前回、聖書という書物を、一家に一冊、誰でも手に取ってみられるようなスポットに常備せよ、といいました。
子や孫のための旧統一教会対策として、そうすることを勧めました。
「わかった、そうしよう」と応じたらそれでいい。それで満点です。
その上で、時間の余裕がある方に、少しおまけを追加しましょう。
「聖書というのは概略、どういう性格の本なのか」を、この機会にお話ししておきましょう。
まず、「神のイメージ一般」を考えることから始めます。
<「見えない影響者」>
・人間は、気がついたらこの世に生きています。
・そして、生きるなら、なるべく豊かで、健康で、安全な生活を送りたいと願います。
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・するとそれらを促進したり悪化させたりする原因が気になってきます。
・原因には、目に見える物質だけでなく、目に見えない霊的なものもありそうです。
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・その肉眼では見えない原因を思うとき、人は「神」というものをイメージします。
・神とは定義(別の言葉で言い換えること)すれば、「見えない影響者」です。
<心に自然に湧く「神イメージ」>
・その「見えない影響者」である神を自然に思う仕組みはこうです~。
・まずモノ(物質)を認知します。
・それからその中に存在している神様を意識します。
・例えば、山道を歩いていて巨大な木や巨岩に対面すると、その中に神様がいるのでは、と感じます。
・古い建物をのぞくと、中に狐の神様がいるのでは、と想像します。
・そのほか、石の地蔵さんや木に彫刻した仏像の中にも、人間は「見えない影響者」(神)を感じます。
<韓国の「ハヌニム」>
・山や川や海や空も大きいですが物質です。だから人はその中にも神がいると感じます。
・韓国では「空に存在する」と感じられる神様を「ハヌニム」といいます。
・「ハヌ」は「空の」、「ニム」は「尊い方」という意味で、「空におられる尊い方」です。
<在物神>
・このように、「物質の中に存在する」と感じる神は、在物神(ざいぶつしん)と名付けることが出来ます。
・「物」の中に、存「在」する、「神」さま、と言う意味です。
・まず物質を認識し、それからその中にいるだろうとイメージする神様ですね。
・こういう神イメージは、すべての人の心理に「自然発生」します。
・だから、世界中の人類は、様々な在物神を心に抱いて、生きてきています。
<在物神には仲介者が発生>
・在物神イメージの中身(実体)は、ジーンと感じられる感慨です。
・感慨は「感情」ですから、その神様がどういう神かという「言葉による理屈・説明」がありません。
・でも人はそれがどんな神様で、どんな助けや罰を与えるのか、知りたいです。
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・すると「知りたい」という欲求に応じるように、「私は神様と交信できますよ」「神様との間を仲介しますよ」と自称する存在が現れます。
・これはもう、どの社会、どの民族、どの国においても、出現します。
・日本での邪馬台国の卑弥呼はそのハシリですし、天皇の祖先もこの自称仲介者からはじまっています。
・これをカタカナでいうと「シャーマン」です。
・シャーマン(自称仲介者)は世界中いたるところに、出現し存在します。
<神官も自称仲介者>
・今の神社で働いている神官も、もとは自称仲介者です。
・これが伝統化、慣習化して「世の習わし」になった人です。
・最近、鹿嶋の住む住宅団地が、公民館を作りました。
・自治会長がその建造式のため、神社にお祓いを依頼したら、20代の若い神官がやって来ました。
・自家用車でやってきて、白いユニフォームに着替え、白いギザギザの紙を振ったりして、儀式をしました。
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・そして、あるとき、突然「おごそかな低音」になってなにやらうなりはじめました。
・神様の声を仲介しているつもりなのですね。
・昔ながらの仲介者の役割を、鹿嶋は、とても楽しく、拝見しました。
<在物神は「神々」になる>
・人は、様々な物質をみて、その中に在物神を感じます。
・モノはいろいろありますから、必然的に、神様は複数になります。
・各々の神様は「感慨」で理論がありませんから、他の神様との関係を示してはくれません。
・必然的に、在物神は、「各々が思い思いに存在すると感じる」複数の「神々」になります。
・人々は、それら各々に、思い思いに手を合わせることになります。
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・「日本は多神教だから・・・」との見解をよく耳にしますが、それは、ある神思想・神理論にしたがってそうしているのではありません。
・在物神でやってたら、結果的にそうなっていた、というだけのことです。
(続きます)