二郎兵衛  
         |
         |   (重義)                       遠坂
竹中重義出府ニツ |一、竹中采女様、長崎ゟ御上被成ニ付而、御小早ニ而〇関内御使者ニ被進之候、御音信ニハ素麺弐
キ音信物     |  箱・粕漬鮑弐桶・栄螺百入弐籠被進之候事、
忠利鷹狩後米田是 |一、今朝は未明ゟ、御鷹野ニ被成 御座、昼ゟ、監物殿へ被為成候事、
季邸ニ臨ム    |

         |                               
         |   三日  奥村少兵衛  
         |
         |                    (小笠原長之)
鷹狩後小笠原長之 |一、今朝は未明ゟ、御鷹野ニ被成 御座、晩ハ備前殿へ被為成候事、
邸ニ臨ム     |
竹中重義へ音信ノ |一、采女様へ被進之御音信之かも、取かへニ被遣候、御船頭ハ中靏弥吉也、
鴨        |
米搗車      |一、備前殿ゟ御帰ニ、古木こやへ被成御座、米つき車被成御覧候事、
鷹ノ寄      |一、唐ぼし嶺ノあたらニ、御鷹ノより御切せ被成御奉行ニ、井田小兵衛遣、

         |                               
         |   四日  加来二郎兵衛  
         |
         |一、今朝、御鷹野ニ被成御座候事、
ビロードノ枕屏風 |一、ひらうとの御枕屏風五つノ奉行、久保田七右衛門と申仁也、但、歩之御小性衆也、
         |     (志水元五)
志水元五邸ニ臨ム |一、今晩、伯耆殿へ御申也、

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■細川小倉藩(519)寛永七年・日帳(九月廿七日~卅日)

2021-03-17 07:29:25 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)廿七日~卅日

         |                               
         |   廿七日  奥村少兵衛  
         |
忠利鷹野ノ帰途誅 |一、今朝ハ、御鷹野ニ被成御出、御帰之時、御誅伐三人被成御覧、直ニ佐藤将監殿へ被成御成候事、
伐ヲ見テ佐藤将監 |
邸ニ臨ム     |                  (不破)            借やニ      (成定)                              
         |一、今日ノ三人ハ、御さうり取ノ猪介、ふわ角丞小者一人、当町ニ〇居候もの、坂崎道雲下女を盗、
         |                        〃〃
         |  田川へ走候を追懸、女をとらへ、小倉へ被召帰候処ニ、彼男罷出、女をきり候所を聞付、とらへ、
         |  しばり申候候て、つれ来候を、申上候ヘハ、此ものと三人被成御成伐負候也、
         |     〃〃                         〃

         |                               
         |   廿八日  加来二郎兵衛  
         |
鷹狩       |一、今朝ハ、御鷹野ニ被成御出候事、
鰹到来      |一、木下右衛門様ゟかつほ、関宿道にて参候事、
         |一、萩ノ保庵と申、町奉行所へ、沅西堂ゟ之状持せ遣使、今日罷帰候、保庵知行所へ被参ニ付、彼知
         |  行へ追懸ケ参候ニ付、おそくかへり候由申候事、
         |  (細川孝之女、小笠原長之室)          (小笠原長元)         (細川孝之)
小万下着ス    |一、小万様被成御乗下候御舟ニ、御加子拾人、備前殿ゟ御ふる廻候由、幷 休斎様ゟも被 召連寄、
         |  御酒被下候由、白井兵介書付上候へ共、懸 御目候儀にてハ無之ニ付、日帳ニ付置候也、
三斎ヘノ使者帰ル |一、三斎様へ、御音信之御使者ニ被遣候かちノ御小性、本庄喜三郎罷帰候、 三斎様へ、廿四日ニ
         |  (下津井、備前児島郡)
         |  下ついにて懸 御目、 御書・御音信物上申候由ニ而、 御返書取、戻申候事、今日は、定而
         |  (豊後国東郡)
         |  竹田津可被成御着と、奉存候由、御船頭白石井又左衛門申候事、
         |                    〃
明日溜池ノ通行ヲ |一、山川惣右衛門与内田七左衛門、ためいけへ、花坊所へ、明朝人を通し申間敷とノ 御意之通申遣、
止メシム     |

         |                               
         |   廿九日  
村少兵衛  
         |
三斎今朝中津ニ帰 |一、国東ゟ、蒲田次左衛門申越候ハ、 三斎様昨日申ノ刻ニ、竹田津へ御着、今朝中津へ御着可被成
        |  旨、注進申候を、則、申上候事、
         |                             (安下庄、周防大島郡)
         |一、池上加介を、 三斎様へ御音信ニ、御迎ニ御上せ被成候処、あけノしやうと申所ニ而、懸 御目
         |         御目録
         |  候而、御音信物〇ニ、 御自筆ノ御書付・御書判被遊、被進之を持参被申候事、
         |                    真下半右衛門
少峯中津へ参上  |一、明日、中津へ少峯参候ニ付、歩之御小性長や二郎介付遣候事、
         |                    〃〃〃〃〃
         |    (規矩郡)
忠利横川ニ鷹狩シ |一、明日、横川へ御鷹野ニ被成御座候、次而ニ、石を可被成御取旨、永良長兵衛を以、被 仰出候、
採石セム     |  則、岩田喜右衛門・永松右兵衛ニ申付候也、

         |                               
         |   卅日  加来二郎兵衛  
         |
藍島ノ海士雁ヲ弓 |一、あいノ嶋海士鴈壱つ持参仕、申候ハ、嶋へ参候而、程近ク居申ニ付而、弓にて射申由申候而、持
ニテ獲ル     |  参申候事、
大坂ニテ鮭ヲ買求 |一、大坂ゟ、鮭壱尺買下申候事、
ム        |
         |               (有吉英貴)                           (鬚 籠)
忠利三斎帰国ヲ祝 |一、三斎様中津へ被成御下着ニ付、頼母佐殿御使ニ被遣、今晩被成御戻候、御所柿ノ入たるひけこ弐
ヒ使者ヲ遣ス   |  つ被進之、頼母殿、則、 御前へ被成御上候事、

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■細川小倉藩(517)寛永七年・日帳(九月十九日~廿四日)

