綿考輯録(巻60-P242)に寛永拾九年十二月九日「三宅藤右衛門・新兵衛・左京ニ御合力米被下候留書」がある。
覚
一、米九拾石 三宅藤右衛門
一、同三拾六石 三宅新兵衛
一、同拾八石 三宅左京
右之合力米毎年可相渡者也
寛永拾九年十二月九日 御印
奉行中
考ニ、三宅藤右衛門兄弟今年御国江被召呼候なるへし
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細川忠興
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明智光秀---+--ガラシャ
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+---女
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出雲---弥平次(明智左馬助)---藤兵衛---+--藤右衛門---+--藤兵衛---・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(平太郎家)
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| +--伊兵衛
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+---徳助重信
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+---加右衛門重豊
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+---新兵衛重行---新兵衛---九郎兵衛重房---権兵衛---・・・・・・・・・・・・(新十郎家)
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+---庄之助(左京?)
新兵衛重行の曾孫にあたる権兵衛のお墓が思いがけないところで発見された。
旧家A家の敷地内においてである。発見者のT先生にお願いして、ぜひとも拝見したいと思っている。
どうやら単独のお墓ではなく数代にわたるものらしい。三宅家の知行地は玉名であるといわれる。
まさにその玉名なのだが、謎解きをいろいろしないといけないようだ。