鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.164『肉体のいのちは愛しても、失うことになるよ』(12章)

2006年08月01日 | ヨハネ伝解読
~~「ヨハネ伝」続けます。
前回の聖句に続いてヨハネが書き残したイエスの言葉が、本日の聖句です。
 
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=聖句=
 「自分のいのちを愛するものは、それを失います。
この世での自分のいのちを憎むものは、永遠のいのちを得ることになります」(25節)
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意味深くも難しい言葉ですね。
だが、人間を肉体と霊からなっているとするイエスの思想を踏まえると、その論理がわかってきます。

 肉体はこの世でのものです。そして、循環運動が止まったら腐り、崩壊します。
つまり、死んだら消滅するわけです。

 他方、霊はこの世でも肉体のうちに存在している。そして、実は人の意識の本体になっています。
また霊は、肉体が死んでもそれを抜け出て意識体として永続します。
そして、霊が創主の発する意識波動と共鳴するような意識を持つと、
そのなかには“いのち”というエネルギーが永遠にとどまります
~~こういう思想が本日の聖句の基礎にあるのです。

               


 ここで「自分のいのちを愛するものは」という言葉の中の「いのち」は、この世での肉体のいのちを言っています。
そしてそれは「愛してもいずれ失う」ものなのです。死んだら肉体は無くなりますからね。

 他方「この世での自分のいのちを憎む」とはどういうことでしょうか。
憎むという言葉が強烈ですね。憎まないと永遠のいのちに至れないのか、と思ってしまう。
しかし、これは前の「愛する」と対比させて言っているものにすぎません。

 肉体のいのちを、霊のいのちよりも「軽視する」という意味にとっておいていいと思われます。

               


 今、イエスは自らの肉体のいのちを、人類のために与えようとしています。
これからそれを実行に移すに際して、弟子たちに肉体と霊に関する真理を述べているのですね。

 「肉体のいのち」も大切でないことはないけれど、それ以上に「霊のいのち」を重視することが、
霊に永遠のいのちをうるために必要なんだよ、と教えています。

               

この人間観、人間構造観を知ったら、苦しみから一挙に解放される人々が日本には沢山いるでしょうね。
たとえば鬱病で苦しむ主婦の方が急増しているそうです。
聖書の人間観からすると鬱というのは、心(意識体、霊)の「いのちエネルギー」不足から来るもの、となります。
(いのちエネルギーが増えたら理屈抜きにジョイがやってくるのです)

実際、鬱と言っても、症状は無気力状態になるのが多いようです。
ごはんを炊くために米を洗う気力も起きない、といったように。精神エネルギーの欠乏状況ですね。

これに対して、「きょう出来た小さなことで自分をほめてあげましょう」などという療法をしてるようですけど、
表面的な症状対処法ですね。これでは鬱病の急増に歯止めをかけることは出来ません。

(エンジンが弱ってしまって、トロトロしか走らなくなった車の持ち主に
「ここではこうハンドルを切って・・ここでは・・・」と運転指導してるようなモンですからね。
エンジンのチューンナップをしてあげなきゃ・・・)

根っこのところを解決しないと・・・。聖書は原因を明確に提示するだけではありません。
その解決法もはっきりと提供してくれるのです。


聖書の人間構造観を知ることです。すぐには「信頼の置けるもの」と思えなくてもいいですから、とにかく知ることです。
そういう理論がイメージの中に出来るだけでも、意識に新しい方向が出てくるのです。

福音は、死後の幸福だけに関するものではないんですね。
今のこの世の人生で、苦しみ、問題を根底から解決するパワーを持ったものです。

だが現状では「道徳的に縛ってくる」教えだという漠然としたイメージが先に来るんですね。
惜しいですね。どうやったらこれを日本人の意識から取り除くことが出来るんでしょうね。

               




コメント (19)
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