2021-03-15 16:35:14 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)十九日~廿四日

         |                        
         |   十九日  奥村少兵衛
         |
         |  (細川立孝)                (田川郡)             (長氏)
立允書状ヲ岩石へ |一、立允様ゟ御飛脚、御文箱持参申候、岩石へ持参可仕通申候間、平野九郎右衛門所へ、状をそへ遣
届ク       |  申候、御鷹之儀にて御座候と相聞え申候間、此方ゟ之御飛脚相添不申候、
         |                           (皆川)(林隠岐)
宇佐ノ占地茸   |一、宇佐郡ゟ、しめち少参候を、御奥かたへ払被申候へと、治ア・おきへ申渡事、

         |                        
         |   廿日  加来二郎兵衛
         |
         |一、夏間少三郎病死仕由、金山ゟ申来候事、
         |             (ママ)
         |一、木原猪右衛門尉、湯治ゟ去十罷戻、去十七日ニ、爰元へ御礼ニ罷出候へ共、十八日ニ 殿様田川
         |              〃      
         |  へ被成御座ニ付、御礼不罷成、于今逗留仕居申候、逗留仕候而も相替儀も無御座候間、知行所へ
         |  返し可申由、山田加左衛門方ゟ、山田忠三郎を以、被申聞候事、
宇佐郡御借米奉行 |一、八木田丹右衛門尉、湯治ゟ罷帰、うさ御借米奉行ニて候間、すくニうさへ参候由、不破平太夫を
         |  以、被申聞候事、

         |                        
         |   廿一日  奥村少兵衛
         |
         |            (叟)
祇園社神事能ノ三 |一、祇園御能之時、三番さの面、祇園ノ面箱二入て御座候由にて、神主持参仕候、吉山熊介ニ渡候也
番叟ノ面ヲ納戸奉 |
行へ渡ス     |

         |                        
         |   廿二日  加来二郎兵衛
         |
中将ノ面ヲ木下延 |一、木下右衛門尉殿ゟ、中将之面かりニ被遣候、奥納戸衆へ申、認させ、遣候也、
俊へ貸ス
         |一、中将之面壱つ、右衛門様之御使菅勘四郎ニ渡ス

         |                        
         |   廿三日  奥村少兵衛
         |
         |
忠利帰城ノ報   |一、曽根ゟ、平野九郎右衛門尉被申越候ハ、 殿様今日可被成御帰城旨ニ御座候間、得其意、御風呂
         |  なと可申付通、被申越候事、
         |                                 (松井康之室)
松井興長江戸大廻 |一、式ア殿ゟ被仰聞候ハ、江戸へ大廻ノ御舟参候由、承及申候、左候ハヽ、自徳院殿へ、樽三・さか
ノ船ニ自徳院ヘノ |                                        願申候、  
進物積載ヲ願ウ  |  な弐包・麦五斗・大唐五斗、右野分遣度候間、下ニ而御つませ候事成申候ヘハ、申事無御座候、
         |  左も無之候ハヽ、得 御諚候而給候へと、被仰聞候事、                〃
大里ノ市ニテ駄馬 |一、内裏ノ市にて、浅野七左衛門・柳瀬茂左衛門ニ、駄馬被成御買せ候、代銀三百め、歩之御小性窪
ヲ買ハシム    |  田七右衛門ニ持せ遣、渡候へと、申渡候事、
         |一、北崎弥三右衛門、京ゟ被罷下候事

         |                        
         |   廿四日  加来二郎兵衛
         |
江戸ヨリ飛脚   |一、江戸ゟ御飛脚、御鉄炮衆谷忠兵衛与大塚権左衛門・井関久馬与塩田所左衛門罷下候、江戸を今
ソノ行程     |  月十四日ニ立、同十九日ニ大坂ニ着仕候、大坂を其間まゝ出船仕、京下着申候事、
         |        (慰英)   (是次)          (蜂須賀忠英)
忠利書状     |一、寺嶋主水・仁保太兵衛・米田左兵衛へ、 御書ニ、あわのかミ殿への御文箱添、
 大坂奉行へ   |
         |                                     (坂崎)
 京都買物奉行へ |一、佐藤少左衛門・小野九右衛門・志水安右衛門へ、 御書箱ニ、坂崎清左衛門へ一角ゟノ状壱つ添、
         |  右之分、明日之御舟ニ差上可申旨也、
         |
         |一、松井宇右衛門ゟ佐藤少左衛門所へ、銀子包こめ候状壱通、寺嶋主水所へ之状壱通、続仁右衛門ニ
         |  渡シ、上せ候事、

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■細川小倉藩(516)寛永七年・日帳(九月十四日~十八日)

2021-03-14 08:01:17 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)十四日~十八日

         |                        
         |   十四日  加来二郎兵衛
         |
諸方ヘノ書状覚  |      御飛脚ニ渡候 御書箱ノ覚
         |  一、三斎様へ被進せ候 御書箱壱つ、
         |    (三淵重政)  (成政)
         |  一、長岡右馬助殿・坂崎清左衛門へ遣候 御書箱一つ、
         |    (松井興長) 
         |  一、式ア少殿ゟ、清左衛門への文箱一つ、
         |          (吉田浄元)
         |  一、式ア少殿ゟ、盛方院への文箱一つ、
         |                                    医師。宮内卿・盛方院。吉田浄慶の男。元和七年従二月遺跡を継ぎ、采地五百石知行。寛永元年法眼、のち法印。
                                                                                                          寛永九年三月十七日歿。年五九。母は松井康之の女。
         |  右は牧丞大夫与白木八兵衛・黒部吉兵衛与服部喜右衛門、両人ニ相渡申候也、
         |一、修理方ゟ、仁保太兵衛かたへの状壱つ、右ノ御飛脚ニ渡候也、
備前焼ノ壺ヲ松丸 |一、松之御丸ノ庭ニ御座候備前之かめつぼ一、北の御丸へ御用之由候て、治ア方へ相渡候也、
ノ庭ヨリ北ノ丸へ |
移ス       |                                    
         |一、式ア少殿ゟ、河喜多五郎右衛門・釘本半左衛門方へ被遣候御状、国友武右衛門方ニ言伝遣申候也、
         |                               
大脇差代銀八十匁 |一、臼杵ヨリ御飛脚参候由、式ア殿被仰候、御あつらへ被成候大わきし参候、代銀八十っめ被遣候事、
藤井某母ヲ紀伊ニ |一、藤井権兵衛、紀州国へ御暇申、母見廻ニ罷越、彼地にて煩、相果申儀、弥必定ニて御座候由、申
見廻病死ス    |            (氏久)
         |  来候通、湯浅角兵衛・田中猪兵衛登城にて被申候事、  

         |                        
         |   十五日  奥村少兵衛
         |                          (蕃)八條宮(桂宮)諸大夫
北ノ丸ニテ生嶋秀 |一、けさは、北ノ御丸にて御すき被成候、御客人ハ生嶋玄番也、
成ニ茶ヲ饗ス   |
         |                         
大貞社米貸付帳ヲ |一、大貞社米宇佐郡之御かし付帳・上毛ノかし付帳、両〇人之御郡奉行ニ相渡候也、
郡奉行へ渡ス   |                          〃

