津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

第四回西南戦争遺跡めぐり 歴史絵巻ウォーキング大会

2012-09-12 13:48:11 | 熊本

                                        http://seinansensou.jp/event.html

                    全長12キロというのに少々ビビッてしまいますが・・・・お元気な貴方、ぜひ参加されてみたら如何ですか?
                    私は4キロ散歩も小休止という有様ですから・・・無理ですけど・・・・
                    もし参加されましたら、レポートなどお寄せください。 

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南関番所役人 久野次郎左衛門について

2012-09-12 13:22:54 | 熊本
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朝から江津湖散策

2012-09-12 11:34:27 | 徒然

 昨日の大忙しは深夜に及び寝たのは二時過ぎとなった。今朝は六時半に起きて書類をチェック、九時前に役所に出向くが担当者は午前中お出かけ、机の上に書類を置き連絡をお願いして退散する。A家の先祖附をコピーしようと図書館に向かうと、開館まえである。しばらく裏手の江津湖を散策する。釣竿片手に魚籠を下げた人がこられたので、釣果をたずねると2-30匹ほどのハエがつれている。一時間ほどでとのことだった。
川底がみえる水深わずか40センチほどの清流は水前寺公園から流れ下っている。わが幼少期の思い出がいっぱいの場所である。

開館と同時に20人ばかりの人が駆け込んでいく。私は目的の三階・郷土コーナーへ急ぐと、なんと一番乗り目的のコピーをとって20分ほどで早々に退散、10時すぎ帰宅と相成りさっそく読み下しにかかる。
早起きは三文の徳というが、いささか疲れが残った身体もおかげですっきり・・・・良い天気で今日も暑くなりそうだが、風が涼やかでこれはもう秋である。

 

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只今読書中「忍者の生活」

2012-09-12 07:35:27 | 書籍・読書

 生活史叢書2 山口正之著の「忍者の生活」を読んでいる。
これは肥後金春流の中村勝様からお借りしたものだが、中村家の祖は中村一氏、更に遡ると甲賀の忍者に行き着くとおっしゃる。
「ぜひお読みなさい。面白いですよ」との事にお借りして読んでいるのだが、なかなか面白い。「忍者」と簡単にひとくくりにされてしまうが、まさに武術に長け戦術に長けた武装集団であることが判る。アカデミックな一面、硬軟入り混じった佳書である。 

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本日大多忙に付き

2012-09-11 16:34:17 | 徒然

 本日は多忙を極めています。準備の原稿もなく・・・・お休みとさせていただきます。

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辰ノ口周辺の諸家屋敷

2012-09-11 08:54:37 | 史料

 寛永九年の大名小路周辺の絵図である。まさに細川家、加賀前田家そのたの屋敷が消失した時代のものである。
左から火元の松平新太郎(池田光政)邸、中央が細川越中守邸、右が松平肥前守(前田利長)邸である。

           池田新太郎  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%85%89%E6%94%BF                           細川越中守  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%BF%A0%E5%88%A9
           松平肥前守  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E9%95%B7

この時期細川家はまだ豊前小倉藩主で禄高からして、池田・前田家に比べると格下の感じが藩邸の大きさからしてよく理解できる。
もっともこの絵図ができた時期細川家は54万石の太守となった。

この絵図は「 武州豊嶋郡江戸庄図」によっている。全体像は http://www.chuo-kanko.or.jp/knowledge/maps/01.html をごらんいただくと、拡大してみることができる。大名小路の下方にあたるブロックは現在の八重洲にあたるところだが、この時期は其の名の通り海に近く、船付き場がたくさん見受けられる。寛永九年の火事は海風が影響しての延焼ではないかと想像できる。この火事についての記録があまり見受けられず、どんな範囲に広がったのかが良くわからないでいる。

