鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.170『この世は悪魔の支配下』(12章)

2006年08月25日 | ヨハネ伝解読
「ヨハネ伝」にもどります。
12章の終わりまで続けて、また他の話題に転じようと思っています。
(本文を開いて、図が大きすぎる場合は、開く前に図だけをクリックして見てください。)


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=聖句=
 「いまこれからはこの世が裁きを受ける時です。この世の君が追い払われます」(12章31節)
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 12章30節で、雷のように天に響き渡った声を、イエスは「この声は私のためでなく、あなたがたのためのものだ」といった、とヨハネは記しています。

どういうことでしょうね。イエスはこれを、「私を元気づけるためのものではないよ、諸君がこれから起きていくことを納得できるように諸君の耳に聞こえるように示されたものなんだよ」と言っているんではないでしょうか。であれば、これも「しるし」すなわち奇跡的な出来事ですね。「奇跡」は、見えない世界のことを受け入れやすくするものですからね。

                 


 本日の聖句はその次です。ついでイエスはこう言っています。「今この世が裁かれるときがきた。この世の君(支配者)が追い払われます」と。

 突然何をおっしゃいますか、死を前にして思考が飛躍しちゃったのですか!・・・とも言いたくなるところですが、実はこれは聖書の物語の基底に横たわる大前提を踏まえた言葉です。聖書には暗黙の大前提がある。それはこの世は暫定的に悪魔の支配下にあるという思想です。その、通常は暗黙になっているところを、イエスは明確に言葉にしたのです。

 ここからイエスの教えは、一段と深く、霊的な領域に入っていきます。

                 


 ここで「この世」とは我々の通常言うところの宇宙が対応しています。図に見るように宇宙は天の創主王国の一角につくられた暗闇という思想です。創主から与えられた職務に「背いた天使」がいた。創主は「暗闇の空間」をつくり彼らはそこに追い落とされた、というストーリーが聖書には埋め込まれているのです。時期的には聖書の「創世記」の冒頭に記された出来事以前の話となります。

 このあたりについては、春平太の著書にある「聖書の空間理念」をご参照下さい。ここでもその図を冒頭に出しておきました。どういう論理でこういうイメージ図になるかは『誰もが聖書を読むために』(新潮選書)をご参照下さい。

 ともあれ、その暗闇に、「背いた天使」の長とその部下たちは追い落とされるのです。そして、裁きの時までそこに閉じこめられている、というのが聖書の思想です。

                 


 その天使長は創主に反抗することによって悪魔に変身(その構造は後に述べます)しています。これが聖書におけるサタンのイメージです。彼は反抗することによって、創造主に刃向かう性質を持つように変質してしまっているのです。

 だが、その性質はまだ具体的に「刃向かう」行為となって表に現れてはいません。証拠は出していない。創造主は「理」と「義」で行動する方ですから、被造物を裁くにも、筋道だった方法でしか行えない道理です。

 だから現段階ではサタン天使は容疑者です。そういう容疑でもって、悪魔と彼に従った部下の天使たちは牢屋に閉じこめられているのです。そしてこの牢屋が宇宙(世)、という論理になっています。

<牢名主は牢の中の支配者>

 悪魔は、その裁きの時までは、そこでの牢名主です。牢名主は牢屋の中では親分です。彼は牢名主として認められた資格の範囲でもって、この世(宇宙)の中で君臨しています。だから「世の君」なんですね。

 このあたりは創主も容認しているという論理です。しかし、その牢を含めた全てを究極的に統治するのは、創造主です。牢の中でのこと以外では悪魔の支配権は通用しません。また、牢の中でも、究極の王様である創造主やその御子には彼の支配権も通用しません。

 そういう状態で、悪魔は一時的に牢名主としての振る舞いを認められている。その中に、創主はどういうわけか人間を創っているんですね。だから、人間も彼の支配する世界の中にあります。

 でも、罪を犯す(創主から意識をそらす)以前には、悪魔も人間を支配の下に置くことが出来ませんでした。アダムとイブが罪を犯してからは、悪魔の支配権の中に入って、蹂躙されうる状態にある、という風景です。

 で、そこにいま、人の姿をとった御子イエスが来ている。~~これがこの12章の時点での聖書の持つ世界構図なのです。福音書の話はその基本枠の中で展開しているのですね。

                 


 なお、「この世の君が追い払われます」については、後に解読します。君というのは君主、すなわち、支配者と言うことですが、これが追い払われるというのはどういうことかを言うには、少しスペースが必要になりますので。

                 
コメント
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