         |       (ママ)                        
         |   十六日  
         |
田川ノ宿割奉行ニ |一、田川御宿わり奉行ニ遣候かちの御小性池上加介・原田理右衛門・杉原忠兵衛、
歩小性      |
客人付小性    |一、御各人ニ付遣候かちノ御小性、井門助丞・中山又右衛門、
         |                        (加々山可政)
合羽       |一、かつはのそミ被申御詰衆ノ書付、和慶作ニ渡、但、主馬方ノ使ニ参候也、
逸鷹ヲ居上グ   |一、それ申候御鷹哉らん、すゝ付申候御鷹、ため池ノやなノ所ニ参候を、すへ上申義ニて、谷忠兵衛
鈴板ニ長岡河内ノ |                    (村上景則)
銘アリ      |  与塚本少介すへ参候事、但、すゝいたニ長岡河内と有之也、

         |                        
         |   十七日  奥村少兵衛
         |
羅漢寺ノ坊主物ヲ |一、吉田縫殿被申候ハ、西ノ羅漢寺ニ、中津ゟ坊主一人此中参居候而、少宛ノ物いろ/\ぬすミ、若
盗ミ若松ニ預置ク |  松へ持参候而、預置申候、せんさく仕候処、かの坊主むすミ候ニ相究候、若松へ取ニ参候而、そ
         |  れ/\へ返シ申候、御家老衆へも此段申候処、御奉行衆へも申理、払候へと被申候、かの坊主本
追放セシム    |  国ハ肥前ノものにて御座候由、被申候間、御家老衆其分ニ被仰候上ハ、一段可然候間、払可被申
         |  と申渡候事、
忠利安国寺へ赴ク |一、今朝は、安国寺へ被為成候事、
         |一、木下右衛門様ゟ御飛脚参候、則、 御返書出申候間、持せ遣候事、
大坂ニ売馬三十疋 |一、式ア殿ゟ被仰聞候ハ、内裏町ニうり馬三十疋ほと参候由、申来候間、御馬せめ衆遣し可申候、左
馬乗ヲ遣ス    |  候而、飼料をも渡可申通、被仰聞候間、得其意申通、御返事申候事、

         |                        
         |   十八日  加来二郎兵衛
         |
上方ヨリ刀ノ目利 |一、加々山主馬殿被預置候わきさし、上方ゟ目きゝ参候間、見せ可申候条、弐つ友ニ返し可申ノ由、
来ル 加々山可政 |  状給候間、使堀羽右衛門ニ、慥ニわきさし弐つ渡申候也、
脇差ヲ返ス    |
忠利田川へ赴ク  |一、今日ハ、田川へ被成御座候也、
鷹ノ寄切奉行   |一、御鷹ノよりきり奉行、歩之御小性塩津勘兵衛・森左平次申付候也、

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■細川小倉藩(515)寛永七年・日帳(九月十一日~十三日)

2021-03-13 08:46:48 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)十一日~十三日

         |                        
         |   十一日  奥村少兵衛
         |
料理用葛ノ花採集 |一、国東御郡奉行小林半左衛門尉被申候ハ、御料理ノ御用ニ成申くすのはなノ儀、御郡中へ申付候へ
不能ノ理由    |                            (次左衛門)
         |  共、時分過候而、はな取出し不申候、八月十日ニ、此地ニ蒲田居被申候ニ被仰付候故、右之通之
         |  由、被申候也、
         |(豊後海部郡)(佐伯、同郡)                  (勝永)
稲葉一通毛利高成 |一、臼杵・さいきニ被遣御飛脚、御返書持帰候、寺尾左介与永松二右衛門・山川惣右衛門与麻生半左
ヨリ返書     |                              (皆川)
飛脚ニ銀子賞与  |  衛門両人ニ、さいきニ而、銀子十匁宛被下候由申候事、御返書ハ治アを以上ル、

         |                        
         |   十二日  加来二郎兵衛
         |
草鹿ヲ射サシム  |一、今日ハ、松ノ丸下にて、御草鹿被成 御射させ候事、
         |
三斎返書     |一、三斎様へ為御使、歩之御小性荒木権左衛門被遣、■関ノノ地蔵ゟ一里此方にて懸 御目、御返書
         |  持来候事、
         |一、右権左衛門乗下候御船頭ハ、野間惣兵衛、
         |(一脱)
腰物奉行へ大坂ヨ |  伊藤武左衛門・田中理左衛門所へ、大坂ゟ差下候御つか巻かわ八枚ノ由ニ而、一箱下ル、
リ柄巻革来ル   |
         |                                  (是次)
小倉包ノ悪銀京ヨ |一、小倉包、悪銀之由にて、弐百目壱包、京ゟ下ル、辻二郎右衛門包也、米田左兵衛・仁保太兵衛ゟ、
リ返送サル    |  粟野・加藤・豊岡弐下ル銀也、則、御船頭野間惣兵衛可渡とて、持かへる也、
         |賄奉行・料理人遣候ハヽ、御六ケ敷可有御座候間、遣シ申間敷旨 御諚にて、遣シ不申候也、
休閑上京ニ賄奉行 |一、明日、休閑様被成御上候、御料理人ハ八蔵と申もの也、御賄人ハ御鉄炮衆二人、上奉行ニ歩之御
料理人ヲ付ケズ  |  小性赤尾茂兵衛申付候也、右分ニ申付候由、申上候ヘハ、賄人奉行・料理人上せ申間敷候、御心
賄料渡切リ    |  易被思召候様ニとノ儀候、御賄を渡切可申旨、被 仰出候也、
         |一、明日、休閑様乗上り御船頭ハ、三木清大夫、ろ数廿四丁、八端帆也、
         |
         |一、木下右衛門様ゟ御飛札参候、則、御返書出申候、歩野御小性中嶋五大夫ニ持せ、吉田縫殿所迄持
         |  せ遣候也、

         |
         |       (ママ)                        
         |   十三日  
         |                                (村上景則)
三斎書状ヲ鷹野ノ |一、三斎様寄り殿様へ被進せ御文箱、明日御小早にてくだり申由にて、長岡■■河内所ゟ持せ、被差
忠利へ上グ    |  越候を、歩之御小性久持作丞ニ而、御鷹野ニ被成御座候處へ上ヶ申候也、
         | (毛利高成)旧姓森氏               (沢村吉重)
毛利高成書状ヲ沢 |一、森摂津守ゟ、御飛脚ニ御文箱参候を、大学所へ御成にて御座候ニ付而、松崎弥兵衛ニ持せ、差上
村吉重邸ニテ上グ |  申候也、
規矩郡奉行平井某 |一、平井五郎兵衛、今朝相果候通、小崎與次兵衛被申候也、
没ス       |
         | (大里、規矩郡)
大里ノ馬市ニ大豆 |一、内裏ノ市にて、方々ゟ参候馬ニ大つ渡候、奉行ニハ歩ノ御小性浅見八兵衛・兵庫与高見吉右衛門
ヲ渡ス      |  也、是ハ御長柄衆壱人付遣也、
鹿肢ヲ佐藤将監ニ |一、鹿肢壱つ、佐藤将監方へ被遣、真野兵右衛門と申者、うけ取ニ参候、渡遣候也、
賜ウ       |
三斎ヨリノ進物大 |一、石松作内、大坂ゟ罷下候、 三斎様ゟ、さけ・わさび・ひしほ被進候を、つミ下候由申候申候也、
         |                                        〃〃
坂ヨリ下ル

