鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.12 「この先永遠・・・」と意識してみる

2006年02月04日 | 永続確信のための聖書解読



みなさんこんにちわ、鹿嶋春平太です。
今日もいいことありますよ。

聖書は永遠の世界においても、この世においても、人間をしあわせにしようとする本です。

仕合わせの聖書論理、第12回です。


               



 先回、日本は無情意識が美感にまでなって、人々の心に深く定着している国、といいました。
でもそういう中で、もしも聖書の教えの基盤にある「永続確信」を身につけられたら、どうなるか。
計り知れないジョイと仕合わせ感をその人にもたらすでしょう。

ではこれを持つことをどうやって「助け」たららいいでしょうか。


               



その方法を結論から言いますと、まずとにかく聖書を教える際には「永遠」ということを感じさせるステップをとる、ということでしょう。

牧師さんの場合は、教会に来た人に、「この先永遠・・・」と意識してみましょう、といいます。
おそらくある程度うまくいった人は「気が遠くなったような」感じになるでしょうね。
「ボーとする」といったらいいかな。
そういう感覚になる。

でも、この体験は貴重なのです。
それは「生きる感覚」を変えますよ。
生活感覚が、これによって大きく変わるのです。


               





唐突なようですが、パチンコの話をします。

もしこれを体験したら、「パチンコに行きたい」という切迫感は減少するでしょう。

パチンコというゲームは、「どうせ死んでおしまいではないか」という意識から逃れたいというのがその根底動機になっています。この意識をうまくやり過ごすすべの少ない庶民、ジョイをうまく得られない庶民が、パチンコに逃れようとするのです。

 パチンコ業界の年間売上高は、しばらく前までは17兆円、とかいっておりました。ところがその後24兆円になり、いま30兆円といっています。

 この額がいかに巨大かは、広告業界の年間売上総計が6兆円であることと比べたらわかります。

 テレビをはじめとして、毎日のように多くの広告が流れていますよね。テレビのゴールデンタイムに15秒ポットを東京・関東地区で放映される局から流すと、一回105万円ほどかかるそうです。これが一日に数え切れないほど流れていますよね。

 でも、そうした広告費を一年分総計しても6兆円です。これで広告業界・民放業界の人々は、高給で派手に暮らしています。これからして、30兆円という売上げがいかに巨大かがわかるでしょう。

 ということは、庶民はそれだけ、パチンコ業界にお金を注ぎ込んでいるということです。今のパチンコは、1万円くらいはあっという間になくなるシステムです。それほどギャンブル性が高くなっているのです。こんな風に変わってきているのに、その営業が規制されていない。

刺激が強いです。それで、家庭の経済的破綻に至る例は非常に多いです。奥さんが病みつきになって、サラ金にお金を借りて家計を破綻させる。これによる離婚や家庭破綻もとても多いのです。

でも「この先永遠・・・」と意識する体験を持てたら、たったそれだけのことで、
パチンコに魅了される意識が、急速に減退します。


               



 またこれは「アリガト運動」や「感動!運動」や「陽気暮らし運動」の何倍も深いジョイをもたらしてくれます。
どうしてか?

 第一に、「この先永遠・・・」と意識する体験は、アリガト運動になどよってジョイをうる方法を、「完全化した」技法だからです。それはジョイを得るに障害となっている根底の意識「死んでおしまい」の意識を組み替えてしまいます。

 アリガト運動は、そうした根底意識には手をつけないで、それはそのままにして行う、ジョイ獲得の代用運動なのです。


               


 第二に、この体験は人間の知性を活性化します。
代用運動というのは、根底的に知性を「眠らせる」ことによって、ジョイを得る手法です。だから、人の知性・理性はあまり育たないのです。

 対して、「この先永遠・・・」という体験には、後にそれを確実にする理論が準備されていますからね。人間は永続する、という理論がある。これが福音の強みです。理論武装できる。

 そうやって理論を深めていくのは知性の仕事ですからね。
「死んでおしまいでない」という理論を、知性が習得したら、もう知性を眠らせる必要がありません。
代用運動とは反対に、どんどん活動させることになります。
だから、ブレーキをかけられていた知性が、エンジン全開で走り出すようになるのです。


               


 この出発点が「この先永遠・・・」というという思いを持ってみるというステップです。
この体験がないと、「人間は永続する」、という理論への習得欲求がわきません。
欲求がわかない状態で、聖書講義されたって、空回りするだけなのです。

でも、日本人は、普通の状態ではこの意識を体験することがなかなか出来ないのです。

なぜなら、無常意識が生まれてこの方心の底にしみこんでしまっていますから。

日本ではほとんどの文化がこの意識をベースに作られています。
そのなかで幼いときより育っている我々は、なかなか、「永遠」の意識になってみることが難しいのです。

そこで、その体験をするのを「助け」ます。

          
               


さあ、聖書に信頼を置く方々、まず、あなた自身がこの思いを体験してみてください。
「この先永遠・・・」と意識してみてください。
まもなくあなた自身が変わったことを、体験されるでしょう。

そして体験されたら、あなたが宣教する際にも、そのステップをまず踏ませるのです。
それが日本人に、障害なしの仕合わせ感をプレゼントするでしょう。
これが人間の精神を爆発的に活性化していくのです。


               


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする