
前回、洞察家の洞察は、教会では通用しない、という主旨のことを申しました。
しかし、これでは夢も希望もない、と感じられる方もおられるでしょう。
洞察に価値を認める方ですね。
この方々に、追記しましょう。前回の話は一般論です。例外もあります。
洞察家は少数派ですから、彼の「深読み」に賛同する人は少ないです。
しかし、それでも彼が「この指とまれ」と手を挙げたら、とまりにくる人もいます。
少数ですけれど。これで小さな教会が出来ることはあります。

さらに、例外があります。それはこういう教会に癒しなどの「しるし」が現れたときに起きます。
指導者の「深読み」が聖書に約束された不思議につながることもあるのです。
そうすると小集団はブレークします。
しるしが彼の解読を正しいと信頼させるのですね。で、突然多数の人がその「解読」を聞きたくて参加してきます。
かつてのオーラルロバーツさんの教会がそうでしたし、今のベニーヒンのフロリダにある教会もそうでしょう。
ベニーのこの教会の会員数はジャスト8000人といいます。
少ないようですが、これ以上は教会員として面倒みられないので、これで止めていると聞いています。
後はクルセードにどうぞ、ということでしょうか。
この精鋭8000人が、ベニーやその家族の生活を支えているそうです。
で、彼が行っている「癒しのクルセード」活動は、別の財団として行われているようです。
母教会が彼の生活を支えるので、クルセードの活動は純粋に伝道活動として、ベニーは思い切って出来るわけですね。
ベニーがここで行う説教は一部テレビでも見られますが、彼独特の「深読み」がどんどん出てきます。

しかし、彼の活動が全世界的にテレビ報知されるようになっていながらも、
彼を非難する人々の方が福音世界全体からしたら、圧倒的に多数派です。
そもそも、聖句を自由に探求していい、という立場で活動する教会が少ないですから。
バプティスト派とメノナイト派、それにペンテコステ派くらいではないでしょうか。
あとは、教団からの統一解釈(教理)を信徒に与え、信徒はそれに従うという方式の教会ばかりです。
その類の教会では、教会本部から天下された解釈と異なった解釈は、
自動的にみんな「異端」ということになります。
その一つである教会~~カルヴァン派の教会ですが~~の牧師さんなどでは、
「オーラルロバーツ、ベニーヒンなどはもう異端もいいところ」となります。若い牧師はボロクソに言っています。
またこの教派の退役牧師さんの会に出させていただいた時に、
ベニーヒンに対してほとんど憎悪している人々の声を聞きました。
でも、その方々も、いい人なんですよ。親切で・・・。春平太など、本当にお世話になりました。
・・・これが「世」なんですね。
「人間話せばわかる」なんて大嘘、と述べた「**の壁」という新書本が日本でもベストセラーになりましたが、
本質を突いているからでしょうね。
教理主義の教会だけではありません。
かのバプティスト派の教会信徒さんだって、春平太の知るところでは大半はベニーを「異端」と位置づけていました。
聖句主義からは異端という言葉は出てこないんですけどね、本来。
ともあれかくのごとくに全体からしたら、オーラルロバーツ、ベニーヒンは相変わらず少数派です。
(前にも書きましたけれど、ベニーヒンの説教を全部コレクションして、
聖書と適合していない箇所を調べあげる研究所まであるそうです。
カリフォルニアにあると、電話番号まで教えてくれた人がいました。
訪問してませんけど、電話番号まで教えてくれるところからすると、本当でしょうね。
でも、暇な人々もいるもんですね。そんなヒマとお金があったら、他のことに注げばいいのに・・。
でもこの人たちは、真剣で、使命感に燃えてやってるんでしょうね)
世界にはいたるところに「**の壁」あり。こういう構造で世の中というのはなんとか回ってきているんですね。
これからもそういくものでしょうか。あるいは、ある時破綻が来るのでしょうか。
春平太程度の知恵をはるか超えた問題のようです。