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■細川小倉藩(514)寛永七年・日帳(九月六日~十日)

2021-03-12 11:27:17 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)六日~十日

         |                        
         |   六日  加来二郎兵衛
         |
鍋島使者山村某ハ |一、なへしま殿ゟ御使者、山村喜兵衛と申仁也、御小袖弐つ被遣候也、但、九日之御祝儀ニ被参候也、
重陽之祝儀ニ来ル |
寛永五年六年惣銀 |一、嘉永五年之御惣銀ノ 御袖判弐枚、同六年ノ 御袖判弐枚、中神與兵衛被請返ニ付、 御前へ被
ノ袖判ノ判を消ス |       〃
家老ノ判ヲ消サシ |  差上候処、 御判御けし被成、御出候を、則、中神與兵衛ニ相渡申候、御家老衆御判を御けし候
ム        |  様ニ可被仕通、申渡候事
諸方ヘノ書状覚  |一、三斎様へ被進 御書箱壱つ、
         |  (烏丸光賢室、三斎女)
         |一、御万様へ之御文箱壱つ、
         |   (康勝)
         |一、伊丹播磨様へ 御書箱壱つ、
         |一、松屋九郎兵衛所へ、飯田才兵衛ゟ之状壱通、内ニ 御書有之由也、
         |   (成政)
         |一、坂崎清左衛門所へ、飯田才兵衛ゟノ状壱通、御用ノ儀申遣由也、
         |一、竹村弥右衛門所ゟ、野村少左衛門と申仁ニ状壱通、是ハ小野九郎右衛門ニ渡候ヘハ埒明申也、
         |一、我等共ゟ、寺嶋主水所へ之状壱通、
         |  右之前、北崎弥三右衛門ニ相渡、明日可申上候也、

         |                        
         |   七日  奥村少兵衛
         |
         |一、田川ゟ、松茸三拾弐本参候、則、 御前へ上申候事、
         |  (直正)
         |一、寺本与之江口太兵衛・友田二郎兵衛与梶原久丞、両人八月十日ニ江戸へ被遣候、 三斎様へ
         |        (相模足柄郡)   八月廿二日ニ
三斎へ小田原ニテ |  御状被進候、小田原■にて懸 御目、御書を上ヶ、御返事取、下申由にて、江口太兵衛罷下候也、
状ヲ上グ     |  梶原久丞ハ江戸へ通り申候也、
初見ヲ願ウ男子ノ |一、御目見へ仕度と申上子共ノ覚
書付ヲ上グ    |
         |  歳九つ        十一      十五       十六       十九       十三
         |   田辺つちの介  寺井藤蔵  金津十二郎  沢村権十郎  金子久四郎  ふわ大介
         |  廿一       左兵衛子 廿  十二    十六    仁右衛門子八つ    吉兵衛子歳十一
         |   早川久大夫  加藤少太夫・権介  山田市ノ介  平野甚九郎  岡伝蔵
         |  右ノ分、書付上候也、
         |                             (林隠岐)
後藤又市郎伜へは |一、後藤又市郎せかれニ被遣候一帋、幷はつしノ目相尋候様ニと、おき所ゟ申越候弐付、尋遣候処、一
つしノ目ヲ尋ヌ  |  歩三拾粒はつし、金三十四両三分被下候由、書付参候事、  

         |                        
         |   八日  加来二郎兵衛
         |
         |       (長氏)
忠利平野長氏邸ニ |一、今朝ハ、平野九郎右衛門尉所へ被成 御成候事、
臨ム       |
         |  (築城郡)   繕
椎田茶屋修繕奉行 |一、椎田御ちや屋〇奉行ニ、岩崎角丞・福田甚大夫申付候也、
任命       |
絵画奉行任命   |一、ゑかき奉行ニ、寺川源太郎・鯛瀬九郎太郎、両人被仰付候、
         |一、金子文三郎かわりニ、弓削與二右衛門申付候事、
         |  (伊勢桑名郡)
         |一、桑名へ御使ニ被遣候御鉄炮衆、伊藤金左衛門与藤本少介・芦田與兵衛組二右衛門、
         |一、湯浅三大夫煩ニ而、九日之御礼ニ不罷出候由、加来兵衛方被申候也、
後藤又市郎母没ス |一、星野少介被申候ハ、辛川忠介頼被申候ハ、後藤又市郎母儀、被相果候、忠介為ニハおばにて御
伯母ノ服忌ニ欠礼 |  座候ニ付、いミ御座候、就夫、明九日ノ御礼ニ不罷出候間、此段申上くれ候へと、被申候也、
病気欠礼     |一、平野治ア左衛門煩にて、今度之御礼ニ不罷出候由、加藤左兵衛を以、被申聞候事、

         |                        
         |   九日  奥村少兵衛
         |
上リ弓ヲ天守道具 |一、森禎勇弓弐張、御奉行所に上り御座候を、皆川治アゟ、御掃除坊主ノ長円取弐参候間、相渡申
奉行へ渡ス    |  候也、
         |                                 (加藤)
御印帳根合ニ知行 |一、前かとゟノ御印帳六冊、有次第根合ノため、松丸就へ渡置候也、但、新兵衛ニ渡候也、
方奉行へ渡ス   |
         |十日    (池田忠雄)
池田忠雄ヘノ使者 |一、備前之宰相様へ、歩之御小性尾藤勘丞御使者ニ被遣候処、彼地にて、御道服壱つ拝領仕通申候被
小袖ヲ賞与サル  |  申候、今日被罷帰候事、      

         |                        
         |   十日  加来二郎兵衛
         |
祇園社神事能ニ臨 |一、今日は、祇園御神事之御能御座候、 殿様も自未明、祇園へ被成 御座候事、
ム        |

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■細川小倉藩(513)寛永七年・日帳(九月四日~五日)

