バイブリシストたちの聖句吟味活動は、教会関係者だけでなく、英国人民全般の精神・知性をも飛躍させた。
聖書思想の十全な吸収は、実際上、スモールグループ活動をとおして初めて可能になる。
日曜礼拝に出て、牧師の説教を聞いて、献金して帰ってくるだけの教会生活では、聖書の深いところはなにも身につかないのだ。
聖書の創造神は人民の一人ひとりに幸福を与えようという志向に満ちている。
イエスの十字架刑死もそのための働きとなっている。
その「全員を愛する」思想が、聖句主義活動を通して、初めて英国一般人民の心深くに浸透したのだ。
従来、欧州の社会思想でその幸福が考えられた対象は、有産・貴族階級の人間だけであった。
端的に言えば、庶民は彼らと同価値の「人間」ではなかった。
<経済学が始まった>
新しい思想はロックやヒュームら哲学者にも浸透した。
彼らは人民基点の国家論、統治論を展開した。
国王は彼らを迫害したが、読書階級にもそれを受け入れる姿勢が育っていた。
英国に「経済学」という新学問が現れたのも、それによる。
経済学は英国エディンバラ地方に住むアダム・スミスの『国富論』によって開始された。
だが、この書物の英語名は「ウエルス・オブ・ネイションズ(Wealth of Nations)」である。
直訳すれば、『諸国民の豊かさ』だ。
彼はそこで「各々の国の人民ひとりひとりの物的豊かさ」を実現する方法を問うている。
この新視野から次々に発見された理論知識をこの本に集積させている。
こうした視野は、聖書の思想を一定水準以上に深く吸収して形成された人間観によってはじめて産まれるものである。
そしてそれは聖句吟味活動がなかったら、現れ得ないものなのだ。
<新視野は産業革命も生んだ>
バイブリシズムの聖句吟味活動の影響は国家論、統治論、経済学といった知的・学問的世界に及んだだけではなかった。
財貨生産の現場においても一大革命を発生させた。
産業革命がそれである。
<作業の細分化、単純化、機械化>
産業革命とは要するに、生産が機械化されることによって、生産能力が飛躍的に上昇する事件をさす。
それは生産過程で起こされた一連の工夫の成果だった。
まず、作業の分業化を進める。
すると各作業は細分化され単純化される。
するとそれは機械に置き換えやすくなる。
そこに適切な機械を考案する。
そしてそれでもって、従来人の手で行われてきた作業を置き換える。
英国ではこういう事態が、生産現場のあちこちで、相互連鎖的に、まるで仕掛けてあった花火が噴火するようにして次々に発生した。
これを後世の人々は産業革命と呼んでいるのだ。
<繊維工業から開始>
工夫と変革は繊維工業から始まった。
紡績、織物の作業で機械化が進み、大量に商品が生産できるようになった。
だが、よくみると、このために必要な工作技術、すなわち冶金・金属工作などの技術は、既に遠くローマ時代にほとんど存在していたものだ。
英国で起きたのは、それらを全人民の生活向上の観点から新しく組み合わせていくビジョンの発生のみだ。
けれどももしそれがなかったら、生産者の視野は貴族階級の人間の快適な生活を実現することだけに占められていく。
そうすれば社会の生産エネルギーは、有産階級向けの精巧で芸術的な手仕事製品の生産にもっぱら向けられていただろう。
聖句吟味活動がかもしだす雰囲気によって、全人民の生活便宜、向上への願望が生産者の視野に入っていった。
軽工業部門の産業革命は、そのごく自然な結果だったのだ。
<重工業部門にも進展>
軽工業部門での生産方法の工夫が常態化すると、それが重工業部門の作業にも向かうのは、自然な動向であった。
事態は、軽工業で使われた機械の改善、蒸気機関などの動力機関、さらには鉄道など交通機関の発明にまでに進展した。
それらで弾みの付いた知的向上心はさらに、武器や軍艦など軍事手段の改善にも向かう。
英国では、こうした広範囲な産業革命が進展した。
<無敵艦隊を撃破する>
この情報を得ることなくして、近代英国に戦を挑んだ、スペインであった。
この旧大国は、英国での産業革命を知らずして、英国との海戦に乗り出した。
田舎国だから無敵艦隊によって容易に踏みつぶせるものと思ったのだ。
ところが英国側では、武器軍艦の技術だけでなく、戦の戦略・戦術設計から戦士の現場での戦いかたに至るまで、その創意工夫によって飛躍していた。
知らぬということは恐ろしいものである。
無敵艦隊は全滅した。
以後、英国は七つの海を支配する黄金時代を迎える。
エリザベス王朝、ビクトリア王朝の時代を通して大繁栄するのだ。