~~「鹿嶋春平太チャーチ」にようこそ。
本日は斉藤さんからいただいていた「聖句の探求」に関するコメントを、ここに転載させていただきます。
なかなか考えさせられるコメントですね。





春平太先生
聖句を探求する姿勢、方法を明確にしていただきありがとうございます。
前提として、聖書という書物全体に、創造主の発信したメッセージが織り込まれているという「信頼」がなければならないということがよくわかりました。
「信仰」というより、むしろ、日本語だと「信頼」の方が近いという指摘も納得できます。
+++
創造主への「信頼」はもちろんなのですが、わたしは、もう一歩進んで、すべてを大いなる仮説と考える姿勢もあるのかなと考えています。
聖書には、創り主の発信したメッセージが詰まっているという仮説に立って、それの検証を進める態度です。
つまり、聖句の探求は、仮説を立証するための検証作業ということになります。
不完全な形で随所に埋め込まれている聖句を、聖書のあちこちをひっくり返しながら拾って、つき合わせて、創り主の伝えようとしたメッセージ、真理の全体をつかもうと試みる作業ですね。


なにやら、思考実験とも、論理思考トレーニングとも、壮大な推理小説を読むようなイメージともいえるでしょうか。
~~とても健全で、かつ知性活性化に有効な試みになると感じます(鹿嶋)。