2021-03-11 06:22:53 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)四日~五日

         |                        
         |   四日  加来二郎兵衛
         |
岩石ヨリ松茸   |一、岩石ゟ、松茸三十三本弐籠ニ入、次夫にて持来ル、
借米奉行死ス   |一、安井長左衛門尉、去月廿鉢日之夜病死仕候、当御借米奉行ニ而候つる処、右之分ニ候間、かわり
         |  の仁申付候へと、御郡奉行衆ゟ申来候事、
京ヘノ音信覚   |一、   差上せ申物数之事
忠利判紙五枚   |  一、坂崎清左衛門へ被遣 御判帋五枚壱包、
         |  一、同人へ、飯田才兵衛ゟ之状壱通、
         |  一、同人へ、我等共ゟノ状一通、
津田秀政宛    |  一、津田與庵様への 御書壱通、
         |  一、佐藤少左衛門方へ、我等共ゟ状一つ、
         |  一、同人・小野九右衛門へ、我等共丞壱つ、
         |         (可政)
         |  一、同人へ、加々山主馬ゟノ状一つ、
縮緬       |  一、ちりめん弐包、
忠利袖判紙    |  一、中神與兵衛ゟ、京衆へ上せ被申 御袖判之入候文箱壱つ、
         |     (築)
         |  一、筑山兵庫方へ、我等共ゟノ状一通、
         |  外ニ貴殿ヘノ状二通、
         |    九月四日
         |         (主水)
         |         寺島殿              修り
         |                          兵庫
入日記      |  右之分ニ、入日記書入候也、
         |                         (杢)
         |一、金守杢左衛門尉弟甚太郎事、口ニ詰させ候へと、金左衛門ニ御直ニ被 仰候由、杢左衛門被申候
         |  也、                                                                         〃
         |             (蒸堅魚) (塩堅魚)     (橙糕)
長崎ヨリ上ル品々 |一、長崎ゟ御小早上り申候、むしかつほ・しほかつほ・南蛮柿・かせいたのつけ物、此分つミ上り申
         |  候事、

         |                        
         |   五日  奥村少兵衛
         |
紫幕ノ奉行    |一、紫幕色上ノ奉行ニ。、横田権佐与矢野伝介・八屋久兵衛両人ニ申付候也、
         |   (友好)
松井友好家修繕ニ |一、松井宇右衛門尉家ノ繕ニ被成御借候弐貫め銀、松ノ丸衆惣談ノ上、上方ノ利足並に相究、主馬・
借銀ノ利足ヲ上方 |  我々両人加判弐而、松ノ丸へ切帋遣候也、
並トス      |
         |     (蒲生、規矩郡)
忠利蒲生ノ簗ニ遊 |一、今日ハ鴨生ノやなへ被成御座候事、
ブ        |
落鮎三千匹    |一、かもうのやなニ、あゆ三千ほとおち申候也、
         |      (鍋嶋勝茂)     御
鍋嶋勝茂使者へ肴 |
一、なへしま様ゟ之使者御座候處、町中ニ肴無之由、申来ニ付、御台所へ申遣、うなき三拾・あゆ十
ヲ調達ス     |  五・なまつ壱つ・塩かい五はい遣候也、
隼城野ニテ逸ル  |一、横井弥次右衛門尉預之御隼、今日城野にてそれ申候間、明日歩之御小性・御昇衆なと遣、尋させ
探索ニ歩小性等ヲ |        (正慶)                                    (太)
出サシム     |  可申候旨、加々山権左衛門尉を以、被 仰出候ニ付、歩之御頭衆・御のほりノ小頭大郎右衛門ニ
         |  かたく申付、遣候也、
鍋嶋勝茂使者ニ対 |一、鍋嶋殿使者ニ、今夜被成御対面候也、
面ス       |

 

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■細川小倉藩(512)寛永七年・日帳(九月朔日~三日)

2021-03-10 09:44:53 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年九月)朔日~三日

         |                        
         |   朔日  奥村少兵衛
         |
         |                                       (沢村吉重)
         |一、長崎ゟ、此比参候御昇衆善右衛門以、今日長崎へもとし申候、我等共ゟノ状一つ、大学殿ゟノ状
         |      (三淵重政)
         |  壱つ、右馬助殿ゟノ状壱つ持せ遣候也、
         |                                         (相模鎌倉郡)
三斎ノ飛脚    |一、三斎様ゟ、御飛脚弐人参候、江戸を廿一日ニ、 三斎様御供仕、罷立、同日戌ノ上刻ニ、戸塚ゟ
         |  御先へ罷上、廿五日ノ刁ノ刻ニ、大坂へ着申候也、
         |   (辰珍)
         |一、津川四郎右衛門尉殿へ、小野九右衛門尉所ゟ下候かミ袋壱つ、四郎右衛門殿へ直ニ相渡候事、
         |                                (田中氏次)
忠利印籠     |一、式ア殿奉にて、上方ゟ下候御印籠を、つゝミ之侭、竹原少太夫ニ、兵庫渡候事、
         |
請取       |一、坂崎清左衛門殿ゟ、清田七介所へ被遣しふかミ包壱つ、慥請取申候、
         |                         清田七介内
         |                           三木四郎三郎(花押)
請取       |一、小野九郎右衛門殿ゟ、谷忠兵衛所へ被指下候かミ袋壱つ、慥請取申候、
         |                         忠兵衛内
         |                           丸野七左衛門(花押)
忠利溜池ノ簗ニ遊 |一、ためいけのやなへ被成御座、井出を御おとされなされ候也、
ブ        |
         |一、京都九右衛門所ゟ、大塚長庵所へ参候かミふくろ壱つ、御掃除坊主ノ休清を以、相渡申候事、
三淵重政出船   |一、今晩、長岡右馬助殿御出船候也、   