細川家竜之口邸は上図の如く敷地が狭く、この後隣の敷地を取得して建築が為された。それでも狭いため御成屋敷としての造りができず、先にご紹介した将監橋際に建設する下屋敷を整備することとなる。細川家御成屋敷(芝下屋敷)

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御恵贈御礼

2012-09-10 11:41:30 | 徒然

 「地震の間」をいろいろ調べている内に、加賀前田家の本郷上屋敷にあったという「地震の間」のことが知りたくなり、北国新聞の記事でお見受けした加賀八家の横山方子様に図々しくお手紙を差し上げ、ご教示をお願いした。
ご丁寧なお手紙と共に諸資料を拝受したので、ここに謝意を表してご紹介する。
     ■三壷聞書   該当項  http://books.google.co.jp/books/about/%E4%B8%89%E5%A3%B7%E8%81%9E%E6%9B%B8.html?id=5gQeywAACAAJ&redir_esc=y
     ■石川郷土史学会々誌 第四十四号抜刷 横山方子氏著 「金沢に生きた小堀遠州」
     ■歴史・時代読切 加州 金城 さくらざか十二 櫻坂
     ■江戸御上屋敷御絵図  一部分コピー
     ■(財)北国総研発行 北國TODAY 
     ■ その他

また石川郷土史学会会員で「佐久間会」の会員でもあられる吉原実様にはお手数をお掛けした。併せて御礼申し上げる。
吉原様を通じて「佐久間会」会長・佐久間凡雄様が発行された御著をお送りいただいた。佐久間様・吉原様に深く御礼申し上げる。
     ■『四代茶会記』『今井宗久茶湯書抜』抜粋 

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加賀前田家・辰ノ口邸

2012-09-10 08:13:51 | 史料

 加賀前田藩の話である。本郷の東京大学が加賀前田藩の江戸上屋敷であることはよく知られるところだが、ここは元々は下屋敷であり、上屋敷は辰ノ口に在ったのだそうな。細川家同様寛永九年十二月の末、火事で消失している。その後本郷邸が上屋敷となったという。
金沢の横山様(加賀八家)から頂戴した資料には、その経緯が次のようにある。

                   辰ノ口邸
                   江戸に在った加賀藩邸。辰口はまた竜口に作り、江戸城和田蔵門外の汎称である。
                   初め慶長十年徳川家康、前田利常にこの邸地を与え、利常は父利家が豊臣秀吉よ
                   り得た伏見城の殿閣を移して建築したと伝える。これ即ち加賀藩の当時の上屋敷で、
                   元和三年五月十三日徳川秀忠が利常の邸に臨んだ時の旧記に、初めて辰口邸の
                   称を用ひられる。後利常・光高共にこゝに住んだが、寛永九年十二月廿九日備前侯
                   池田光政の邸から出火して延焼した為、利常は本郷邸に在って工事を指揮し、十年
                   冬に至って竣成した。因って十二月五日光高の新夫人はこの邸に入輿し、その子綱
                   紀も亦二十年十二月十六日を以てそこに生誕した。明暦三年正月十九日小石川か
                   ら火を発して、辰口邸再び類焼の厄に罹つた時、綱紀は難を本郷邸に避け、同年三
                   月この邸地七千五百歩を幕府に納め、幕府はこれを甲府侯徳川綱重に与へた。爾
                   後屢変革があり、終に小倉侯小笠原氏の居る所となつた。

                    http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/josetsu/2007_12/case2.html 
                    http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Kaga/00/000500.html

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加賀前田藩上屋敷--地震之間 (二)

2012-09-09 15:50:05 | 史料

先に 加賀前田藩上屋敷 - 地震之間 を書いた。建物の位置がわからないまま、新聞に登場されていた横山様にお手紙を差し上げた。金沢在住のY様のお口添えも頂き、資料などもお送りいただきその位置を確認することが出来た。三四郎池(心字池)のすぐ南に位置している。東大生諸氏は「地震の間」なるものの存在もご存知ではないだろう。由緒ある加賀藩前田家上屋敷についても、少しは勉強していただけると有り難いのだが・・・・

