津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

百舌鳥の高鳴き・・・思案中

2013-10-08 19:21:54 | 徒然

 台風24号はどうやら熊本には影響なく通り抜けてくれそうだ。それでもあと二つ三つは発生の恐れがあるとかいうから、今年は安心できそうにない。
そういえば今年はまだ「百舌鳥の高なき」を聞かないような気がする。同居していた母方の祖母が、百舌鳥が鳴くとその年内は颱風は来ない」と言っていたことを思い出す。
ということは、百舌鳥も今年は何時頃鳴こうかと思案中ということか・・・・

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全行程11キロ・・我と思わん方へ御案内

2013-10-08 14:54:00 | イベント

                                詳しいことはこちらから  http://seinansensou.jp/

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忍者

2013-10-08 09:54:25 | 歴史

 十月の史談会の資料である「大矢野家文書」を読んでいる。天草五人衆の志岐麟泉を攻めあぐねた小西行長は、秀吉に泣きつき加藤清正の援助を乞う事に成る。
清正は「熊本舩付の河尻」に軍勢壱万余を集結させて、志岐ミなとまで五十余町を海路送り込んでいる。
加藤家の侍帳(時習館本)を見ると、船手として九人の名前が見え、その他船頭・船子747人が居たことが記されている。

そんな中で清正は忍者をつかって状況を調べさせている。
        「従り志岐忍者共帰来合戦躰注進す」とある。

同侍帳(時習館本)には、「九拾九人扶持 忍の者壱参人」とあり、戦いに明け暮れるこの時代にはまだその存在がたしかであることが判る。

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ちなみに細川家に於いても、侍帳「妙解院忠利公御代於豊前小倉・御侍衆并軽輩末々共ニ」によると、「忍之者」として七人の名前がはっきりしている。
ご子孫が居られると思うのだが、名乗りを上げていただけないものかと念じているのだが・・・・・ 

                       拾五石五人扶持     吉田助右衛門

                       同              野田喜兵衛

                       知行五十石        沢 吉右衛門

                       拾石二人扶持       福川小右衛門

                       同              松山小兵衛

                       同              下川嘉兵衛

                       同              上野又右衛門

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鷹狩について いろいろ

2013-10-08 07:16:49 | 論考

■ 享保期における放鷹制度の復活と鷹場環境保全体制

■ 下野毛氏鷹術伝承

■ 生類憐み政策下における放鷹制度の変容過程I

■ 鷹狩史研究文献リスト

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