         |                        
         |   二日  奥村少兵衛
         |
         |  (田川郡)
岩石ヨリ松茸   |一、岩石ゟ、松茸七本参候事、
宇佐ヨリ占地茸  |一、う佐郡ゟ、しめちたけ参候事、          (元明)
舞茸上ル     |一、昨日、坂本仁兵衛ゟ、まふたけ壱籠差上被申候由、住江甚兵衛被申候事、
         |一、藤北九右衛門・藤掛蔵人殿へ参候しふかミつゝミ壱つ、相渡申候也、
請取       |               右請取申候、  蔵人内 ほき伝右衛門〇(黒印)
         |一、長崎ニて、半藤上右衛門尉・安井太右衛門尉方へ被遣御状壱通、幷右両人之造佐銀之由ニ而、壱
         |  包苻之まゝ請取申候、長崎へ御舟ニのり罷下候御船頭吉田理兵衛・三宅清助、此両人ニ慥ニ相渡
請取       |  可申所如件                小早ノ御船頭 
         |                           河村喜左衛門尉(花押)
         |一、又、式ア殿ゟ長崎へ之文箱壱つ、又、半藤一兵衛方ゟ上右衛門方へ参刀壱腰、右同前ニ請取申候、
         |  右ノ清助・理兵衛ニ相渡加申候、          河村喜左衛門尉(花押)
御借米ニ請人貸ノ |一、御家中への御借米ニ、請人かしと申儀、堅仕間敷候由、右ニ被仰出候へ共、今朝加藤新兵衛・粟
禁ヲ解ク     |  野伝介・豊岡甚丞ニ被 仰出候ハ、請人かしも不苦之由、右三人へ被仰付候通、三人衆被申候事、
         |                (忠泰)  (利政)                       (宇)(友好)                 
豊後府内幕府目付 |一、豊後ゟ、原久助被罷戻候事、赤井豊後様・斎藤左源太様ゟ之御返事二通、久助持帰ル、松井う宇
ヨリノ返書    |  衛門当番ゆへ、被上候へと申候而、二郎兵衛ニ持せ上候へ共、う右衛門未上り不被申ニ付、御番
         |  ノ下村五兵衛・高田十兵衛ニ具申渡置候、う右衛門被上次第、此通具ニ可被申届由申候、爰元
         |  
忠利小袖ヲ贈ル  |  別苻迄ハ歩之御小性原久介御小袖持参仕り、宇野七右衛門御使者ニ参候、御口上有之ハ、書付可
         |  被申上由、七右衛門所へ申遣候ヘハ、節々御音信忝可被思召由迄ニ候由申候事、
長崎ヨリ唐木綿  |一、長崎ゟ、唐木綿弐たん幷鉢壱つ、御飛脚ノかへりニ差上せ候、則、上申候也、        

         |                        
         |   三日  奥村少兵衛
         |
忠利北ノ丸ニ早朝 |一、早朝ゟ、北ノ御丸ニ被成御座候事、
ヨリアリ     |

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■細川小倉藩(511)寛永七年・日帳(八月廿七日~廿九日)

2021-03-09 10:28:04 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年八月)廿七日~廿九日

         |                        
         |   廿七日  賀来二郎兵衛
         |
         |   (田川郡)
岩石ノ松茸    |一、岩石ゟ、松茸三本差上候也、
         |                 三木伝丞   (伊藤)
         |一、今晩、江戸へ被遣御飛脚、井門与大塚少大夫、金左衛門与若槻兵右衛門と申者也、
         |                 〃〃〃〃〃
蟹喰ノ新邸ニ長屋 |一、かにはミ新やしき
ニ、長や被成御立候、此御奉行ニ、金子文三郎・宮部権三郎申付候事、
ヲ建ツ      |
江戸ヘノ書状覚  |一、江戸へ被遣御飛脚ニ、 御文箱相渡候覚
         |      (松野親英)(町)
         |   壱箱ハ 織ア・三右衛門へ、
         |         (職直)
         |   壱箱ハ、■榊原左衛門尉様へ、
         |         (正勝)
         |   壱箱ハ、稲葉丹後様へ、
         |  右之分渡、遣候也、
         |  (主水)
         |一、寺嶋方ヘノ状ハ、御船頭石松作内へ渡、上せ候、舟本迄ハ小頭野田角右衛門ニ持せ遣、渡也、
         |                  (村上景則)    (蒲田)
三斎書状忠利宛  |一、三斎様ゟ、越中様へ被進候御文箱ニ、河内・次兵衛・賢斎ゟ、我等共へ之添状、 御前ニ被成御
         |  留候也、               (志水元高)

         |                        
         |   廿八日  賀来二郎兵衛
         |
         |一、続源八、下々ノ御切米・御扶持方御印出申候を、 御印之段ニ入置、新兵衛・伝介・甚丞ニ可相
         |   (ママ)
         |  渡               (正直)
岩石ノ松茸    |一、田川ゟ、岩石ノ松茸之由候て壱籠、河喜多ゟ、持せ被上候也、
         |一、長崎ゟ飛脚参候、
下毛郡内検    |一、下毛へ御内検ニ被遣御鉄炮衆ハ、山川惣右衛門尉与大場徳左衛門、
下関硯之注文   |一、明日下ノ関へ、御硯あつらへニ被参、かちノ御小性井門助丞、
江戸ヨリ飛脚   |一、江戸ゟ、御鉄炮衆両人、為早飛脚参候、友田二郎兵衛与秋戸十介・兵庫与則木御加左衛門尉也、江
ソノ行程     |                         
         |  戸を去ル十八日ノ酉ノ上刻ニ立、大坂へ同廿三日ノ刁ノ刻ニ参着仕ル、同廿四日ノ夘ノ刻ニ出船
         |  仕由申候、小早ノ御船頭ハ川村喜左衛門也、
江戸ヨリノ書状  |  一、江戸御留守居衆ゟ、言上ノ文箱壱つ、
         |     (茂)
         |  一、渡辺山城様ゟ御状壱通、
         |  一、国師様ゟ御状壱通、
         |  一、竺西堂様ゟ御状壱通、
         |     (秀政)
         |  一、津田與庵様ゟ御状壱通、
         |    (雲嶽霊圭)  
         |  一、圭長老様ゟ御状壱通、
         |     (成政)                                    (乗栄)
         |  一、坂崎清左衛門ゟ、我等共へ当り候しふかミ包壱つ、但、清左衛門方ゟ清田七介へ参物也、
         |  右之分持下候、其外、江戸御留守居衆ゟ、我等共へノ状、京・大坂ゟ、方々へ状共持下候也