        

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二の丸御館 絵図(二)

2012-09-09 10:02:51 | 史料

 
この絵図は細川齊護室・顯光院、齊護長男慶順室・鳳台院、喜久姫(帰国前死去)などの肥後帰国のために、文久元年(1861)九月十一日から増築整備が始められた折のものである。
図面下部が道路である。御門は道路には直接面しておらず、敷地内通路から入るようにしてある。陰陽道に於ける巽(辰巳)の方向を「陽」とすることによる配置かと考えられる。南(図面下部)にあった石垣が、現在熊本市立博物館のアプローチ部分に残されている。

  

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第七回・お守り刀展覧会

2012-09-08 15:01:09 | 展覧会
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二の丸御館 絵図(一)

2012-09-08 09:01:28 | 史料

 現在の刑部邸がある辺りである。上が北、島崎・花園地区を眼下にし金峰山や本妙寺(加藤清正墓所)を遠望できる場所である。
北側は崖となっており、高低差は12メートルほどもあろうか、二本の急勾配の通路が描かれているが、現在は見受けられないのではないか・・・・・
この絵図の時期は細川義之助・良之助兄弟の住居として使われている。 

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二の丸御館

2012-09-07 11:19:26 | 史料

 昨日送られてきた、(財)熊本城顕彰会発行の季刊「熊本城」復刻第八十七号には、「熊本城の歴史と探訪」第二十五回として、「二の丸(六)古京町(二)」がA4判4ページに亘り紹介されている。

ここでは「二の丸御館」のことが紹介されている。現在の刑部邸があるあたりだが其の範囲は東側に少し広かったらしい。
この場所には元々は細川内膳家の屋敷があった。細川齊護は隠居すると、本山に屋敷を建てる。文政三年三月に完成するが、どうやらこの屋敷はお気に召さなかったらしく、文政七年(1824)内膳家を立退かせてこの場所に「二の丸御館」を建設する。
本山の屋敷は非常に寒かったからだとされるが、私はこの屋敷で生まれた末娘・耇姫(コウ 文政六年二月十四日生)を思ってのことではないかと密かに考えている。文政九年十二月廿三日に新築なったこの二の丸館で亡くなっている。島崎・花園地区が遠望できるすばらしい場所だから、耇姫もその景色を堪能したことと思われる。
建物は本山から引きなおされたという。内膳家は牧崎(本妙寺下)の屋敷地をたまわり以降「牧崎内膳家」と呼ばれている。

二枚の「二の丸御館」絵図が残されているが、(1)は長岡義之助(護久)・良之助(護美)兄弟が入った折の屋敷図だが、天保十四年(1843)九月末に入居している。(2)は文久元年(1861)九月細川齊護室・顯光院、齊護長男慶順室・鳳台院肥後帰国のために整備された折のものである。
追ってご紹介しようと思っている。
さきの 「二の丸(六)古京町(二)」によると、西南の役(1877)の時期まで残された建物の写真が紹介されている。
約50年のこの建物の歴史は、幕末期の慌しい世の移ろいと共に生きたともいえる。

 

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花畑邸・地震之間 其の二

2012-09-06 11:02:13 | 史料

先に 花畑邸・地震之間 をご紹介したが、彩色の全体図を見たいとのご要望があったのでご紹介することにした。先のトレス図はこの絵図によっている。

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和本の海へ 豊饒の江戸文化

2012-09-06 08:24:34 | 書籍・読書
       和本の海へ 豊饒の江戸文化 (角川選書)
 
              角川学芸出版

内容紹介

江戸の武士から庶民までの生活を人々の愛用した和本から読み解く。江戸文化の様々な局面を、動物、賭博、易占、言葉遊び、印譜、春本、武家作法などの和本から照射する。豊かな江戸を見つめ直すための格好の案内書。

 

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