前回の続きです。
sさんの要望に添うべく、鹿嶋は必死に書きました。
自分でもびっくりな集中力・・・。
キーボードがカタカタ鳴り続け、ラフスケッチが一気に出来上がりました。
<あとは俺にはわからんよ>
前作の話という脇道に入ってしまったついでに、もう一つ脇に入りますと・・・、
後に鹿嶋はこの本を本業の師匠に謹呈送付しました。そして着いたころを見計らって電話した。恐る恐るに。
日本では多芸というのは警戒され、軽蔑される傾向にありまして、「これ一筋」というのが信用されます。
安心するんですかね。
演技しかできなくて、奥さんがいなくなったら家事もままならず生活できないという俳優さんを役者子供といいます。
学者子供というのもおります。
こういうのが信用、尊敬される条件でありまして、日本では本業以外の本を出すのはヤバイのです。
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ところが鹿嶋は若いときから色んな分野に興味を抱く傾向が強く、他分野で作品を作ったりしていました。
大学院の修業時代に、その一部が師匠の知るところとなって、こっぴどく叱られたこともありました。
「お前は才に溺れる傾向があるなぁ。それではお前、何にもものにならないぞ。そんなコトしてるのなら、俺はもうお前の面倒見ないぞ!」
面倒見られないんでは、大変です。
院生というのは無名ですから、師匠が保証してくれないと、職も得がたくなるのです。
そんなわけで、ほぼ完成しかけていた、別分野の作品を断念したこともありました。
そういう前歴もあるものですから、「お前、ちゃんと(本業の)研究しているのか?」と叱られそうな気がして、恐る恐る電話しました。
そうしたら「ああ、あの本か。最初の章が面白かったよ。すっ~と一気に読んじゃったよ。君は文才があったんだな」だって。
で、ホッとすると同時に調子に乗って「・・・で、後の章はいかがでしたでしょうか?」と質問してみました。
そうしたら「ああ、後か。俺にはわからんよ。ああいうことには興味がない」だって。
ホント、質問せねばよかった・・・。
<知的能力=集中力>
しかし「でも最初のところは一気に読まされたよ」と師匠は話を結びました。
会社での講演に呼んでくれた上場企業の社長さんにも、序章を読むと気持が「スカッとする」と言っておられた方がいました。
どうもあの序章は「食いつき」をよくする撒き餌としては、鹿嶋の能力を超えた出来だったようです。
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どうしてそんなことができたのか。後から考えましたところ、詰まるところは集中したことによるのではないか、という見解にたどり着きました。
人間が一時期に保有する精神エネルギー量には限度があります。
けれども、その出口を一点に集中して強く絞りますと、エネルギーはすごい勢いで対象に向けて噴射するのではないか。
すると見えないものも見えてくるし、それを表現する言葉も流れ出してくるのではないか。
そういう法則の様なものがありそうだ、といま思っています。
もちろんsさんの経験豊かな指導も不可欠でした。
この方は高村薫さんなど人気作家や評論家の櫻井よし子さんらを担当する花形編集者なのです。
こういう人がどうして鹿嶋程度の著者を担当してくれたのかは、今も謎ですが(天使が動いたのか)、とにかく一般読者が求めるものをよく知っておられた。
それを聖書などと言う、日本人に関心の薄い書物の話につなげるにはどうしたらいいか、を知り尽くしておられた感があります。
けれども、詰まるところの決め手は、書く当人の集中力だったと思っています。
あの時、書くべき言葉が列をなして目の前に浮上しましたから。
以来鹿嶋は、集中力が弱まったな、と思ったらすぐに休憩を取るようにしています。
でも、あの第一作の序章の時ほどの集中力は、もうなかなか出ないのではないかとも思っています。
(続きます)