~~「ヨハネ伝」今回は死を前にしたイエスの祈りの言葉です。
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=聖句=


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イエスはさらに弟子たちの前で大声で祈った~~とヨハネは記しています。
「父よ、あなたの名に栄光が与えられますように!」(28節)。
すると天から声が響いてきました。
「私は栄光を与えてきたし、これからも栄光を与える」

ここでいう「あなたの名」すなわち「父なる創造主の名」とは、具体的に何でしょうか?
クリスチャンの多くは、具体的に何かを考えておりません。漠然と「エホバだろうなあ・・」と意識している程度です。でも、それだと他の聖句との繋がりがあまりつなないようなので、なにかはっきりしない。で、漠然とやり過ごしているのが実情ではないでしょうか。
これを解読させてくれる手がかりは、17章にあります。詳しくはそこで考えるとして、ここでは結論のみを記しておきます。
ここでイエスが「父なる創主の名」というのはイエスです。「エホバ」ではありません。すると「旧約に出てくるエホバは何だったのか」、という疑問がわくでしょうが、この解読も根気の要る一仕事です。これについては、このヨハネ伝の解読が一通り終わった後、考察したいと思っています。
そういうテーマは他にもあります。ユダは何故裏切ったのか、というのもそれです。これについてはこれまでにも鹿嶋の見解を若干述べてきましたが、本格的に考えると長くなります。後でまとめて述べるべきでしょう。
他にもあります。「ペテロは本当にイエスを裏切ったのか?」というのもそれです。鹿嶋は裏切ったのではない、という解読をしています。だが、これも長くなりますので、後に補論的に示します。

読者の多くは驚かれるでしょうが、もう一度結論のみを言います。
~~ここでイエスが「あなたの名」といっているのは「イエス」です~~
父なる創主はその名に「栄光」を与えてきたし、これからも与える、という。その栄光とは力であり、いのちエネルギーであり、創造の光であり、栄誉であります。(それについてはVol.116で申しましたが、ここでは、力に重点を置いて理解していいでしょう)
要するに父なる神は「これから、驚くべき創主の力を現す」というのです。それを「イエスという名に対して」現す、という。それでイエスという名にますます栄誉が加えられるという論理です。
この解読によって、新約聖書のその後の論理がみんな筋が通ってきます。そうしないと通りません。通らない解釈をしているのだから、多数のクリスチャンは本日の聖句を漠然と受け取るしかない状態で今日まで来ているのです。
