
前回、最終の18章についての想い出を書きました。第1章で書いたテーマのいわば私小説版でした。結果的に同じテーマで前後をサンドウィッチすることになった。そのことから、この本が中核に据えている主題がわかります。
創造主という存在の、すさまじいエネルギーが世界を創っているんだ。創るだけでなくその後も働いているんだ。聖書は、それを伝えているんだ。これが著者の聖書解読の核心なんだ~~そういうことですね。(これが次作の『神とゴッドはどう違うか』に繋がっていきます)

今回は前に戻って、一番最初の序章のことを書いておきましょう。
鹿嶋は、通常1章から書き始めます。序章は後から付けるのです。付けるというより編集のsさんの指導で付けさせられる、というのが実情です。これについては、その前の本のことをお話しした方がいいです。
最初の本『聖書の論理が世界を動かす』は、sさんによって構成されたところが多々ある本でした。序章などは全くそうです。鹿嶋の原稿を始めて読んだsさんは、こんな批評をしました~~意外に真っ直ぐの本格派ですね。語り口調からするともっと飄々とした話をするかと思ったのですが、直球一本。変化はスピードを変えるだけでつけてますね。

言われて気がついたのですが、遠藤周作さんのキリスト教書物は変化球を上手に混じえていますね。この方は冗談・ごまかしを交えて人生送る関西のご出身ですね。鹿嶋は愛知の田舎者、トヨタ左吉の世界出身ですからね。言いたいことから愚直に書き始めるというスタイル。
で『聖書の論理が世界を動かす』は実は1章から始まっていました。これを見たsさんは、「これでは食いつきが悪いなあ、少し餌をまくか・・・」とかいって、1章の前に序章を付けることを要求しました。
そして、書く項目をずらずらっと並べました。まずこういう項目について、次にこういう項目について・・・と。鹿嶋が小見出し付けて書いている序章の項目は、実は全部sさんの指定したものでした。そして「一週間、遅くとも二週間で書いて送って下さい」と急に厳しい切り口上。

書きますよ、書きますよ。聖書に関する本を、キリスト教出版社でなく一般出版社から出してもらえるかどうかの瀬戸際ですからね。こちらも必死。わぁ~っと書きました。
(続きます)