         |                        
         |   廿九日  奥村少兵衛
         |
         |           (武次)
江戸ヘノ書状   |一、江戸へ之御飛脚、牧丞太夫与友沢十左衛門・谷忠兵衛与津角少兵衛、今日出船仕候、
         |  一、江戸御留守居衆へ之 御書壱つ、
         |    (松井興長)(自徳院、松井康之室)
         |  一、式ア殿ゟしとくゐん殿ヘノ状壱つ、
         |   (松野親英)(町)
         |  一、織ア・三右衛門方へ、我等共ゟ之状一通、
         |          (成政)
         |  一、京都にて、坂崎清左衛門へ之状壱通、
         |  一、同人へ敷ア殿ゟ之状壱通、
         |  一、同人へ我等共ゟ之状壱通、
         |  一、三斎様へ被進之 御書箱壱つ、
         |  是ハ京都にて、坂崎清左衛門ニ渡置、御飛脚へ江戸へ可罷下候、 三斎様御上着被成候は、清左
         |  衛門持参いたし、上可申旨 御意之由、治ア奉にて被申渡候、
藍島へ野牛ヲ連行 |一、あいの嶋へ、野牛をつれさせ、遣候御鉄炮衆、友田二郎兵衛与秋山理左衛門申付、遣候事、
ノ鉄炮足軽    |
忠利鷹狩     |一、今日は未明ゟ、御鷹野ニ被成御出候事、
         |一、岩石ゟ、松茸四本持参候事、
藍島ノ野牛総数廿 |一、あいの嶋ノ野牛、大小弐拾三、前かとゟ居申候、此方ゟ三つ召連参候、合廿六い申由申候也、
六        |
絵師田代善甫江戸 |一、中津之絵書善甫ニ江戸御下屋敷之御座敷之絵、此中被 仰付、仕廻候而、明日罷帰候ニ、御小袖
下邸ノ座敷ノ絵ヲ |  三つ・御銀子拾枚被遣候也、
完成ニ賞与    |
茶壺積下ル    |一、御船頭南次兵衛、御茶壺とも今日積下申候事、
    

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■細川小倉藩(510)寛永七年・日帳(八月廿五日~廿六日)

2021-03-08 06:57:24 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年八月)廿五日~廿六日

         |                        
         |   廿五日  賀来二郎兵衛
         |
連歌ヲ本丸ニテ興 |一、今日御本丸にて、御連歌御座候事
行ス       |
         |一、須崎久左衛門尉、知行所へ見廻申度之由にて、登城候、御次而を以可申上由、申渡候事、
曲者ヲ取逃シタル |一、岩田彦十郎もの曲事有之ニ付、めし取ニやとへ遣候処ニ、大由断を仕り、取にかし候ゆへ、とり
小性小者ヲ中国へ |  ニ参小性壱人・小者一人、中国へ払被申由、皆川治ア被申候、いつものことく仕くれ候へと、被
追放ス      |  申候、吉田縫殿所へ其段申遣候也、
町奉行へ通知ス  |
         |一、明後廿七日ニ、備前へ被遣歩之御小性ハ、入江三丞与ノ尾藤勘丞と申者也、
         |一、明後廿七日ニ、江戸へ被遣御鉄炮衆両人、内壱人ハ西沢文右衛門与中村五郎兵衛、一人黒部吉
         |    (与脱)
         |  兵衛上野半兵衛と申者也、
         |一、明後廿七日ニ、備前・江戸両所へ被遣御使、見達奉違候、明日被遣候也、
         |   (重元)
         |一、井門亀右衛門与岩成勘兵衛と申者、江戸ゟ此中罷下候、道中之様子直ニ被成 御尋候処、能申
歩小性ニ引上シ者 |  上候旨被成 御意、今度江戸御供ノ歩之御小性ニ被成御加候間、人不足ノ与ニ可入旨ニ付、相尋
ノ組入      |  候ヘハ、真下喜左衛門与ニ一人附則有之由申ニ付、真下与ニ入候由、生源寺市兵衛幷喜左衛門与
         |  わキ松岡角大夫申候也、
         |                            (宰相)(池田忠雄)               (成利)                          
忠利書状池田忠雄 |一、明日、備前へ御使ニ被参かちノ御小性尾藤勘丞ニ備前之相宰様へ之御文箱壱つ、荒尾内匠・荒
等宛       |   (崇就)
         |  尾志摩方へ之御書箱壱つ、相渡申候事、
使者歩小性ヘノ心 |一、右、尾藤勘丞ニ申渡候ハ、備前にて両人之御家老衆へ 御書箱持参被仕候とても、内へ御はいり
得        |  被内間敷候通、堅申渡候、

         |                        
         |   廿六日  奥村少兵衛
         |
         |一、今日、大坂へ罷上候御船頭野間惣兵衛ニ、寺嶋主水方へ加々山主馬ゟ、御用之儀被申上文箱相渡
         |  申候、中ニ 御書ともゝ有之由也、
         |一、金守形右衛門尉、今日江戸ゟ被罷戻候、
         |一、今日、江戸へ被遣御鉄炮衆、西沢文右衛門与中村五郎兵衛・黒部吉兵衛与大野半兵衛ニ、江戸御
         |
         |  留守居衆へ被遣御書箱壱つ相渡申候、又、京にて、坂崎清左衛門方へ被遣 御書箱壱つ渡申候事、
         |八月二日、三日之双場、小判五十六両八分
江戸米ノ相場   |一、江戸上米、石ニ付、三十めノ内外、金一両ニ弐石、
         |  一、中米ハ石ニ付、廿七、八匁、小判ニ弐石一斗五升、
         |  一、下米ハ石ニ付、廿三、四匁、同二石三斗、
  大豆ノ相場  |  一、大つハ石ニ付、廿め、
         |  右之分仕候由、金守形右衛門被申候也、
幕府横目ヘノ音信 |一、豊後御横目衆へ為御音信、御小袖三つ入之箱壱つ宛被進之候、御使者ニハ宇野七右衛門以被遣候、
物        |  七右衛門所まて、御長柄衆両人ニ持せ、かちノ御小性原久介ニ持せ奉行ニ申付、遣候也、
         |                              〃〃
細工奉行ニ上田忠 |一、今日より、万事御細工奉行ニ上田忠蔵被 仰付候間、忠蔵被申付次第、御細工可仕旨、御細工ノ早
蔵任命      |  田才介ニ申渡候事、
         |  右之段々、黒木作右衛門尉ニ申渡候、

  

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■細川小倉藩(509)寛永七年・日帳(八月十九日~廿一日)

2021-03-06 06:48:36 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年八月)十九日~廿一日

