今日は全く何をする気力もなく、かといってのんびりするでもなく、ただただ時間を浪費してしまった。
観葉植物に水をやり、まだ出されていないごみを出しに行ったり、使えるのか使えないのかわからない筆記用具の仕分けをしたり・・・・
三時ころから本でも読むかと思い立って、いろいろ手に取るがどれもしっくりこない。
准陰生(中野好夫)の「完本一月一話」、高梨健吉の「幕末明治英語物語」、加藤徹の「漢文の素養」、成瀬櫻桃子の「久保田万太郎の俳句」、「徒然草」、「方丈記」などぱらぱらとめくっては、数ページを読んでとっかえひっかえ・・・・数時間を過ごした。
夕食で中断した後、気に成る四文字熟語があったなーと思いながら、その熟語を忘れてしまった事に気づいた。
またそれらの本をひっくり返して探す作業に入ったのだが、とても思い出せない。ベッドの中でページをめくりながら、漱石の俳句についての本を読んだことを思いだした。高浜虚子の「回想子規・漱石」と半藤一利の「漱石俳句を愉しむ」である。ガバと起き上がって後者のページをめくった。
そしてようやく発見。漱石の俳句 馬に二人霧を出でたり鈴の音 という句の解説である。
「駆け落ちでもしたのであろうか。馬に乗って身を隠すように霧の中に入ったというのに、その霧の中から出てしまい、居所を知らせるように鈴の音さえしている」というのである。
半藤氏は「五里霧中の駄句」と、相変わらずの口の悪さで解説をしているのだが、五里霧とは「後漢書」にある言葉で、五里四方の霧の中にあっては方向が判らない、転じて「訳が分からなく困惑する」ことだと・・・・
五里霧中とは五里霧の中に在るわけで「ごり・むちゅう」ではなく「ごりむ・ちゅう」なのだそうだ。
一つ頭がよくなったし、この時間に成ってようやく気力を取り戻した気がする。
しかし、さっき読んだ本の事さえ忘れてしまう自分にいささか危険性を感じてもいる。