一、松兵助咄申候亭主は御使番勤居申候 兵助も心安く枕にて咄居申所去る小姓組参候ておれも草臥たと
てわきに有之亭主の枕を取申候かひさに敷申候所を起上り扨々おのしはうつけ者侍の枕を足に敷と
ておつ取申候 兵助も氣もつぶし起扨々そゝふ成事是を召れ候へとて平助枕を遣申候 先心安く候ても
枕を膝に敷申事大成誤り又亭主も短慮に候 扨々そなたはふしつけ成ると候 何そ枕に成候者遣候が
又何とそ申様可有事に候 兵助も扨も々々短慮男と申候 箇様成事多く候能々兼々工夫可有候 喧嘩口論
能き侍は不仕候 双方能仕候ても犬死と古人申候 主君に命上私の心儘にあほふをつくし能ク仕候の悪
く仕候とは誠に双方位に貮たとへたる事を熊澤・貝原など書置候書にも喧嘩犬にたとへたる事心付見可
被申候 未御入國前に奥田一残と申島原にて能 光尚御代五百石にて被召出御逝去以後何と存候哉知
行差上一残と改致法體白川長六橋向に町屋立居申候 同名文左衛門以前語被申候 拙者も右の通に存候
或時澤村宇衛門御家老の時林孫助是も五百石取御使番勤居申候能男振にて覺申候 右両人宇衛門殿所
にて外大勢咄居申所にて互に何かせり合申時孫助申は其方は一残と付被申たるは定て御幼少の
殿様御入國も被成候はゞ一命差上可申覺悟に見へ申候 餘り詞過たるぞと申候へば一残返答なく堪忍
仕居申候 孫助は以後阿曾へ御腰物被差上候御使者番に自分の刀に取替候て知れ申候故御暇被遣候 拙
者初江戸迄は神明邊に取賈仕乞食同前に成候由皆々咄たる衆にかくれ申由承候 如斯の大盗人も口き
ゝたるは口論抔様成事には先見事に見へ申候 大勇は申度事も控あの男相手には不足と存候へばいか
に々々々誤り申候 御免候へと少も々々心に懸申間敷候 木村長門守事具に見可被申候 九十九の鼻のか
けたる猿か一疋の鼻のかけぬ猿を笑申たとへに候 先頃三悦より状給申候内に天の見る事宣く候へば
人の善悪のとなへに叶不申共心に天道おそれたる古語書付被差越候 扨々尤如紙面萬事心つけ被申候
へば珍重存候 又幸右衛門先年西澤氏時に廿七日は古文右衛門忌日に文左衛門役も被除御暇も廿七日
拙者申ごとく祖父の罰を蒙りたるとの事拙者へ被申候 扨も々々拙者は覺不申候に尤と存被申候か心
付られ候事唯今少も失念不申又傳右衛門御留守番に参候内紙面にて方々御使者勤申刻拙者御供にて
定て此通を通りたるかなとゝ心付たる紙面にて早江戸の勤致安堵候 他人にても一言一筆の事にて心
付候へば大形十に八九ツは如察候 八十に餘り數十年の事覺申候 随分々々隙に古人の傳に心付可被申
候 尤聖賢の書物見申候ても拙者式文盲故中々わけ如兼申候 近く熊澤・貝原書たる物先見よく候 各心が
け被申候へば幸之助・傳次幼少より尚々能成可申候 随分心懸可被申候候忠孝に成可申候