         |                        
         |   十九日  加来二郎兵衛
         |
         |一、今日、江戸へ被遣御飛脚二人、内一人ハ国友半右衛門与竹嶋角丞、一人ハ竹内吉兵衛与牧野角左
         |  衛門也、但、中ノ遣銀遣、 御書相渡候覚、
         |  一、三斎様へ之御文箱一つ、一、町三右衛門・松野織アへ被遣 御文箱壱つ、一、戸田左門様へ被進御
         |    文箱壱つ、
         |  (忠広)
森忠広室歿スニツ |一、森右近様御上様御遠行ニ付、美作様へ御状被進候、御内慶安へ御状相渡、慶安所へ候ても、内へ
キ弔状      |  はいるましき由被 仰候、御使者ハ歩之御小性永屋二郎介ニ御文箱壱つ幷慶安へ被遣御状壱つ相
ソノ渡方     |     (森忠政)
         |  渡候、作州様はや江戸へ被成御下候ハヽ、慶安ニ渡、江戸へ可下と被申候ハヽ、一段能候、慶安
         |  も御供にて、江戸へ被参候ハヽ、御年寄衆へ渡可申候、但、江戸へ可相届候御状、此方之御使者
         |  ニ江戸持下候へとさへ不申候ハヽ、可渡置候、さもなく候ハヽ、江戸へ持下ルにて可有之と、
         |  (飯田)
         |  才兵衛被申候也、
         |   (青脱ヵ)
佐田青山ノ松茸  |一、佐田山ゟ、松茸百五十本持来候、休心を以上ル、
惣奉行日ノ印   |一、江戸へ之御飛脚、中之遣銀を相渡候処ニ、松ノ丸衆朝上り不仕ゆへ、我々日ノ印を仕、遣候、但、
         |  松ノ丸衆ハ急ノ目録仕立ニ付、朝上りハ不仕由、被申候也、
         |                                         (更紗)
長崎ヨリ唐木綿等 |一、長崎ゟ、飛脚罷上候、唐もめん二包持上候、  一、天河もめん嶋二たん、 一、白キかあさもめ
来ル       |  ん一たん   一、うろこ木綿十たん也、
         |一、江戸ゟ御荒仕子罷下候ニ、江戸御留守居衆ゟノ状持下申候、御裏様衆も下り申由也、

         |                    
         |   廿日  奥村少兵衛
         |
忠利責馬     |一、今日は、北之御丸ゟ、御馬場へ御馬せめニ被成御出候事、
鉄炮足軽某道中ノ |一、井門亀右衛門与
岩成勘兵衛と申者、此比、江戸ゟ罷下候ニ付、 御前へ被 召出、道中之様子被
状報告ニ忠利ヘノ |  成御尋候処、御請能申上候ニ付而、歩之御小性ニ被 召加候、左候而、今度江戸御供可仕旨、被
応答宜キニツキ歩 |  仰出候事、
小性ニ引上ゲラル |

         |
         |       (ママ)                        
         |   廿一日
         |                                      (有吉英貴)(三淵重政)
長崎へ書状    |一、小谷忠二郎与作右衛門・新左衛門、永崎へ遣、我々状一つ、式ア殿ゟノ文箱壱つ、頼母殿・右馬
         |
         |  助殿ゟノ御状弐つ渡、遣申候事、
         |一、杉新右衛門尉、今日江戸ゟ被罷下候事、
         |
竹西堂船頭ニ賞与 |一、圭長老・竹西堂を、南喜右衛門舟ニ而、被成御上候ニ付、竹西堂ゟ、喜右衛門ニかたひら壱つ被
         |  下候由申候事、
忠利松井興長邸ニ |一、式ア殿へ御こほ殿御身廻ニ被成御座、直ニ御鷹野ニ被成御出候事、
こほヲ見舞ウ   |
鷹狩ス      |
       

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■細川小倉藩(508)寛永七年・日帳(八月十六日~十八日)

2021-03-05 06:53:53 | 細川小倉藩

     日帳(寛永七年八月)十六日~十八日

         |                        
         |   十六日  奥村少兵衛
         |
百姓成敗サル   |一、今日、築城郡本庄村之次郎助、御成敗被成候事、
         |                                (粟野) (加藤) (豊岡)
小倉家中規矩田川 |一、小倉御侍衆、規矩・田川両郡にて、竹木かい被申候分ニ、今迄ハ、伝介・新兵衛・甚丞加判被仕候、
郡内竹木買入ニ惣 |  余郡ハ左様無之由候、きく・田川迄左様ニ候て不入事候、今ゟハ、十郡なミニ、御郡奉行・山奉
積奉行等加判ス  |
今後は十郡並ニ郡 |  行相対次第売付可被申由、平井・小崎・岩下弥二右衛門二当而、切帋遣候、新兵衛・甚丞へも此
奉行山奉行相対次 |  通相渡候、一段可然由被申ニ付、右之痛ニ申付候事、
第トス      |
百姓成敗サル   |一、今日ハ築城郡之内本庄村二郎介御成敗被成候、 殿様も被成御出候、それゟためいけへ被成御
忠利ソノ成敗ヲ見 |                     (規矩郡)
而さゝいせニ出ル |  座、直ニさゝいせへ被成御出候、さ候て、赤坂にて御弁当上り候也、
木下延俊ヘノ返書 |一、木下右衛門様へ之御返書、林隠岐被持出候を、歩之御小性渡辺少左衛門ニ持せ、吉田縫殿所は持
         |  せ遣候事、
         |    (浅山)(田中氏次)
忠利惣奉行等ニ朝 |一、今朝修理・兵庫ニ 御前ニ而御食被下候事、
食ヲ饗ス     |                            (正慶)
溜池ニ禁札ヲ立テ |一、ためいけへ、人むさとはいらさる様ニ札を立候へと、加々山権左衛門を以、被 仰出候事、
シム       |
佐田青山之松茸  |一、佐田青山之松茸百弐本参候、則、上申候事、

         |                        
         |   十七日  奥村少兵衛
         |
         |      (宕)
         |一、田川愛岩山ニはへ候松茸之由にて、弐拾弐本壱籠差上候事、
         |     (亀右衛門)
江戸ヨリ飛脚下ル |一、江戸ゟ、井門与岩成勘兵衛・国友半右衛門与沼口新蔵罷下候、江戸を今月四日ニ立、大坂へ十一
ソノ行程     |                    (氏銕)
         |  日ノ夜着、松野織アゟ言上ノ文箱壱つ・戸田左門様ゟ文箱壱つ、江戸御留守居衆ゟ、我々へ之状
         |      (忠知)   (正俊)
         |  持下、小笠原壱岐様・久貝因幡様ゟ之御状も下ル、
         |                    去五月十九日ニ
本多政朝へ籠ヲ贈 |一、本多甲斐守様へ御乗物被進之候、江戸へ便宜之時被遣候、其前日之くれかたニ出来仕ニ付、夜中
ル        |                    〃〃〃〃
夜中ノ包装ニ蠟燭 |  ニつゝませ可申旨被 仰出候時、さふら火にてハミへ不申ニ付而、らうそく請取、つゝませ被申
ヲ要ス      |  候、松の丸衆かつてん不参、右之らうそく之請取切手ニ、うら判夫被仕候間、此方ゟ判形仕、遣
松ノ丸衆合点セズ |  候也、
         |   (忠政)
         |一、森美作様ゟ、御飛脚両人参候事、
             (長晟)
浅野長晟飛脚へ京 |一、浅野但馬様ゟ之御飛脚弐人に京銭四貫文被遣候を、歩之御小性永や二郎介ニ持せ、横田権佐迄遣
銭賞与      |  之、渡させ候事、

             〇十八日分 記載ナシ、

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